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ショコラクリスタリゼ  作者: ななせりんく
第七章 二重の欠落と謎解き
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4.ショコラ、苦しみを吐露する。




 エスに近づくのが少し怖くなった私は臆病だろうか。


 その日は極力エスのいない場所を選んで過ごした。重要書類の関係で忙しいだろうし、モルニィヤともお話がしたかったから、ちょうどいいと思う。


 お茶を飲みながらあまりにもそわそわしすぎてしまって、モルニィヤから「様子を見に行ってみます?」と聞かれた時は全力で首を振った。

 笑われてしまったけれど、私にとっては笑いごとじゃない。「エストレア様とはどこまで進まれたんですの?」「情熱的なお方ですから、本当は片時も離したくないのでしょうね」と、モルニィヤは私が大して返事をせずとも話を進め、恋は素晴らしいと頬を染めて楽しんでいた。

 どこにも進んでいなければ、片時も離したくないなんて、エスはそんなことを思ったりしないだろう。話が飛躍しすぎて、あまりにも恥ずかしすぎる時間だった。



 夕方、部屋に戻ろうと歩を進めていた時、ちょうどユビテルを見かけて声を掛けた。外套なんて羽織って、どこかに行くのだろうか。


「大人のお楽しみですが、ショコラもついてきますか? ああでも、後でエストレアに怒られそうですね」

「行きます! ……エスは、関係ないじゃないですか」


 大人が何をして楽しむのかは分からないけれど、少しでも長くエスの傍から離れられるのなら、何処にでもついて行きたい。それに、目を覚ますまでに暗闇の中で見た内容のことも、ユビテルなら何か分かるかもしれないと思ったから。

 声が沈みがちになってしまうせいで分かってしまったのか、ユビテルは何も聞かずに柔らかく微笑むと、「では、離れないでくださいね」と優美な動きで手を差し伸べてくれた。



 ユビテルに手を引かれて連れてきてもらった場所は酒場だった。それも、庶民的なお店ではなくて、ちょっと高そうなお店だ。

 私も一応飲める歳ではあるけれど、今までお金がなかったし、あまり口にしたことはない。こんなおしゃれなお店に入るなんて緊張する。


 違う国の、多分来たことがないお店のはずなのにユビテルの様子は慣れている。ユビテルと言えば、執務の休憩でお茶を点ててのほほんと寛いでいる姿ばかり見てきたから、こういう大人っぽい部分を見ると別人のようで、それが更に緊張に繋がった。

 メニューを見ても何が何だか分からないくらいおしゃれな名前が並んでいる。ガチガチに固まっている情けない私の様子に気が付いたらしいユビテルは、また優しく笑って甘いジュースを教えてくれた。


 出てきたジュースもお酒みたいで綺麗な色をしていて、思わず笑顔になってしまう。透明のソーダの中に紫色が沈んでいるのを掻き混ぜてみると、底からチェリーとブルーベリーが浮き上がってきて、エスのことを思い出してしまった。


「何があったか、僕は途中参戦なので詳細はよく知りませんが、ショコラが心配するような状態ではないと思いますよ」

「え、あ……」

「エストレア、見目は神が創造した美術品と例えて差し支えないですが、彼も雄ですからね」


 確かに差し支えない。綺麗という言葉ではまだ失礼な程の美貌で、好きだと気が付いた時には恨みすらした。こんなの、私がどれだけ頑張って綺麗になったとしても隣にふさわしくないと。

