6.ショコラ、真相に近付く。
禍々しく黒かった空が晴れて、本当にあのドラゴンを倒せたんだと人心地がつく。余力を使って水属性魔法でエスの作った美しい盾を少しずつ溶かして砕いていく。
硬質な音を立てて崩壊したそれは雨粒に変わっては陽光を反射して煌めき、晴れた空に円を描く虹を数本生み出して消えていった。
終わったと同時に、エスがその場に落ちるようにして片膝を着くから、慌てて私もしゃがんでエスの顔を覗き込む。別段顔色が悪いわけでもないみたいで安心した。力が抜けただけみたいだった。
「魔力が底をついたんですね」
砂を踏み締めて近付いてきたユビテルは、エスの前に立つと緩慢な動きで膝を折った。
「始めてですか? ……それとも、二度目でしょうか」
質問すると見せかけ、付け足された言葉は確信めいている。
どういう意味なのかと思考を巡らせている間に、ユビテルは汚れることも構わず地面の上に正座をしていた。それでいて着物を整える精練された仕草は、今から何が始まるのかを一時忘れてしまう程に優美だった。
エスは『二度目』というのが何の話なのかすぐに思い当たったようで、僅かに動揺を見せてから形の良い唇を引き結んで視線を落とす。
これは、簡単には話してくれそうにない。
「僕は、貴方の能力が前衛に向いていないのを知っていました。それこそ、ずっと昔から」
エスの能力が前衛に向いていない……?
そう言われて思案すると、先程のエスを見る限りでは後衛や補助の方がエスに合うと思っていた。それは何故か。
「横から失礼する。それに関しては私も同意見だ。魔力量と能力値を見る限り、若造は戦闘には適していない」
「俺もそう思うぜ。一発の威力がえげつないのは知ってるけどな、何か違ぇんだよ」
ベルクとプロミネが同意してから、ちらほらと皆が確かにそうかもしれないと首を捻り始める。
エスは間違いなく強い。それは魔力の話にも、戦闘能力の話にも適合する。でも、何故かその事実と噛み合わない。
エスの高貴な生い立ちや、それからの軌跡には関係がない部分で何か違っていた。
時々、その方が合っていると思った瞬間があったはず。そして、その使い方ではないと思ったこともあったはずだ。
「結晶龍は先祖代々、その有り余る力の使い方を誤ってきたのに、エストレアだけは正しく使えていた。『破壊』なんて言葉は貴方にだけは似合いません」
「違う。俺も同じだ。……あんな不完全な、誰も守れないものは知らない」
聞きたくないとばかりに苛立ちを声に滲ませて頭を振るエスと、冷静に切り込みを入れていくユビテル。
二人のやり取りに私達はもう口を挟めず、ただ静かに見守っていることしか出来なかった。
傍目に見ていてもエスはただただ苦しそうで、でも話の内容は全く分からなくて、どうしていたらいいのかと落ち着かない気持ちになる。
「一度目も覚えていますよね?」
「……知らない。覚えてない」
「嘘ですね。あの時、僕を呼んだのは貴方だったはずなんです。エストレアしか有り得ない」
「俺は何もしてない。あの時のお前なんて知らない。俺は何も出来てない」
悪夢に魘されるような姿が痛々しくて見ていられなくて、固く握り締められているエスの手を包み込む。
今日のところは止めた方がいいんじゃないか、とユビテルを見上げて、いつもの笑顔も穏やかさも何もない無表情で真剣にエスを見下ろすその顔を見てしまって、止めるに止められなくなった。
「深く感じるようになると、怖いですよね。本当は怖がる必要はどこにもないのに」
微かに震えているエスの背中がすごく小さく見えて、大人の男の人というよりはまだ幼い少年のようで。
エスが私に話せなかったことで、何を一人で抱えて隠し続けてきたのかは知らない。でも、エスのことだ。この人は誰かを傷付けるような嘘は吐かない。嘘を吐くとしたら、自分だけが傷付く嘘を吐くのだと思う。
