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ショコラクリスタリゼ  作者: ななせりんく
第八章 激情と記憶
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11.ショコラ、想いを通わせる。




 痛みを堪えるような真摯な言葉に、心臓が大きく脈打つ。


「私、だから……」


 反芻するだけで体温が上がった気がする。

 これが私の自惚れじゃないのなら、今の言葉は『愛している』と言っているように聞こえた。

 私の復唱に対して、エスは当然だとでも言うように頷くから、鼓動は更に早くなる。


 エスは、以前にも伝えようとしてくれていた。

 私が正しく聞こうとせずに自分の都合で突き放しただけで、ちゃんと私にもそう聞こえるように。龍族の中にもある言葉を使って、出来る限り人型に近い感情に落とし込んでいた。

 生い立ちのせいか、性格的なものか、エスは息をするように当たり前に全てを愛していて、今まで私はそれを単なる『優しさ』だと思い込んでいた。


 どうして気が付かなかったんだろう。

 幾ら不安で心に余裕がなかったからって、エスはずっと私の傍にいて、私の為にたくさん愛をくれていたのに。


「捨て置いたことをずっと後悔してた。二度目を貰えて、まさかティエラより大事なものになるとは思わなかった」


 エスが言葉を紡ぐ程に声に優しさが増していく。


「ショコラ、生きていてくれて、俺を探してくれてありがとう」


 人だとしか思えない言葉の数々に、柔らかい光を宿す蒼い瞳に、気が付いた時には泣き出していた。

 お母様、私を産んでくれてありがとう。

 お父様、私を守ってくれてありがとう。

 こんなに嬉しいことがあってもいいのだろうか。ずっとあげたいと思っていた感情を、エスは私が思っていたよりもずっと器用に自分のものにしていた。


 感動のあまりエスの胸に飛び込んでは勢いで床に押し倒してしまったのに、エスは怒らずに私を抱き止めてくれた。

 エスが上体を起こしても抱き付いたまま動かないのに、「痛かった」と言いつつも声は柔らかい。

 これが私だから適用されるものなのだとしても、エスはやっぱり優しい。こうして頭を撫でてくれる手も、甘えると存分に甘やかしてくれるところも、何もかも。


 暫くの間エスというエスを堪能して、自分が物凄く大事な部分をすっ飛ばしていることに気が付いた。

 エスの人らしい言葉に感動しきりだったけれど、私が自分で思う以上の馬鹿でなければ、エスの言葉はどう考えても告白だった。


 完全にエス大好き状態ですり寄っていたけれど、前に私が無言で返してしまった時と同じく、エスは私の返事を待っているはずだ。

 そう考えると顔が熱くなって、今にも逆上せそうな気持ちになってくる。

 でも、今が挽回の好機であるなら、私にも出来そうな、エスに伝わる想いの返し方は一つしか思い浮かばない。


 私が顔を上げるとエスも頭から手を退けた。至近距離で視線が交わって、早くも心臓が止まってしまいそうになる。


「エス、私もね、ちゃんとわかってて、したいと思うからするね」


 自分勝手に言葉を返せなかったあの日をもう一度やり直したい。

 エスの頬に手を添えて、それが緊張で震えているのを見ない振りをして、エスの唇に自分のそれを重ねた。


 驚いて息を漏らすエスの唇を食んでみる。

 下手くそで拙いキスでも続けていると受け入れてくれて、高鳴る心臓の痛みも忘れる頃には何度もお互いの唇を食べ合っていた。


「エス、すき……」


 ただでさえ息継ぎが下手なのに、溢れる想いを伝えたいばかりに無茶をすればすごく苦しい。

 苦しさに何度ももがいているうちに主導権を明け渡してしまったのか、いつの間にか息が切れるまで追い詰められていた。


 頭がぼーっとしているうちに腰を掴まれて、軽々と持ち上げられて寝台の上に下ろされる。

 エスが膝を付いた部分が沈んで寝台が軋む音を聞いて、落ち着いていたはずの心臓が再び暴れ始めた。

 おそるおそるエスを見上げた時に、肩に掛けられていた上着が落ちる。


 上着を拾わなきゃいけないと思うのに、エスの瞳から目が離せない。瞳孔の裂けた蒼い瞳が、オーロラとはまた別の輝きを湛えている。

 澄んだ空気の向こうの星空のような虹彩。すごく綺麗だ。オーロラと同じく美しいと感じても、この星空は全然怖くなんてなかった。

 それでも、少しだけ深呼吸をさせてもらう時間は欲しい。


「エス、あの、っ」


 あと五分だけ待ってほしいとお願いする前に唇を塞がれる。

 急いで半端なままの覚悟を決めようと瞼を下ろしたのに、下唇を軽く吸われただけで解放されて拍子抜けした。


「無理。逃がさない」


 言い様のない感覚が背筋を駆け上がった。その声はダメだ。一体どうやって出しているのか。何だかわからないけど私の方が無理だ。

 何に対しての無理なのか、言葉自体はどんな反論も許さないそれなのに、瞳は不安げに揺れている。


 何だか、とても『五分待って』と言おうとしたなんて言えない。

 二度、三度と深呼吸を繰り返して、腹を括った私はずっと前から思っていたことをはっきり言うことにした。


「あの、私! そ、そういう、恥ずかしいことも、エスとなら、したい、と思ってて」


 全然はっきり言えていない。それどころか最後は蚊の鳴くような声しか出ていない。更に、最初だけしか目も見ていない。

 茹だりつつある顔を押さえて、全く決まらない残念な自分の口をもう少しだけ頑張って動かす。


「私ずっと、エスが良くて、エスじゃなきゃ、嫌で……」


