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ショコラクリスタリゼ  作者: ななせりんく
第七章 二重の欠落と謎解き
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1.ショコラ、欠落に気付く。




 時計塔の上は鳥籠のような形で吹き抜けになっているのだと、私の知らない『この国』についてお母様は話してくれた。

 私の世界は森の中ばかりで、たまに連れられてくる『この国』は、別世界のようだった。

 周りを見渡せば樹々が立ち並んでいる森とは違って、たくさんの建物や、色んな人々が歩いていた。足下だって、柔らかい土じゃなくて綺麗に舗装されている。

 雪が積もっても滑らないように加工された道に始まり、白から生成と落ち着いた色合いで纏まった街並みは、絵本に出てくるお話の世界のようで心躍る光景だった。


 だからはしゃぎすぎて迷い込んでしまった。


 お母様の姿が見当たらない。森がどの方角にあるのかも分からない。

 おろおろと辺りを何周も見回し、弾かれたように走り出しては似た建物の間を通り、変わっているように見えない景色の中で立ち竦んだ。

 もう足が疲れてしまった。お母様も見つからない。

 ごめんなさい。私が周りを見ずに走り出したから。お母様の話を聞かずに手を離したから。

 お母様ごめんなさい。私のことを、嫌いにならないで。私を見つけて。


「うーん……変わった色だけど、この肌の色、耳の形、君はエルフ族かな?」


 泣き出しそうになっていたところで、近くに立ち止まった男性から声を掛けられた。

 穏やかで心地の良い声なのに、お母様以外の人が恐ろしかった私は、その人をおそるおそる見上げては後ずさった。

 蒼い騎士服に身を包んだ男性は、深海を思わせる蒼い髪に、瞳の色が私と同じ焦げ茶色をしていた。

 彩度の低い瞳は大きく見えるせいで童顔に見えるのだと、だから大きくなっても貴方は可愛らしいままでしょうと、お母様がよく言っていた。


「うん、お兄さんは、どうがん……?」

「あはは、初対面の女の子に顔のことを言われるのは初めてだな。そうだよ。童顔。こう見えて歳食ってるんだよ」

「おじさん? おじいさん?」

「出来ればお兄さんがいいな」


 私の背丈に屈んだお兄さんは、困ったように笑いながら私の髪を優しく撫でてくれた。

 躊躇わず触れられたことに驚いてビクリと反応してしまったけれど、このお兄さんは、私の薄紫の髪が怖くないらしい。この色を見て顔をしかめたりしない。私が、嫌いじゃないらしい。

 じゃあ、私もこのお兄さんは怖くない。このお兄さんは好きだ。

 たった二、三言交わしただけでも分かる。この人は、とても良い人だと。


 お兄さんは私の周囲を見て迷子だと確認すると、そっと私の手を包み込んだ。

 エルフ族の棲む森の近くまで送ってあげる。そう言われた瞬間、すごく安心して笑みが零れた。


 子どもの私より一回りも二回りも大きな手は、お母様のように滑らかではなくて、マメが出来ていたり、皮が捲れていたり、その綺麗な顔に似つかわしくない触り心地で驚いた。

 大人の男性は、よく分からないけれど大変なのだと、幼いながらに思ったものだ。



 森が見えてきてホッと息を吐いた。帰って来られた。ここでお母様を待って、このお兄さんに助けてもらったのだと伝えたい。


「お兄さんありがとう」


 笑顔で見上げた先で、お兄さんも優しげな笑みを浮かべていた。ゆっくりと離される手が少しだけ寂しい。


「どういたしまして。もうはぐれないようにね。この国は、まだまだ安全とは言えないから」

「うん。この国、お兄さんが守ってくれてるの?」

「そうだね。偉い人に言われてね。俺の主は君より少し大きな男の子なんだけど、間違った指示は絶対に出さないよ」


 私より少し大きな男の子が、この国を守る為の指示を出している。にわかに信じがたいけれど、王族というものの仕組みが分からない私には、そうなんだ、としか言えなかった。


「お仕事、がんばってね」

「がんばるよ。王都から離れた森に棲む君まで守れるように」


 お兄さんは誓うように、私の髪を一房摘まんでそこにキスを落とす。

 何だか、とんでもなく恥ずかしいことをされた。頬に溜まる熱を感じながら、笑顔で去っていくお兄さんに手を振った。



 暫くその付近に佇んでいると、お母様が迎えにきてそれはそれは怒られた。

 一人で走り出したらダメだと、無事で良かったと。抱き締めて髪を撫でてくれるお母様に、ここまで連れてきてくれた優しいお兄さんがいたのだと、伝えようとした時だった。


「龍族……!」


 私の存在を隠すように強く抱き込まれて苦しさにもがく。お母様の腕の隙間から見えるのは、蒼い騎士服を纏う男性の集団。その集団が去った後にお母様は解放してくれた。


「蒼い髪は龍族よ。龍族は私達を守ってくれる。国民の意見を聞き入れて、現状をああして視察しては良くしてくれようとするの。だけど、近付きすぎてはいつ命を取られるか分からない、とても怖い種族なの」