 それに、私にはその『雄』というのがそもそもよく分かっていない。今回の拒絶も、何か本能からのものなのか。詳細を知らないユビテルですら分かる程、簡単なものなのか。


 私にもその内分かる、と付け加えてくれるけれど、モヤモヤは晴れないままだ。

 男性の考えていることって、難しい。


「ユビテル、魔力って、他人に移したり出来ますか?」

「治癒の場合でしたら出来ますよ。やり方は簡単です。口移しするだけ」


 口移し……? 思いきって聞いてみたことだけど、じゃあ、あのキスは、もしかして私に魔力を移して治癒魔法をかけるためのものの為だったんじゃ……。

 物凄く都合の良い勘違いをしてしまっていたのかもしれない。羞恥に駆られて顔が熱くなる。ユビテルは何も知らないのに、逃げ出したくなる。


「簡単ですけど、実際使用した例はあまり聞きませんね。代償があまりにも大きいので」

「代償ですか……?」

「ええ、寿命、数十年から数百年単位で持っていかれます。相手の状態にもよりますが、寿命の長い種族や、瀕死だと、受け渡す側が死ぬ可能性もありますしね」


 思わず立ち上がってしまった。周りのお客さんやお店の人が何事かと私を見てくるけれど、ユビテルに座るよう促されるまで耳すら聞こえていないようだった。

 私の反応で全て悟ったらしいユビテルは、道理で私からエスの魔力の匂いがすると思ったと、至極自然な話のように口にして、綺麗なお酒を含んでいた。


 なんでそんなに当たり前みたいに言えてしまうのだろう。今の話だと、エスは私のせいで数百年単位の寿命を失っている。

 あの時の私はいつ死んでもおかしくなかった。それに、私は龍族程ではないにしろ長寿な種族だ。大変な量の魔力が私の中に流れ込んでいるはずだ。


「なんで……なんでそんな……っ」


 泣き出しそうになる私の手を掴んで、ユビテルはどこまでも美しい笑みを見せた。


「決まっています。自分より、貴方が大切だからです」

「そんな、はずは……」

「ないと言えますか? なら、この言い方に変えましょう。エストレアは貴方を失うのが怖かったのです」


 私を失うのが怖かった。その言葉に、眠る前に私を抱え込んだエスの姿が重なった。

 エスはとても優しい人だ。自分のことはどうでもいいと、その命すら軽く見積もっているのに、自分の為に誰かが死ぬのは許せない人。

 また違う方に勘違いしているような、とユビテルは呟いていたけれど、エスの優しさは計り知れないものだから間違いじゃない。


「彼は感情が薄いかもしれませんが、負の感情には過敏だろうと思いまして。特に、ティエラとショコラのことに関しては」


 何だかよく分からないけれど、同族と認めたものには、という話だろうか。首を傾げたままでいると、ユビテルは私の目尻に零れていた涙を拭い取ってくれた。


「悪意や負の感情に過敏と言うことは、好意や良い感情には疎いということでもあります。これはエストレアに限らず、ショコラにも言えることですがね」


 言われてみれば、今まで好意なんて向けられていたことがほとんどないから、それがどういうものかよく分からない。悪意は浴びる程感じてきた。これは、私が『異物』だからなのか、元々嫌われやすい何かがあるのかは分からないけれど。


 ユビテルは、だからこそ上手くいかないことが山ほどあるのだという。自惚れろというわけではなく、少しくらいは勇気を持って周りを信じてみてほしいと。

 それは私には難しい課題だった。だって、怖い。今までどれだけ自分が相手を嫌っていなくても嫌われ続けてきた。今がおかしいと思えるくらい。

 皆が私に優しくしてくれる。そんな皆のいない世界に弾き出されてしまうのは今から恐ろしい。エスもそうなのだろうか。だからエスは、私がいなくなるのを怖いと思ってくれたのだろうか。


「この流れでなんですが、良くない事実をお話ししますね。ショコラのお父様は、現状生きている可能性が限りなく低いです」

「っ!」


 もしかして、そこまで調べられていたから来た、という理由もあるのだろうか。

 聞くところによると、数多ある異世界の中でも魔力が存在している世界は数が少なく、その中で私に近い遺伝子は見つからなかったという。

 私が感付いている通り、お父様の種族がこの世界にはいない種族であった場合、私が『異物』と判定されて弾き出される可能性も高いと。全属性持ちも異世界では普通みたいだけど、この世界で全属性持ち自体が異物と判定されてしまう可能性も無きにしも非ずと。