 言いたいことが纏まらなくなってきた。恥ずかしすぎて身体は震えるし、限界を超えたせいで泣きそうになっている。

 呼吸はどうやってするものだったのか。吸えているのかも吐けているのかもわからない。

 何とかもう一度エスの目を見ようとしたところで、宥めるように唇を啄まれた。


「可愛すぎる」


 目が合った瞬間、絶対に心臓は止まっていたと思う。

 途轍もない量の熱に浮かされた蒼に情けない顔を映されたと思えば、嬉しそうに細められた。


 肩を抱かれて引き寄せられて、また心臓が止まりそうに痛くなる。

 本日何度目かの口付けは優しいのに優しくない。舌を絡ませ合う度に胸の奥が甘く痺れるようで、切なさで苦しくなってエスの胸に縋り付く。


 ただでさえ種族が違って、通じる言葉も違うのに、一人で考え込むばかりで言葉が足りなかった。

 伝わるように口にするのが怖かったのもあるし、自信がなくてエスを試してみたり、卑怯なことばかりしてきた。

 習性だから、人型じゃないから、感情が薄いから。我が儘な私はそれを全て飛び越えた形が欲しくて燻っていたのに、エスは私が望む以上の形を叶えてくれていた。


 追われることも攻められることもない優しいキスは、唯一私がやめることだけを許してくれない。

 息が苦しくて離れてしまいそうになる度に舌を吸われて、隙間を埋められる。

 本格的に酸欠になって、力が入らなくなってきたところで唇が離れていく。


 お互いの舌先を銀の糸が繋いでいるのを見て、何だかすごくえっちなことになっているみたいだと、馬鹿みたいに回らない頭で考えていた。

 繋がっていた糸が切れたのを見送って、疲れきった舌を仕舞いながら呼吸を整える。


「えす……」


 肩で息をして、舌足らずに名前を呼べば、艶やかだったはずのエスの頬が紅く染め上げられた。

 つい数秒前までは男性的な妖しさを隠さずにいたのに、そんな顔をされると可愛いと言ってしまいたくなる。

 ただでさえエスはいっそ悍ましいくらい美しいのに、エスの為に美しい以上の言葉が作られるべきだと思うほどなのに、表情が付けば可愛さまで味方にしてしまうなんてずるすぎる。


 まるで他人事のように考えていたけれど、酸素が頭に回ってきたところで、またもや羞恥が限界を超えた。

 唾液が繋がるなんて、そんなこと絶対えっちな状態じゃないはずがない。現に私は途中からそういう気持ちになっていた気がする。いつからこんなに変態になったのか。

 再び震え始める身体を気休めに抱き締める。顔を見ていられなくなって、震えが伝わってしまうかもしれないと思いながら、エスの胸元に頭を預けた。


 疲れたか、と気遣って撫でてくれる手にすら過剰に反応してしまう。触れられた部分から発熱するみたいに熱くなる。

 変になってしまいそうだ。というより、もう変になっている。

 俯いたまま胸元から離れて、エスからの問いに首を振る。舌と心臓は明らかに疲れているけれど、これくらい大したことではないのだと思う。


 好きな人と想いを通わせてキスをすると、皆こうなるの? ……じゃあ、これ以上はどうなってしまうの?

 決まったはずの覚悟が揺らぎつつある。怖くないと思ったのが嘘になりそうになる。

 羞恥と恐怖で震える。落ち着かないといけない。胸元を握り締めて何度か深呼吸をして、その息すら震えているのに気が付いた時、空いているもう片方の手をエスが掴んできた。


「……本当は、お前がこんな時にしたがることじゃないのは分かってるから。だから、最後はお前に委ねる」


 もう後には引けない状態なのに、エスは何を言っているのか。

 掴まれた手がエスの胸元に導かれる。


「突き飛ばせ」


 息が止まった。

 逃がさないと言いながら、エスは私が一番楽になれる選択肢を与えてくれようとしている。

 見上げた先で、エスは無表情を装っていた。……エスは分かっていないのだと思う。私はもう、エスがどれだけ無表情でも何となく感情が読み取れるくらいにはエスを見てきた。

 この無表情が偽物だということくらい分かる。


 掌に響いてくる心臓の音が、私のそれよりももっとずっと痛い。

 分かりやすく泣きそうになりながら震えている私よりも、エスの方がたくさんの苦しい感情を抱えていると鼓動が教えてくれる。

 これが『優しい』と『愛している』の違いかと納得した頃には、芽吹き始めていた恐怖心が跡形もなく消え去っていた。


「エス……私も、逃がされたくない」


 胸元から手を離して、エスの頬に触れると偽りの無表情が崩れ落ちた。

 泣き出しそうな、嬉しそうな、まだ苦しそうな。

 とても感情が薄いとは思えないほどの複雑な表情が、作り物のように美麗なエスを人に、ただ一人の男性に変えていく。


「ショコラ」


 たまらなく胸の内を擽る柔らかい声に名前を呼ばれて、思わず畏まって「はい」なんて固い返事をする。

 自分の胸元に置き忘れていた手に手を重ねて包み込んできたエスは、指と指を絡めてから私の手を自らの口許に引き寄せた。


「お前が欲しい」


 許しを乞うように掌に口付けを施す。

 優しく触れる唇に身体を内側から燃やされる錯覚をさせられて、また緊張で震えてしまいそうになりながらゆっくりと頷いた。




いつもショコラクリスタリゼをお読みいただきありがとうございます。

これにて八章が完了となりますので御報告です。

来週か再来週になると思いますが、ムーンライトノベルズ様にて八章と九章の間のお話を上げますので、年齢制限以上の方は宜しければそちらもお付き合いいただけたら嬉しいです。

プロットを作成しますので、九章開始まで今暫くお待ちくださいませ。

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