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ショコラクリスタリゼ  作者: ななせりんく
第八章 激情と記憶
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2.ショコラ、誰かの記憶を見る。




 洞窟の奥へと進んで行くとまた拓けた空間に出た。

 さっきの場所とは違ってまだ奥があるみたいだ。また罠が仕掛けてあるんじゃないかと身構えていると、聞き慣れた声がもう一つの穴から聞こえてきた。


「もう僕絶対ユビテルとは組まない! フルミネの気持ちが痛いくらい分かるよ!」

「そんなつれないこと言わないでくださいよ」


 輝く金糸の髪と雪のような白髪の二人組、ユビテルとティエラが私達を見て笑顔になる。心なしかティエラが疲れ切っているように見えるのは気のせいだろうか。

 今にも泣き出しそうな素振りを見せて一目散に駆けてくるティエラの元に私も走っていって受け止める。


 話を聞くと、道中ユビテルが変な場所ばかりを分かって踏んでいるのではと疑うくらい頻繁に踏んだのだと。

 そのせいで、夕立のように槍が降ってくるのを間一髪で避けたり、道幅一杯の大きな岩が転がってくるのをユビテルの手を引いて逃げたり、仕舞いには穴から落ちたり、散々な目に遭ったらしい。

 話を聞いているだけでも「あはは、いやあ、参りましたね」とゆるゆる笑っているユビテルの姿が想像出来る。小さな身体でよく頑張ったと思う。


「……何かありましたか?」


 ユビテルが私達二人を交互に見て、にやにやとしながら問いかけてくるものだから瞬時に顔が熱くなってしまう。

 それが答えだと喜んだユビテルは、一等綺麗な笑みを口許に刷いた。


 そこからは収穫のあったユビテルの話を聞きながら奥に進んでいく。

 どうも、先に進む程に罠の殺傷力が高いものになっていくのを確認してここに辿りついたらしく、私達みたいに落ちてしまえば一本道というわけではなかったようだ。

 やっぱり確認の為にわざわざ踏みに行っていたのか、と怒り出すティエラを宥める。


 その罠の種類にも大昔に仕掛けられたと思われるものと比較的最近仕掛けられているのではないかと思うものが混在していたという。

 避ける度に一つは必ず獲得してくれるのだと、ティエラの身体能力の高さに大喜びの様子のユビテルにはもうティエラの抗議の声は届いていないようだ。


 古びた槍や、まだ輝きの残る短刀、それだけを見るだけでもユビテルの話を証明してくれる材料になる。

 その中に岩の破片のようなものが紛れていて、これは何の証拠なのかと首を傾げた時に「ああ、それはティエラが『こんなの埒があかないよ!』と転がってくる岩を殴り飛ばした結果ですね」とユビテルが朗らかに言うものだから、慌ててティエラの両手を掴んで怪我がないかと確認すればこれもまた無傷で驚いてしまった。

 さすがは人型最強、「一撃で木っ端微塵だったよ!」と、親指を立てて愛らしく笑ってくれる。ティエラの戦闘能力の高さを改めて実感した。


 ユビテルの話に聞き入るばかりで周りに気に掛けていなかったからか、ふと歩く速度を落とした時に何かにぶつかった。疑問符を浮かべながら後ろを振り返って見上げると、エスが私を見下ろしている。

 二人と合流するまではあれだけ離れて歩いていたはずなのに、こんなに近くでずっと私を見ていたの?

 静かに私の間抜けな表情を映している蒼色と見つめ合っていると、また頬に熱が集まってくる。たとえその瞳にあの時のような熱さがないとしても充分に恥ずかしい。

 どうしてこんなに近くにいるんだろう。心臓に悪い。


 そのまま談笑しながら先に進んでいくとまた広い空間に辿り着く。

 光る草花がより多く自生しているそこは、薄暗いのに明るいという不思議な状態になっていて、どうしてだか途轍もなく懐かしい気持ちにさせられる。それから、また自分がもう一人なのだという寂寥感に押し潰されそうになる。


