9.ショコラ、落ちる。
蒼く光る程に美しい泉に感じる。不明の懐かしさに戸惑いを覚えながらも、こんな時に思い立ってしまったのがあの日に出来なかったことだ。
自分以外のエルフを虐殺されたあの日、私は本当に何も出来なかった。仕方なかったことだけど、それが今も引っかかって取れないのなら、今取っておきたい。
何から調べ始めようかと考えている皆に告げる。私はエルフ族のお墓を作りたい、と。
私一人のわがままなのだから皆はやりたいことをしていてくれていいのに、私のお墓作りを手伝ってくれるらしい。
埋めるものは何も持っていないから形だけではあるけれど、これで少しでも過去に置いてきたものが無くなればと、どこまでも自己満足だ。
泉の奥に、少しばかりの土を盛って地属性魔法を掛ける。地龍族の二人が居れば一瞬なのかもしれない。やっぱり私の魔力程度では大した変化は起こせない。そこに、水属性魔法に上乗せしてくれた時のように、エスが手を重ねてくる。
瞬く間に固められた土が岩になるのを見て、後ろでユビテルが驚いていた。「別の属性にも上乗せが出来るのですか」と。そう言えば、その話は雷龍族には伝わっていなかったのかと今更に気が付く。
岩をどうしようか悩んでいると、後ろから肩を掴まれて退かされる。「危ねーから退いてろ」と、フルミネに短く声を掛けられた。
素直にそれを聞き入れて後ろに下がると、フルミネが腰から剣を引き抜いた途端、何度も風を切る音が聞こえてきたかと思えば、岩が綺麗に整えられていた。しっかりと墓標まで刻まれているのを見て、感激に御礼を口にすれば、大したことはしていないと顔を背けられてしまった。
フルミネがあちらを向いた辺りから、後ろから冷たい空気を感じるのはエスだろうか。そう言えばエスには御礼を言いそびれていた。遅れてしまったけれど伝えれば、どうも機嫌が悪いような気がする。
ついでみたいに聞こえたのかな? エスにはいつも本当に感謝しているんだけどな。
私は何をするにも皆に助けられてばかりだ。これまでの時間も全部、皆が私にくれたものだ。
私だけが生き残ってよかったのかと、檻の中では幾度となく思った。一周回って路頭に迷わなかったのは仮面の者達のお陰だと思ったりもした。何が正しくて何がおかしいのか、もう分からないし、今更遅い。
だけど弔うことはできる。たとえこれがただの自己満足でも、私を微塵も愛してくれてはいなかった人達は、私がこんなことをしても嬉しいとは思わないと思うけれど。
もう一つ、隣に小さくお母様とお父様にもお墓を作った。
ちょうどいい大きさにしてくれるエスもすごいし、一回り岩が小さくなっても正確に彫ることができるフルミネもすごいのに、二人はお互いを睨み合ったままだ。
どうしたものかと思えば、ティエラが「大人げない雄って微妙だよねー」と壮絶な切り込みを入れていた。
出来上がったお墓に花を供える。これも私の樹属性魔法にエスが上乗せしてくれたものだ。
ユビテルはそれにも驚きながら、モルニィヤ共々何もしてあげられることがなくて申し訳ないと謝ってくれたけれど、そんなことはない。誰も私がお墓を作ることに否定的な反応をしなかったし、こうして見守ってくれていた。皆は本当に優しい。
「皆、ありがとう。遅くなっちゃったね。どこから調べていく?」
「手始めに、あそこからがいいですね」
そうユビテルが笑顔で指し示す先には、ぽっかりと口を開けた洞窟が今か今かと私達が入ってくるのを待っていた。
手始めにと言いながら、いきなり難易度の高そうな場所を選択するのがユビテルらしい。
私がお墓を作っている間にも、ユビテルはあの洞窟が一番気になっていたと。どうも磁場が狂っているような不思議な空気が流れ出てきていると言い出した。
聞けば聞くほど危険な香りしかしないけれど、モルニィヤに至ってはわくわくさえしている。さすがはこの兄の妹、ちょっとやそっとの冒険は慣れているようだ。
盛り上がりつつある空気の中、エスは洞窟に近づいて手を入れたり出したりした後に戻ってきた。そして、皆に問う。魔力以外で戦える術を持っている者がどれだけいるか、と。
何に気が付いたというのか。魔力を使わない場合、ティエラとフルミネ、私も申し訳程度の剣が扱えるくらいで、素手のユビテルとモルニィヤ、エスは場合によっては危ないこともあると思う。