「すみませんね。貴方もまだ、ショコラの件で傷付いたばかりなのは分かっているのですが、この話からしなければ何も終わりに出来ないですし、始められないのです」
困ったような笑みをしたユビテルは、地面に着いているエスの手を取って握った。
「僕も、優しい貴方やショコラに、嫌われる覚悟を決めてきました。ですから、この真実をここで言わせてください」
頭の中が疑問でいっぱいになる。
けれど、今は目の前で深呼吸をしているユビテルの言葉を聞くのが先だ。
「エストレア、最強の結晶龍。貴方は、最強の『盾』ですよね」
時が止まったかのような感覚に陥った後、私の中で素直に合点がいった。
さっきだって、率先して周囲を守ろうとするエスの姿を見て盾だと思っていたから。
エスは攻撃に特化するには強すぎて、普段から刃を振るう時は最小限まで絞っていることが大半だった。
何も考えずに力を行使すれば世界を滅ぼしてしまうものでも、守る為に使うのであればそれは真実最強になる。
「……最強なんかじゃない。あれは、そんな大した盾じゃなかった」
頑なに否定を続けるけれど、エスは能力の正しい使い方が守備であることを認めた。
皆もユビテルの導きだした答えが腑に落ちたのか、個々に納得して頷き合っている。
誰かを守る為の力だなんてとても魅力的な力なのに、エスの表情は晴れるどころか更に青白くなる。
一体、ユビテルは何を掘り起こそうとしているのか。それから、私達に何を告白しようとしているのか。
話が長くなるのを察したプロミネは、その場に躊躇いなく座り込んで胡座をかいた。リプカさんとフェゴさんも並んで座り、続いてモルニィヤとフルミネも二人を心配そうにしつつ座り込んだ。
ティエラもエスの傍に寄って座っては膝を抱えて、ベルクとペトラも立て膝をついて座る。
青ざめるエスを見つめているユビテルの片眉が上がっていく。元の穏和な顔立ちに似つかわしくない、ひどく不快そうな表情が怖い。
「……結晶龍を疎んじていた者達が如何に愚かだったかが分かりますね。まとめて始末したのは英断ですよ。正当防衛です」
フルミネの口から「怖ぇ……」と思いっきり引いている声が溢れた。
普段がとても優しい人である分、時折こうして残虐性を覗かせてくるユビテルは底冷えする程に恐ろしい。
今の話の行き着くところは、エスがコテージで話してくれたことに繋がった。ティエラを奪われそうになって、大人達を斬り倒しながら逃げていた時のことだ。
当時の状況を想像してみても、殺さずに倒せたとは思えない。最終的に人型では手が回らなくなっていたみたいだから、普通の子どもならばどうにもならない数だったんだと思う。
後処理を担当していたユビテルだから、その人達の死因までも調べていたのかもしれない。
「そんな簡単にめちゃくちゃな言葉で片付けるな」
「えー、片付けますよ。何かすごく大変だったんですよね? ……追われて必死で逃げていたとか、ね」
ユビテルは本当に何者なんだろう。さすがにあの話は私にしかされていないのに。
煽られて本来のエスに戻り始めていたのに、核心突かれてまた黙りを決め込んでしまう。そんなエスにユビテルは笑いかけた。「ほら、正当防衛でしょう?」と。
全てを見透かされてしまうのではないかと思う程、的確に正解を手繰り寄せるユビテルの話に私だけじゃなく皆も聞き入っている。
どうにも逃げられないことを悟ったのか、エスは諦めて「……もう何でも話せ」と先を促した。
エスが降参してくれたことに安堵したのか、ユビテルはその美麗なかんばせから強張りを取り、居住まいを正した。
「さて、こうして何の障害も無くなった今、お伝えしなくてはなりません。僕はその為に、今まで頑張ってきたんです」
何処か遠くを見る翠の瞳には、想像を絶する際限のない苦労が映っているように見えた。
「エストレアが見られなかった、当時の真相をお話しします」




