◎7.ユビテル、真相を語る。
国王として即位して間もないユビテルに降りかかってきた大任は、他国の救援だった。
堅苦しい言葉と共に寄越された内容は、要約すれば『生き残っている国民を助けてほしい』ということだったが、たったそれだけでも、途中で軍師が変わったのだとユビテルは確信した。
事の発端は小さな火種だったのだろう。
いつも通りであれば、その場を鎮める役割を持つ者がいて、丸くとまでは行かないがまだ平和的に収まっていたはずだ。
それがいつしか、その役割を務めていた者ではどうにもならない程に悪化し、歴史に残る最も大きな戦争として刻まれる事態にまでなったのだと、後のユビテルは思う。
初めに起きた悲劇は、ユビテルの父である前国王、そして炎龍族の長老達の死だ。
もはや、氷と地、どちらが先に手を下したのかも分からない。ただ、喧嘩の流れ弾に当たっただけなのかもしれない。
ともあれ、両種族は首を取られた時点で敗戦が確定している。炎と雷は完全に巻き込まれただけだったが、氷と地の圧倒的な力を前にしてはとても手出しは出来なかった。
雷龍族は異を唱えずに敗けを認め、炎龍族は国を別種族に引き渡している上、子どもの龍しか残っていなかったこともあって潔く諦めた。
氷龍族からの書状は、戦況が最悪と言える状態の時に届いた。
敗戦が決まっているとは言え、前国王を殺したかもしれない種族を助けるのは如何なものかと、国民の大半は抗議をしたが、ユビテルは反対派に声明を出した。
我が国に助けを求めているのは、おそらく子どもだと。
外野として観察していた分、これまでの氷龍族はその気性の荒らさを絶大に発揮しており、どれだけ地龍族に害を与えるかだけを考えた、何処までも見境のない戦い方をしていた。
おぞましいまでの武力を行使するのが如何に恐ろしいことか、焦土と化した土地や瞬く間に広がっていく砂漠を確認しただけで分かる。
それが、つい最近になって被害を最小限に抑えようとする動きに変わっていた。
この戦いに終焉が近付いている。そして、氷龍族が敗れる。そんな予感がそこかしこから漂っていた。
雷龍族は龍族の中でも比較的穏やかな性質を持つ種族だ。ユビテルが若くして王に即位する時も、どれほど国民から気遣われたか。
そんな優しい国民が、ユビテルよりも幼い子どもが助けを求めているのに見過ごすはずはない。それに、その内容には自身は含まれていなかった。
それだけのことだったのかもしれないが、敵国の心を一つにまとめ、動かすのには充分な理由だった。
氷龍族の幼い子ども――王子は今年で十二歳になるはずだ。
王子は滅多に人々の前に姿を表さないと言われていて、実際、ユビテル自身も顔を合わせたことはない。
何でも、歴代の水色髪の中で最も初代に近似の魔力を有しているらしい。
一説によると生まれ変わりではないかと言われているが、それはないだろう。その噂を心から信じて口にしている者も少ないと思われる。それほどに氷龍族の心は希薄だ。
薄汚い大人達が、幼い子どもを糾弾する為の建前に聞こえて気分が悪い。
稀代の王子は、美麗という言葉では到底足りない容貌をしていると聞く。
この世のものとは思えない凄絶な美貌が幼いながらに完成しており、蒼穹を映した水色髪が静かに佇む姿の儚さを引き立てているそうだ。
男女問わず惹き付ける美しさが反って恐ろしく、王子自身の力に畏怖せずとも遠巻きに見ているのが精一杯だと。
ユビテルが初めてこの話を聞いた時の感想は、気の毒、だった。味方が何処にもいないと言っても過言ではない。
そうして部屋に閉じ籠もる生活を余儀無くされているようだが、王子の噂は力や見た目についてだけでなく、政治的手腕に至るまで聞き及んでいる。
さすがは氷龍族と言っていいものか、全く逆境に屈していない王子はただの不憫な子どもではなかった。
彼に味方が存在していると知った時は、知り合ってもいないのに心から安堵したものだ。
民の承諾を得たユビテルは、直ぐに書状の返事を出した。最新の転移用魔法陣を使ったので、ほとんど時差もなく差し出してきた者の手元に届くだろう。
救援の際、騎士団に同行したいと立ち上がったユビテルは、己の立場上それが許されないのを知っていて、それはもうごねにごねた。
主導者であるからこそ真実をこの目で確かめたい、だの、自分宛てに送られた書状なのだから同行しなければ、だの、理想論や屁理屈を並べ立てては周囲を困らせ、我が儘を勝ち取った。
一歩間違えば戦火に見舞われるかもしれない現状で、魔力が強いが故に自分の身を守る術を持たないユビテルは足手まといだ。
だが、持ち前の勘の鋭さが功を奏して、道中被害を受けずに現地に辿り着いた。そして、自分達がどんなに幸運だったかを、崩壊して燃え盛る王都を見て知ることになる。
この状況から生存者を捜索して回るのは危険過ぎる。下手を打てばこちらも全滅する可能性がある。
ユビテルは焦燥感に追い立てられつつも考えた。今回、『彼』と同じく軍師を務める者として、どう判断するのが最適解となるか。
ふと、ユビテルは思考する方向が違うことに気が付いた。
そもそも、生存者を捜すというのが間違いではないのか。
彼が求めている『助け』は、こちらを危険に晒すような類いのものではないのでは。
そこに思い至ったユビテルは、炎のない場所を捜すようにと騎士達に指示を飛ばす。
彼は『生き残っている国民』と言った。この解釈に誤りがないのなら、彼は必ず生存者がいることを事前に知っている。