 早くその理由に近づきたい気持ちと、それを知るのが怖いと思う気持ちに板挟みにされて、徐々に気道が狭まって塞がる感覚に陥っていく。

 一度深く息を吸って酸素を取り込んで、意を決して前に歩を進めた。


 急に靴底が立てる音が硬質なものに変わったと思った時には、平らな一枚岩の上に立っていた。

 ゆっくりとその先へと進めば、そこには巨大な円を描いて見たこともない文字列を端々まで書き込まれた絵があった。

 これが何なのかと、誰かに問いかけるよりも前に「転移用の魔法陣ですか」とユビテルが呟く声が耳に届く。


 これが魔法陣と呼ばれるものか。もう少し近付いてみると一部だけ新しく書き足された跡が残されている。

 読めたりはしないのに筆跡に見覚えがあったせいで、私は危険性すら考えずにそこに手を伸ばして指でなぞっていた。


「お母様……」


 紛れもないお母様の文字。

 そう呟いた時には意識が遠く引き摺られて、抗いようのない眠気に襲われていた。




 私の淡い陽に透ける紫とは色味が異なる、青みが強い鮮やかな紫。

 菫色の、少し癖のある髪が風にたなびいたのを目で追った時には、何の根拠もないのにそれが誰かの記憶なのだとごく自然に解釈していた。


「綺麗な色……」


 異彩を放つ菫色の髪の男性を見上げている女性は鈴を振るような声で感嘆した。

 そう感じるのは当たり前のことだった。私も、同じことを思った。


 こんな色彩は私のいた世界には存在しない。私こそが『異物』だと一目で証明できる色だから。

 思わずその二人に呼びかけようとして声が出ないことに気付く。この喉に元より声帯が宿っていないと思わせる。

 ここは、これは誰かの介入を望まないものだと諭されるようだった。


 輝く金糸、翡翠の瞳、その女性の顔には見覚えがあった。記憶の誰かを幼くして想像するよりももっと身近な。

 私自身を鏡に映したままの顔立ちをしているのだから。


 この空間に急に現れただろう女性に瞠目しつつも、菫色の髪の男性の対応は優しかった。

 訳も分からず辺りを見回している女性の、突拍子もないと言える経緯を何も疑わずに聞いていた。

 魔法陣を使って違う世界に逃げてきたのだという女性の言葉を信じた男性は、明るく人の良さそうな笑顔で「妖精に出会ったのかと思いました」と呟いては女性をからかった。

 この世界で初めて会った男性が思いの外良い人で気の抜けていた女性は、そんなことを言われるとは露程も思っていなかったのか、頬を赤く染めてから両手で顔を包み込んでいた。


 時を追うごとに二人の親密さは増し、信頼のおける関係から恋人へと移り変わるのに時間は掛からなかった。

 出自の知れない女性を不審に思う人は跡を絶たなかったけれど、男性はいつでも盾となって女性を守っていた。障害がより二人の想いを燃え上がらせたのかもしれない。

 何度も陸み合った後に女性の身体に命が宿った時、男性はとても喜んだ。あまりにも喜ぶものだから、女性が嬉しくて泣き出してしまうくらいだった。


 ……でも、その頃から異変は起き始めた。

 時間が経つ毎により強く、その世界は女性を拒絶した。逃げながら生活するのも、お腹が大きくなるほどに困難になっていく。現状と妊娠が重なって女性は精神的に疲弊していった。

 この頃、時々指先が透ける。男性に触れられない時がある。頻発するようになってからは半狂乱になって泣き叫ぶ女性を、安心させようと男性が抱き締めてもお互いに感覚がないことが増えて、二人揃って正常な判断が出来ない状態になっていった。


 それでも男性はずっと優しかった。決して現状に嘆いたり、女性を怒ったりすることはなかった。「何とかこの世界に留まれる方法を探すから」が口癖になっていたある日、出産を間近に控えた女性が腕の中で透けて、感触を探してもどこにも見つからなくなって、空気に薄れて消えてしまった。


 現実を受け入れられない男性は何度も女性が消えた場所を手探りして探し、暫くして床に額をつけて慟哭した。

 泣き続ける男性を見ていられなかった私は届かないと知りながら手を伸ばす。その背に触れようとした時、急激に意識を引き戻される感覚に落ちていった。


 お母様、お父様、本当にもう少しだったのに、私が決め手になれなくてごめんなさい。




 次に瞼を持ち上げた先には愛しい人の顔が間近にあった。ただでさえ白い肌が蒼白になっている。一体、何があったのだろう。

 自分がエスに抱えられているのに気が付いた時、その状態が先程まで見てきた誰かの記憶に重なって、あまりの恐ろしさにその胸に縋って泣いた。

 抱えてくれている腕に痛いくらいの力が籠る。


 お母様、私にはこの人の元にいられる可能性がほんの少しもない。

 もう時間がない。




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