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ショコラクリスタリゼ  作者: ななせりんく
最終章 真相と顛末
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2.ショコラ、確かめる。




 結局服は掻き集められたものの、「ちゃんと休んだ方がいい」と寝台に連れ戻された私は、一日寝台の上から下りることは出来なかった。

 休むのに窮屈だからと服を取り上げられて、何故か予備のエスのシャツを着せられた。男の人はやっぱりよく分からない。エスのシャツは私の身体にはとても大きくて、確かに寝るのに邪魔にはならないから良いけれど……。


 出掛けたと思えばエスは食材を持ち帰ってきた。それからエスに食べやすい朝食を用意してもらって、エスの手ずから食べさせてもらって、それはもう甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるエスは穏やかな真顔に喜色を滲ませていた。

 何だかよく分からないけれど、こんなに分かりやすく上機嫌なエスは初めて見る。ここまで過保護に甘やかされるとダメになってしまいそうだ。


 改めてエスは長年お兄さんで親代わりを務めてきた人なんだと実感する。

 それだけならまだしも、節々に兄でも親でもない甘さを滲ませてくるものだから、何もせずに休んでいるにも関わらず、私の心臓は何度も止まりそうになっていた。



 暫く壊れたままだったエスも、身なりを整えれば表面上は元通りに戻った。やっぱりエスはしっかり服を着ている方が、私の心の平穏の為には良い。

 一晩、その……そういうことを何もしなければ、物凄く心臓に悪いエスからいつもの心臓に悪いエスくらいには戻ってくれるらしい。至極安心した。

 色々あって心が弱っていたとか、想いを通わせた嬉しさとか、勢いがあってこそだったけれど、私はまだ、キス一つですらおかしくなってしまいそうだから。



 ティエラが皆を連れて戻ってくるまで最短で後一日。

 丸一日寝て過ごして身体も楽になった今日こそは、どうしても調べておきたいことがある。

 私が思い出した過去には、私の視点ではあまりにも疑問が多すぎるから。


 まず解消したいのは、あの洞窟で見た魔法陣に書き足されたお母様の術式。

 あれがペトラの言う通り、あの惨劇の直前に遺されたものなのだとしたら、エルフの森の何処かに洞窟へと続く道があるはずだ。

 それをエスと二人で探して、もう一度術式を確認して答えを見つけ出したい。


 エスからはまたエルフ族と鉢合わせた場合のことや、少しは痛みの残っている身体のことを心配されたけれど、この問題は避けて通れない。

 私達の未来の為にも必要な試練なのだと拳を作って意気込んでいると、何だか眩しいものを見る顔をされた。



 炭になったままの静かな森を歩いては、九年前に見た黒い煙に覆われた空と、息苦しくて熱い空気を思い出す。

 エルフの森が燃え尽きる形で戦禍を被ったのは、地龍族の持つ最高火力の地属性魔法が原因だ。幾つもの大きな星が流れては落下して、人々を押し潰して地面を揺らして、周囲に火を点けた。

 岩は片付けられたんだろうけれど、未だに窪んだ場所が幾つも残っている。


 ふとエスの横顔を見上げると、普段の無表情に沈痛な色を乗せていた。

 また一人で責任を感じているのだろうか。エスの手に手を伸ばして握る。現実に引き戻されるように一度瞬いてから、私を見るその瞳には確かに悲哀が映っていた。


 ……私は今になって、ベルク達に会う前にエスが教えてくれた当時の話に疑問を抱いている。

 私は記憶が混乱したり欠落していたけれど、エスは嘘を吐いている気がした。

 再会出来てからずっとこの人を見てきたから、今ならあの日よりももっとよく分かる。当時子どもだったから、もっと感情が薄かったからと言って、エスの本質が変わるわけじゃない。

 ティエラ以外どうでもいい、なんてエスが思うはずがない。


 この蒼は悲しそうというより、悔しそうだ。

 さすがの私でも森の全焼の経緯はちゃんと見ていたし、今となってはしっかりと覚えている。勿論、エスのせいじゃない。

 けれど、あの日教えてくれた通り、国を滅ぼしてしまったという話に偽りがないのなら、……まるで守ろうとして守り切れなかった場所を見ているような、そんな目をするはずがない。

