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ショコラクリスタリゼ  作者: ななせりんく
第八章 激情と記憶
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9.ショコラ、真実と対面する。




 ……今、何て?


 立っていられなくなって崩れ落ちそうになった時、真下へと落ちる私をエスが支えてくれた。

 開けてはいけないものを一瞬抉じ開けてしまったせいか、頭の中は未だに変で、身体には力が入らなくて。私に呼び掛けてくるエスとティエラの声も聞こえているのに、何処か遠くて返事が出来ない。


 何とか持ち直して、エスの身体を借りて自分の足で立った時、乾いた砂を踏む複数の足跡がこちらへと向かってきた。



 登場を待つまでもない。どうやら待たれていたのは私達の方で、傀儡でも何でもない、しっかりと人の気配のある白い仮面達が立ち並んでいた。


「ここへ来たということは、漸くお前の呪いが解けたということか」


 呪いとは何を指す言葉だろう。代表して話す白い仮面の者は、前回エスを陥れようとした者と同じ声だった。

 それに、私は過去に何度もこの声を聞いたことがあると、今になって思い出す。


 白い仮面の者達が一斉に被り物に手を掛ける。

 後頭部で固く結ばれていた紐を解いた先で、次々と仮面の下から見事な金糸が溢れ出てきた。

 紅い夕陽を受けて陽炎のように煌めく金髪、青や緑の瞳と対面した時、二度目の眩暈がして片手で頭を押さえた。


「……エルフ族」


 もう彼等の正体は分かっていたはずなのに、実際に目の当たりにしてみれば現実を受け止めきれない私の代わりにエスが口を開く。エスの言う通り、彼らはエルフ族で間違いなかった。