つまり、まとめて安全な場所に避難させていると考えるのが妥当だ。
捜すべきは、避難した民ではなく、救助を担当しているであろう氷龍族の騎士達。
騎士達が龍体を取って方々に散らばっていったのを見届けてから、ユビテルとその場に残った騎士達も駆け出した。
王都の周辺を潰して行けば、何処かで蒼い騎士と鉢合わせになると願って。
炎から離れたと言えど、幾ら何でも気温が下がりすぎている。この国の森はこんなにも冷え込むのか。
雷龍族の人型時はそれなりに人型らしい体感温度だ。ここまで冷えると凍えそうになる。
前を急ぐ騎士の一頭が、奥で何かを見つけたのか振り返ってきた。
間も無く蒼いドラゴンがその場に降り立ち、人型を成してはこちらに深く頭を下げてみせた。
その後、何度も謝辞を述べられたり、労られたりと、氷龍族は冷たい印象が強い種族だったので皆で困惑する。
彼等は本来、こんなにも感情的な種族だったのか。それとも、これが彼の味方の姿だというのだろうか。
道すがら、氷龍族の騎士は現状に至るまでの経緯を話してくれた。
名や立場を伏せて簡単に説明されている内容だけでも、その者の事情を想像するだけで背筋が凍りそうになるが、悲劇の渦中にいるはずの者が悲観していない。
その事実に雷龍の騎士までもが奮い立つのを感じる。
主が諦めていない。それがどれだけの影響を与えるか、人々の希望になるのかを思い知った。……敵わないと思った。
歩を進めるのを早めながらも氷龍族の騎士は話を続ける。
騎士の主はこちらからの返事を受け取った後、生存者を一頭の騎士が守りきれる人数ずつに分け、上空からは見つかりにくく、こちらへの被害が少ないであろう場所への移動を開始させた。
ユビテルの快諾がなければ、状況が今よりも過酷なものになっていたのは想像に難くない。まだ終わっていないのにも関わらず、騎士は「雷龍族の皆様のお陰です」と眉を下げて笑う。
そこまで感謝されてしまえば、この救援、ますます失敗するわけにはいかない。
その主は既に避難しているのかと聞けば、騎士は沈痛な面持ちで首を横に振る。
まだ城内に主の『大事な者』が残されていて、自分達騎士に指示を出した後は単身その者を救いに行ったのだと。
騎士の顔色を見るに、その『大事な者』を救い出すのは容易なことではないと窺える。……最悪、揃って命を落とす可能性も高そうだ。
不意に吐いた息が凍って煌めいたかと思えば、頭上から一斉に硬質な音が鳴り響いた。
驚きに空を仰げば、急速に空気が凍結して、氷の膜を張って広がっていく。
突如出現したそれは空間を包み込み、空を透過しながらも蒼く美しく輝き、敵からの攻撃を全て受け止めて無効にしていた。
これは、何が起きているのか。この蒼い結晶の盾は一体……。
ユビテルが口にするよりも先に、氷龍族の騎士が一瞬泣き出しそうな顔をしてから笑った。
小さく呟かれた、「よくご無事で……」という言葉の易しさから、彼等の主がやはり子どもである事実が、ユビテルの都合の良い想像から確信へと変わった。
後少し進めば生存者を避難させている場所に着く。騎士の言葉に自然と皆で駆け足になる。
先程から騎士は時々空に自身の魔力を打ち上げているようだが、心なしか顔が火照ってきていた。
ここが暑いわけはない。騎士の様子の変化に、何も知らないはずの心がざわめいた。嫌な予感がする。
そんな時、冷えきった空間が微かに揺らいだ。
「っ、殿下……?」
無意識なのか、騎士がそう溢したのをユビテルは聞き逃さなかった。
何か異変を感じたのか、氷龍族の騎士は空を見上げた。それに倣うと、時折盾の存在が不安定になっているのが分かる。
辛うじて防いではいるものの、あちこちから蜘蛛の巣のように罅が広がっていく。
「……ユビテル陛下、私達が必ずやあなた方を守ると誓います。後のことを、どうか、どうか宜しくお願い致します」
言うが早いか、勢いよく頭を下げた騎士は「我が王、本当によく頑張られました。第一部隊所属――――、私も今、貴方様の元へ」と忠誠の言葉と共に剣を空に掲げては氷の盾の補強を始めた。
心臓が警鐘のようになる。それ以上は、それ以上は魔力を使ってはいけない。
何度もやめろと騎士に声を掛けたが、頑なに瞼を閉ざしている騎士の耳には届かない。
叫んでは近付こうとするユビテルを雷龍の騎士達は必死で止める。
もう間に合わない。
心の何処かで知らない感覚がそれを告げた時、氷龍族の騎士は瞬く間に蒼い炎となって燃え尽きていった。
各地で騎士達が忠誠を誓い、蒼い炎に変わっていったと報告された。
彼等の最期の力のお陰で、雷龍の騎士達は一頭も欠けることなく生存者を連れ帰ってきた。誰もが無傷で救援を終えた時、蒼い炎を見た騎士の中には泣き出す者もいた。
ユビテルも全ての詳細を聞いたわけではないが、全員が全員、ユビテルが目撃した者のように綺麗な状態で燃えていったわけではない。
あの場では種族の違いなど関係無く、ただ生きている者を守ろうとした仲間しかいなかった。
ただ一頭の仲間を目の前で失った悲しみは、彼等の最期の遂げ方を知らなかっただけにずっと深いものだった。
無事皆で国を脱出した直後に、役目を終えたとばかりに蒼い盾は砕け散った。
その瞬間まで彼等の主が生きていたのかもしれないという希望と、後日の捜索で遺体が見つからなかった事実から、雷龍族の大多数は一つの説を信じている。
我が同族、結晶龍の生存説を。