「お父様の件、本当に申し訳ございませんでした」

「いえ……ユビテルは悪くないですし、何となく分かっていた気もします。何だか、その結果で安心している自分もいて……」


 薄情な娘ながら、少しだけ精神が大人に近づき始めてからというもの、お父様という存在自体に疑問を抱くようになっていた。

 お母様があれだけ欲しがった男性、ならば、お父様も消えていくお母様に気が付いて何かしてあげなかったのか、と小さな怒りが出てきていた。でも、もう亡くなっているのなら、やっと空の上で会えたのかもしれないと安心した側面もあった。何だかぐちゃぐちゃだ。

 説明もぐちゃぐちゃなのに、ユビテルは綺麗に微笑んで「会えていたらいいですね」と返してくれるから本当に優しい。あらぬ責任まで感じさせてしまって、申し訳ないのは私の方だ。


「ユビテルは、誰かの為の言葉ばかり選びますね」

「……そうですね。自分の意思は、最後です」


 ユビテルは今日だってずっと、私やモルニィヤのことばかりだった。どこか打算的に見える部分も、結果的には回り回って誰かの為になるようになっている。ユビテルがしていることなのに、そこにユビテル自身の意思はないみたいに思えていた。


「ああ、ご心配には及びませんよ。今実現したいことは、結果として自分の為にもなることですので」


 眉を下げて笑い、どこか遠くを見ていたけれど、それはユビテルが実現させたい何かを見ていたのだろうか。


 綺麗に話が戻され、異物の件は私がこの世界に生まれてから長い時間が経つ以上は時効だと、話を切り上げてしまおうとするユビテルを引き留めた。

 昨日見た夢の内容と、記憶が朧気になっていく時期があることを伝えていく。

 エルフ族は金髪に青や緑の瞳。それは覚えているけれど、どんな人がいて、どんな風に嫌われていたかは少しも思い出せない。今に至っては、お母様の顔さえも思い出せなくなっている。それを伝えていると、ユビテルは難しい顔をして考え込んでしまった。

 そこに付け加えて、夢で思い出したお母様の話も伝えていくと、珍しく頭を抱え込んでしまうものだから、話しながら不安が募る。


「ここまで来て嘘は吐けませんのではっきり言いますね。……ショコラはもう、この世界との『接続』が切れかかっています」


 その言葉から先を、ユビテルは本当にはっきりと推測してくれた。

 記憶が朧気になる点。私が半分、異世界の遺伝子を持つ為、お母様がいた期間――子どもの頃の記憶に混濁が生じているのではないかと。

 この世界から異物と認定される点。今まで他者から本能的に異物だからと嫌われ、一人にならざるを得ない状況にいたのが、この世界の者――龍族と関わりを持つことで、私の身体自体が違和感を持ち始めているのではないかと。……このままでは、近いうちに弾き出されるかもしれないと。


 暗闇の中から出る前からずっと感じていた、最悪の事態に陥っているという感覚は間違いではなさそうだった。

 夢の中で、お母様はあっちで私を産めていたら、と可能性をちらつかせていたけれど、私はお母様と違ってこっちの遺伝子をこの身に宿してはいない。


「数日以内に対策をってショコラ!? それは甘いですが強いので、あー、遅かったですね」


 考えれば考える程にどうしようもなく思って、自棄になってしまった私はユビテルのお酒を奪って、そして呷った。甘く感じたのに、喉を通る瞬間は焼けるようで、一気に身体が熱くなっていく。

 目を見開き、瞬かせているユビテルの表情が歪んで映る。


「どうしても、残りたいんです。エスが好きなんです。だから、この世界にいたい……」

「ええ、分かっていますよ。全力を尽くしますから、そんな風に泣かないでください」


 笑顔だけは判別できるみたい。何だか急激にぼうっとする。

 何の脈絡もなく気持ちを吐露したのに、ユビテルは私の言葉に驚いたり引いたりすることなく、人目も憚らず泣き続ける私の頭を撫でていてくれた。




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