 エスは、どんな優しい嘘を吐き通そうとしているのだろう。



 エスの嘘については心の片隅に留めておいて、洞窟までの抜け道を探すことに専念する。

 私の記憶は役に立たないし、特に心当たりもないものだから当時の私の家を目指す。とは言え景色は変わってしまっているから感覚で探るしかない。


 一面炭で黒いままの地面を踏みしめながら、大体の地点まで来ると私の家の面影の残る場所があった。

 ほとんど崩れ落ちているものの、辛うじて壁があった位置が分かるから間違いない。


 何となく言いたくなって、扉のあったところで「ただいま」を言うと、隣でエスが途轍もなく優美な仕草で礼を執る。

 そのあまりの尊さにうっかり腰を抜かしかけた。この先に本当にお母様がいたら、素っ頓狂な声を上げて私と同じく腰を抜かしていたと思う。

 私の冗談みたいなものに、そこまで本気で付き合ってくれるとは思わなかった。


 野晒しで雨を何度も受けたのだろう、黒く固まった煤を払い除けて、元の形を探りながら記憶を掘り起こす。

 お母様から、危ないから近付かないように、と禁じられていた場所があった。

 エスと崩れた瓦礫を積んでみたり、汚れを落としてみたり。思い当たる場所を形にしてみると、その一帯が急に沈み込んで一緒に落下してしまいそうになった。

 間一髪で免れたのは、エスが抱き留めてくれたからだ。


 御礼を口にしながら見上げると、物凄く久しぶりに残念なものを見る目で見下ろされていた。エスは「お前は穴を見つける天才か」と呆れている。

 事ある毎に問題を起こしているのは私も反省している。でも、今回の穴は多分罠じゃない。


「この中、行ってみてもいい……?」


 穴と言えば、またエスに怪我をさせてしまうかもしれないと不安になった。私のせいで何度も大変な目に遭わせているのに、エスは優しい声で「掴まってろ」と言ってくれる。

 大きく頷いてからしっかりと抱き付いて、きつく抱かれながら二人で真っ暗な穴の中へと降りて行った。



  エスは見事、私という錘を持ちながらも軽い着地を決めた。

 あの洞窟と同じく真っ暗かと思いきや、エスが固い地面を踏んで確かめてすぐに、一定の感覚で壁の両側の燭台が灯っていく。

 罠と同じでそういう術式なのだろうか。吃驚してエスにしがみついてしまう。


「いきなり当たり、でいいのかな」

「確かめる為にも、先に行ってみるしかない」


 首肯してから離れようとすると、何故か不満そうに美しい眉を寄せられた。

 橙の光に照らされた美貌と数秒視線を交わしてから、大人しくもう一度身を預けると頭を撫でられる。……エスは私が甘えると嬉しいみたいだ。


 エスが進む程に先の蝋燭の明かりが灯り、通った道の火は消える。

 不思議な仕組みを目で追っている内に、二度は見た景色が飛び込んできた。前回までに辿り着いた時は、こんな場所に人が通れる穴はなかった。

 距離まで短縮してある、これがお母様の隠していた術式なのだろうか。


 大きな古い魔法陣に、新しく書き足された術式。エスに降ろしてもらって、二人でそこに触れてみる。

 すると以前私が観た映像が流れてきて、同時に触れれば二人で観られるものなんだと再確認出来た。


 記憶よりも少し若いお母様とお父様。私にとっては大事な形見になる映像なのに、やっぱり、あんな形で終わってしまったことを思うと苦しい。

 俯くと私の手を優しい温度が包み込んでくれる。深く安心して、もう一度前を向くとお母様が幸せそうに笑っていた。


 お母様を観ながら、エスが「似てる」と穏やかな声色で呟いてから私を見る。

 面差しはお母様、表情はお父様。時々うっかりしているお母様、嬉しいことがあるとすぐに泣き出すお父様。二人から面影を受け継いでいるのを確認するだけで、心の内に温かい感情が広がっていく。

 この先が悲劇でも、お母様とお父様が幸せだった事実が無くなるわけじゃない。そう思うと少しだけ心が軽くなる。


 結末に向かうに連れて、エスが私の手を握る力が強くなる。

 二度目の私は悲しみに飲まれないように、踏ん張ってその映像を見ていた。だんだんとお母様とお父様の視点が入り乱れる。この不思議な現象には必ず意味があるはずだから。

 泣き喚くお母様、泣き崩れるお父様。二人を観て一緒に泣いている場合じゃない。


 そろそろ途切れる映像を前に、ひたすらに強がっていると、隣から引き寄せて腕の中に閉じ込められた。

 エスの体温に心の底からほっとしている癖に、私だけが好きな人の温もりを得るわけにはいかないと思う心が警鐘を鳴らす。

 私のせいでお母様とお父様は悲劇を迎えたのに、と。


 身体を離そうとすれば一段と強く抱き締められて逃げられなくなる。

 こうしてエスは私を甘やかす。一度でも自分で立つのをやめてしまえば、二度と立ち上がれなくなりそうな優しさで私をくるもうとする。


「大丈夫だ。お前のせいじゃない。誰もお前を恨んでない」


 あれだけ自分一人で背負い込もうとしていたエスから、そんな言葉がかけられると思わなかった。

 限界が来て、楽になりたくて背中に腕を回すと、何度も頭を撫でて宥めすかされて、頭の芯から溶けてしまいそうになりながら優しい熱を堪能した。


 暗転する映像の中でエスの存在を感じながら、元の洞窟に戻る瞬間を待つ。


『愛する貴方に、届かないとしても伝えたいことがあるの。もし届いたならお願い、……私達の娘を助けて』


 聞き覚えのない音声と共に、再び始まる別の映像に驚いて顔を上げた。

 そこには疲れきった様子の、私の記憶に近いお母様とこの洞窟が映っている。

 一体、これは何が始まったのだろう。


 お母様が古い魔法陣の一部に術式を書き込んでいく。

 同じくそれを見ていたエスが、その手順を観ながら幾重にも重ねられた術式の意味を解読していった。

 記憶の保存、文章を音声化しての転送、警告としての発動。

 私には何が何だか分からないけれど、お母様が必死で書き込んでいる様子から、ただならぬ事態の――あの惨劇の前であるのは分かる。


 術式を書き終えたお母様は、懐から紙を取り出して読み上げた。


 この世界に起きている凄惨な出来事と、自分がこの先殺されるのはどうしても避けられないこと。

 そして、私も殺されるか、自分の二の舞になるかもしれないと、震える声で紡いでいった。




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