10.ショコラ、思い出を語る。
「もう充分だ」
心音に紛れて聞こえてきた声音には、怒りと哀しみが滲み出ていた。
硬質な音が響いたと思えば、私達とエルフ族の間に氷の壁が高々と作られ、相当の厚みがあるのか向こうの姿も見えなくなってしまった。
「……じゃあ、僕は真実を皆に伝えに行くね」
「お前一頭で大丈夫――」
「もー、にーちゃん、大丈夫に決まってるでしょ? 何の為に二頭も付いてきたか、分かってる癖に」
僕は情報を伝達する為に、にーちゃんはショコラの為に。
そう付け足すティエラにエスも首肯している。
炎龍族も呼ぶなら戻るまで数日掛かるかもしれないとか、私を休ませるなら渓谷の家に戻るのが一番近いとか。
未だにエスに抱き締められたまま二人のやり取りを聞く私は、ただ私が心細くならないように大好きな二人を道連れに付けてくれたわけじゃなかったのかと、まるで他人事のように考えていた。
話が纏まったのか、早々にドラゴンへと姿を変えて飛び立つティエラを見送る。
私はエスの腕から解放されたかと思えば、それはもう当然のように抱えられた。エスはそのまま平然と歩き出す。
ここまでティエラが運んでくれたからそんなに疲れていないし、まだ少し気は動転しているけれど歩けない程じゃない。
これではエスが疲れてしまうから下ろしてくれないかと請えば、短く「嫌だ」と返された。私を抱える腕に力が籠る。
今までこうして抱えられるのは子ども扱いされているようだと思っていたけれど、何でだろう、今になってすごく甘えられているように感じるのは。
こんな形で真実を知って、この渓谷に帰ってくることになるとは思わなかった。
肌を差すような冷気は堪える。エスにしがみついて熱を求めれば、一度下ろされて上着を掛けられて、それからまた抱えられる。エスはどうしても私を抱えて行きたいらしい。
寒さのお陰で冷静さが戻ってきた。
エルフ族の長が詳らかにしてくれた通りに記憶が呼び覚まされたようでいて、ちゃんとお父様との約束通り、『私が大人になって、この事実を受け入れられるように』なったから思い出せた。
エスに再会出来るまでの私ではとても受け止められない真実だった。でも、こうしてエスがすぐ傍にいてくれて、皆が私の為に尽力してくれている今、この悲しみは遠い過去のものとして処理されていくのを感じる。
ずっと忘れていたせいで変だと思っていたけれど、私が他者から悪意を向けられて怪我をさせられたり触られるようになったのも、エスと再会してからだった。
私を大事にしてくれる、守ってくれる人がエスだと、何も知らなかった癖に最初から信じて選んでいたみたいだ。
たった数ヶ月前のことが懐かしい。
野宿をしながらお腹を空かせていた私を、さっさと捨て置いていけばいいのに優しいエスが連れ帰ってくれた場所。
指先一つで操られる浄化魔法で、埃を被っていた部屋の中が一掃される。
蒼い光が一帯を埋め尽くす光景は、とても掃除しているのだとは思えない程に美しい。
綺麗になった寝台の上に下ろされて頭を撫でられる。
ここに戻るとティエラとの生活を思い出すのだろうか? 完全にお兄さんのそれだった。
「眠れるまで付いててやるから」
どうやら、私が意地を張っていると見てか、疲れていると思われているらしい。
重石を持って歩く方が疲れるはずなのに、何か食べるものを買ってくるべきか、私を一人にするわけにはいかない、とエスは悩んでいた。
エスはその怜悧な面差しに違わず頭の良い人だけれど、自分よりも他者に傾倒するとちょっとずれる。
お兄さんである性質と、頭の良さが視野を狭める時があるのかもしれない。
私の為に考えてくれているから、お腹は空いていないとか、一人でも大丈夫だとか、なかなか言い出せなくて私は俯いた。
「こんな時は泣かないのか」
床の木目を見詰めていると、私の目線に合わせてエスは片膝をついてきた。
一時間にも満たない時間で、慌ただしく整理された心の中がエスに伝わっているはずもない。普段から泣き虫で通っている私を、心配してくれるエスの方がよっぽど苦しそうな瞳をしている。
「泣かないよ。ちゃんとその時にも泣いたし、私はもう大人だから」
この世界の異物であること、お父様との約束。
二つが重なって起きていた記憶の欠落も、身の回りの不思議なことも解決した。私が別の世界に飛ばされても皆が喚び戻してくれる証もここにある。
もう何も心配することはないのだと、全てが片付いて後は過ぎていくだけなのだと思うと、あれだけ不安に押し潰されそうだった心は嘘みたいに凪いでいた。
ただ、少なからず衝撃はあったから、やっぱり少しだけ疲れた。
上着は借りたままだし、エスは冷たい床に膝を立てているし、幾ら氷属性のドラゴンだからと言っても人の身体は冷えるだろうに。
そんなことは何一つ忘れてしまっているのか、私のことだけを心配しているエスの顔を見ていると、その優しさに胸が締め付けられる思いがした。
腕を伸ばして、エスの首に抱き付く。驚いて肩を揺らしたエスが、戸惑いながら私の背中を抱いてくれる。低い体温が何処までも優しい。
「ごめんなさい。少しだけ、エスの体温が欲しい」
すぐ傍でエスが息を飲むのが伝わってくる。
そのまま、エルフ族の長の話には無くて、私の記憶にはある話をしていく。
お母様が嬉しそうに笑ってから命の灯火を消したこと、初めて会ったのにお父様が私を宝物だと言ってくれたこと、名前を呼んでくれたこと。
そして、約束をしたこと、私の未来を守ってくれたこと。
流れだけを見れば悲しい話なのかもしれないけれど、今の私にとっては唯一のお父様との思い出だ。その証拠に、思い返して嬉しくなってしまって、顔と声が笑ってしまう。
約束の話をエスにするのは少し照れた。再会した時から恋をすると確信していたと伝えているようなものだから、この人は本当にとんでもない女に好かれてしまったと思う。
思えば、お父様は最低限身を守る魔法を掛けていたのだろう。
弓は見掛けよりも殺傷能力の高い武器で、それを古代から使い続けているエルフ族が射るのなら、威力は計り知れない。本来なら私も一緒に死んでいたはずなのに、お父様はそれを許さなかった。
だから、私に当たらないように、私の身を守っていた。
そう思うと、もう泣かないと思っていたのに自然と涙が零れた。
ほんの一筋だけの涙にもエスは気が付いてしまったらしい。何度も髪を撫でられて、余計に泣いてしまいそうだったからエスから離れる。
頬に残っている跡を拭ってから、エスを安心させる為に笑みを作る。
「エスは優しいね」
これだけは最初から知っていたことだ。本人がどれだけ否定しても私はそれを否定する。
優しいから私みたいな面倒な他者の言葉を聞いてしまって、優しいから私の曖昧な目標に着いてくると言ってくれて、優しいから、こうして私の為に苦しんでくれる。
そんな心を持っているから、エスは優しすぎるから、ティエラを守って生きていく為にその心を凍らせていたに違いない。
「俺は優しくない。お前だから心配で、代われるものなら代わってやりたくて、お前だから、守ってやりたい」