 そこに立っているのは、私の過去の記憶通り、お母様以外誰一人欠けておらず、誰一人知らない者がいない。ただの一人も増えていないエルフ達がいた。



 全ての種明かしをするように、エルフ族の長は私が『忘れている』話を始めた。


 エルフ族は龍族よりも寿命は短いものの長寿で、龍族よりも稀少な種族だ。

 精霊の加護を受けて生まれたエルフ族の生態系は特殊で、一人の女性から一人の子どもしか産まれないようになっているらしい。

 だからこそ若い女性は大事に、確実にエルフ族を生み出す為に、決められたエルフ族の男性と交わることが掟となっていたと。


 二十年前、掟に従って結婚相手を決められていたお母様は輿入れする前日になって逃げ出した。

 それも、この世界では何れ捕まると確信していたのか、特定も出来ないようにして別の世界へと飛び込んでいったらしい。


 そして、私という異物をこの世界に持ち帰った。


 出産を間近に控えたお母様を罰することは出来ず、代わりに別世界へと逃げる術を取り上げた。

 制裁を考えていたものの、長年停戦していた氷龍族と地龍族の動きも怪しく、先伸ばしにしていた頃には戦争が始まった。

 過去類を見ない激戦は数日で人の住む場所を奪い、大地を枯らし、水を汚しては木々を腐らせた。

 神聖なエルフの森をも巻き込む龍族への鬱憤を爆発させていたエルフ族は、長らく保留にしていた裏切り者への制裁を思い出し、森と共にお母様を葬ることにしたそうだ。



 当時の記憶が完全なものになって流れ込んでくる。


 綺麗な空気は黒い煙に汚され、数百年と生きてきた大木が炭になろうとしている場で、お母様はエルフ族から制裁を受けた。

 私の目の前で崩れ落ちたお母様にはまだ息があって、何とか助けられないかと必死で傷口を押さえて声を掛け続けていた時、煙がくゆる空間に巨大な魔法陣が現れた。


 光の瞬くそこから飛び出してきたのは鮮やかな菫色の髪をした男性で、開口一番に「これは……?」と驚きの声を上げて辺りを見回す。

 お母様が死の淵に立たされている時に、突如現れた見知らぬ男性を気にしている場合ではないのに、私は男性を見上げたまま固まってしまっていた。


 燃え盛る森を見て、一頻り戸惑っていた男性だったけれど、全身に青い光を纏ったかと思えば、広範囲に水属性魔法を撒いた。

 男性が周囲の業火を消し去ると同時に黒い雨を浴びて、水を被った衝撃で意識を呼び戻された。手元でぐずぐずに濡れそぼる血の感触を思い出し、私はまた叫ぶ。

 お母様、死なないで! 喉から絞り出した私の呼び声に応えたのはお母様ではなかった。


 濡れた土を踏む音が聞こえたかと思えば、聞き慣れない声がお母様の名前を呼んだ。

 顔を上げた時には、男性の疑問系は確信に変わっていて、何度もお母様の名前を呼びながら白い光を纏い、お母様を抱き起こしている。


 その瞬間に私は確信した。この人がお母様がずっと会いたかった人、お父様だと。


 せっかくお父様に会えたのに、事態は最悪としか言えない状況だ。

 一度だけ瞼を持ち上げたお母様はお父様を見て嬉しそうに笑う。

 会いたかった、と唇が微かに息を紡いで、今までに見たことのない少女のような愛らしい笑みをしていた。


 普段からお母様としか話をしていなかった私は、咄嗟に何の言葉も出てこない自分に苛立つ。

 お父様はこの短時間で状況を把握出来たのか、何も説明出来ない役立たずの私に対して当惑しながらも柔らかく微笑んだ。

 指先すら動かなくなってしまったお母様を優しく抱き締めてから、お父様は私の目の前に手を差し出す。


「初めまして。それから、産まれてきてくれてありがとう。僕達の宝物」


 あの白い光では間に合わなかったのか、もう冷たくなってしまっているだろうお母様。私も、お父様も泣きたいだろうに泣けなかった。

 初めて触れるお父様の手は大きくて、強く握り締められた瞬間に広がった温かさに初めて涙が零れた。


「名前は何て言うのかな」

「ショコラ、です。お父様」

「そっか、ショコラか。可愛い名前を付けてもらったね」


 実際にお父様と呼ばれてみると照れ臭い、なんて言いながら、優しく頭を撫でてくれるから私の涙は止まるどころかひどくなる一方だ。

 森が燃えて家が無くなった。

 ずっと怖いと思っていたエルフ族が本性を現した。

 お母様が殺されてしまった。

 お父様に初めて会った。

 お母様がずっと会いたいと思っていたお父様に、ずっと会わせてあげたいと思っていたのに、現実にはあまりにも凄惨な結末が用意されていた。


 ただ泣きながらお父様の温もりに触れていられる時間は、そう長く続かなかった。

 矢が風を切る音が聞こえ、直後には近くの地面が抉られる。その一撃で、お母様が死んでも尚殺したい者がいることが分かった。

 ……他でもない私だ。


 真っ直ぐにこちらへと飛んでくる矢を氷の盾で防いだお父様は、私とお母様を抱えてその場から逃げ出す。


 森から抜けなければと、縺れそうになる舌を何とか動かして道案内をするけれど、何処までも広がる炎の海に道は閉ざされていて右にも左にも進めない。

 立ち止まっている時間が長くなる程に酸素が薄くなってきた。


「ショコラ、ちょっとだけ話を聞いてくれるかな」


 一度、私とお母様を地面に下ろして膝を付いたお父様は額の汗を拭う。

 お父様からの話は、幼い私にはとても難しいものだった。


 私が大人になって、この事実を受け入れられるようになるまで、この日の記憶を忘れていること。

 殺そうとしてくる相手を思い出して悲しみながら未来を歩んでいかないこと。

 必ず幸せになること。


 出来ない、とは言えなかった。「これはお父様との約束だ」と小指を差し出されたから。

 男性の太い指には掛けるのが精一杯だったけれど、お父様は何だか難しいことを呟いてから指を切る。

 その瞬間から、胸の内を食い荒らすつらさが和らいだ気がした。


 お父様はまた水属性魔法を辺り一帯に打ち込んでいく。赤い炎を次々と消して道を作る。

 景色が開けてきたところで、お父様の身体が衝撃を受けて傾いだ。苦しそうに堪える声を聞いてお父様その背に回り込むと、危ないからとすぐさま前に戻されて、お母様と共に抱き締められる。


 お父様は温かいのに、辺りはこんなにも熱いのに身体が震える。

 さっき見たものが見間違いでなければ、お父様の背には矢が突き刺さっている。


 その後も二度三度と射抜かれているのに、お父様は攻撃を防ごうとせずに消火にだけ魔力を駆使していた。

 もうやめて、と何度も声に出せば、「ショコラが逃げられなくなるから」と優しい声で制されるのがどうしようもなく恐ろしかった。

 このままでは、お父様も死んでしまう。


 また泣き出しそうになって、名前を呼ばれて頭を撫でられて踏み留まる。

 いつの間にか消火が終わったらしく、早く自分の治癒魔法に当てなければいけないのに、お父様は私の頭を抱えて別の魔法を掛け始めた。


「ショコラが大人になって、大事な誰かが出来て、その人から守ってもらえるようになるまでは、僕が君を守るからね」


 魔法ではなく呪術を口ずさんだお父様は、残りの魔力を惜しみ無く私の未来に向けて注ぎ込む。

 何度も何度も、お父様の身体が揺れる。私が火を点けられたように泣き出しても、お父様は私の頭を撫で続けるのを止めない。


 その手の動きが止まった時、矢が当たらずに逸れるようになった。


 既に氷みたいに冷たいお母様と、だんだんと温もりが欠け落ちていくお父様。

 このまま一緒に凍えてしまえたらいいのに。

 二人を抱き締めて何度願っても、私は二人の元へは行けなかった。


 私に向けられる攻撃は、それから一度も私には当たらなくなった。




 全てを思い出した時、エルフ族は私に向かって口汚く罵っていた。

 浴びせられる罵詈雑言の数々は私にとっては本当に今更なことで、ちょっとやそっとでは頭に入ってこない。

 私の心に小さな傷すら付けられやしない。


 様々な予想をしてきたのに悉く外れだった。

 真実を突き付けられて茫然としていた私の耳に「お前もあの女と同じで血を汚そうとする冒涜者だ」という言葉が届いた。

 それからは私宛てじゃなくて、お母様やお父様への怨嗟の声に変わる。



 近くで静かに事の顛末を聞いていたエスが、私を抱き寄せてから頭を包み込むようにして耳を塞いでくれた。

 もうこれ以上聞かなくていい、というように、力を込められる程に近付く心音。どうしてかエスの鼓動が、私のそれよりもずっと痛々しく音を刻んでいるように聴こえた。




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