エス曰く、どうも磁場の乱れのせいか力が抜けるのだと。その力の抜け方が体力というより魔力に左右されているものだと推測している。ここで、洞窟に入る前に二人組を作ることになった。戦えない面子が危ぶまれる状況になった時、戦えるものが守れるように。
二人組は、ティエラとユビテル、モルニィヤとフルミネ、私とエスに分かれることになった。私の場合は、私の剣の片方をエスが扱うということでつり合いを取った。……情けない。
洞窟の中に入った瞬間、皆は一斉に呻いた。エスの言っていた魔力に作用するという磁場の乱れのせいだろうか。
何故か、私は何ともない。エスは声の一つもあげなかったけれど、顔のどこかに力が入っている気がする。何となく、いつもの無表情にしては固い。
外から見れば真っ暗に見えた洞窟も中に入ってみればそうでもなかった。至るところに光る草花が自生しているのか、明るいと感じるくらいだ。
こんな変わった洞窟に何か隠されているのだろうか。何も出ないならそれはそれでいいと思う。ここまで来ておきながら、私はまだ新しく何かを知るのが怖い。
「昔からあるものでしたら、何か仕掛けでもあると面白いですのに」
ただひたすらに進んでいた時、モルニィヤが愛らしい声ですごく余計なことを言った気がした。「そんなもんあったらたまんねーよ」とフルミネが一歩歩み出た時、重く引き摺るような音と共に岩か何かが動く音がした。
奥で何か金属のようなものが光ったかと思えば、エスに腕を引かれて伏せることになる。直後に鋭利なものが風を切って頭上を通り過ぎていった。一気に血の気が下がる。冗談では済まされないことになっているのかもしれない。
「仕掛けというか、罠というか……これで、ここに何かあるのは確定ですね」
落ち着いた口調はいつも通りで乱れることはなく、ユビテルは飛んできた何かを掴んでいるらしいティエラの手元を見ていた。
錆び付いた金属製の矢だ。相当の年季が入っている。……ティエラはこれを素手で掴んで大丈夫だったのだろうか。よく掴めたものだと思う。
ユビテルはその矢を調べながら、どんな種族が何の目的で何を守ろうとしているのか考え始めていた。
たったの一撃では情報が少なすぎると、フルミネに犠牲になるように冗談を持ちかけているけれど、その隣で「冗談でなくてもよろしいのよ?」と可愛い笑みを浮かべるモルニィヤが天使でありながら悪魔のようだった。
それにしても怖かった。誰も怪我はしていないみたいだけど、入ってきた者を殺そうとするなんて。
皆は強い。だから攻撃された後でもこの和やかな空気を作り出せる。良いことなのかもしれない。でも、序盤からこれでは先が思いやられる。
隣にいるエスが手を握ってくれる。安心させてくれようとしているのかな。ありがとう、と口にしようとしたら「次に何か踏む可能性が高いのはお前だな」と真顔で断言された。エスまでこの空気に混ざらなくていいのに。
何もないのが逆に恐ろしい。暫く何もない道を歩き続けていた。ずっと一本道とも行かないようで、先は私達を待っていたかのように三つの穴に分けられていた。
仕方なく分かれて進むことになる。皆わいわいと暗い穴の中に姿を消していく。また誰もが無事で合流できればいい。出来るはずだと思っても、不安が拭えないのは何故だろう。皆の力を信じているのとは別の嫌な予感が迫るのはどうしてだろう。
エスの隣を歩きながらも心臓は大きく音を立てていた。当たってほしくない予感程当たるのはどういう原理なのだろうか。
暗い道を一歩また一歩と踏みしめていた時、固いはずの地面が軽い絨毯のように、ふわり、と柔らかくなるのを感じた。それから、その軽い絨毯が私の足を受け止めてなどいないと気付くまでが遅かった。
落ちる。
抜け落ちる足場と、思いのほか感じていたよりも激しい崩落の音が耳に届いている。なのに声を上げることも、叫ぶことも出来ず、ただただ真っ暗な闇の中で愛しい匂いに包まれる感触だけをしっかりと感じ取っていた。
強く走る衝撃の中、何の痛みも感じていない私の耳は聞きたくもない音を聞くことになる。
骨が砕けるような、なんとも鈍い音を。