 捲し立てられる言葉は信用しがたいものだった。

 つまり、あのお兄さんはそのとても怖い種族。お母様の話に間違いがあるとも思えない。

 でも、あのお兄さんは私を助けてくれた。守ると言ってくれた。この特殊な髪を撫でて、当たり前のように触れて、笑いかけてくれた。それだけは私の知る事実だ。


「本当に、そうなのかな」

「ショコラ……?」


 お母様は訝しげにこちらを見てくる。これ以上は言わない方が良いかもしれない。子どもながらに気を遣った私は、話題を変えようと、お父様の話を聞くことにした。

 お父様の話なら、お母様ももう怖い顔をしたりはしないだろうから。


 私の顔立ちはお母様に、髪や瞳の色はお父様に似ているそうで、お母様は私の髪をとても愛おしげに撫でてくれる。

 だからお父様の話なら、どんな時でも幸せそうに話してくれる。それでも今回ばかりは選択肢を間違ってしまったらしい。

 お母様は何故、大好きなお父様の元に残らなかったのか。それを聞いた途端、お母様は深く沈むように悲しそうな顔をした。


「残りたかったわ。でも、引き戻されてしまったの」

「引き戻されて?」

「そうよ。お母様の生きる世界は『こっち』だったから」


 幼い頭にはどうにも難しい。異世界のことも、絵本に出てくる絵のようなふわふわとした想像しか出来なくて、ただそれは『在る』のだと記憶するのが精一杯だった。

 首を傾げたままの私に笑いかけてくれたお母様は、私の薄紫の髪に優しく触れて梳いていく。


「あの人のね、鮮やかな菫色の髪に惹かれたって、前にも話したでしょ? 馬鹿みたいな話だけど、その髪に一目惚れしたから、あなたにその色が遺伝して良かったわ」


 唐突に変わる話について行けないまま、ただお母様の手の温もりに安心していた時だった。急に髪を強く掴まれた私は、突然の痛みに顔をしかめる。


「いっ、いた……っ」

「あっちで産んでおけば、残れたかもしれないのに」

「っ、おかあさ――」

「私が欲しかったのは、あの人だけだったのに」


 何処か遠くを見つめてぶつぶつと呟いていたお母様は、ハッとしたように私の髪から手を離し、何度も謝りながら、何度も何度も優しく私の頭を撫でてくれた。


 お母様は時々、大きな後悔に苛まれるのか、私を憎らしいと言いたげな目で見てくることがあった。

 恐ろしいと思ったけれど、私は他のエルフ族の皆にも嫌われている。

 お母様にまで嫌われてしまったら、私は一人ぼっちになってしまう。

 大丈夫。お母様は私のことを愛してくれている。ただお父様を重ねているだけじゃなくて、私を、私自身を愛してくれているはず。


「指先からね、消えていくようだった。あの人に触れられなくて、最初は気のせいだと思っていたのに、どんどん、あの人は私の姿を見つけられなくなって……私はここにいるのに、あなたの傍にずっといたのに……」

「お母様、もういいの。ごめんなさい。私が悪かったの」


 必死で自我を失いそうなお母様を宥めて、それしか言葉を忘れてしまったように謝り続けて、やっと正気に戻ったらしいお母様と、手を繋いで森に戻る。

 何も無かったかのように振る舞うお母様は何処か怖かったけれど、それでも私はもう笑えた。

 この手を握られればそれでいい。子どもの私には、お母様に縋る以外に方法はないのだから。



 私はずっとここにいてもいいんだよね? 引き戻されるなら、もっと早くにお父様の元に行けているはずだ。

 じゃあどうして、どうしてこっちの人達は、こっちの世界は、私の存在を拒絶するのだろう。どうして、大事な人が増える度に色濃くなるのだろう。


 これが、振り返るだけじゃない私にとって都合が良い夢なら、この理由を突き止められる発言をしているお母様を記憶の中から捜すのに。

 私にも、お母様以外の好きな人が出来た。髪に一目惚れなんて、そんなに馬鹿みたいな話じゃない。私も同じだったから。やっぱり、私はお母様の子どもなんだって思った。

 お母様と同じで好きな人の元にずっといたい。なのに、他にも大事な人達が出来て、その人数が増えていく度に不安が募って確実なものになっていく。


 いつの間にか、小さな私は暗闇の中に立っていた。

 森を探して、お母様の姿を捜して、都合良く理由を見つけられたならと必死で捜した。


 暗闇の中にお母様の姿を見つけて駆け寄る。聞けばきっと教えてくれるはず。

 お母様、どうしてあっちに残れなかったんだと思う? どうしてこの世界で大事な人を増やしていくと、同時に違和感が増していくの?

 息を切らして私はお母様の顔を見上げた。


 そして、思わず息を止めてしまう。

 顔が、ない。

 そもそも、私は何故この女性を『お母様』だと思ったのだろう。どうやって判断したんだろう。


 どうして、つい最近までは鮮明に思い出せたはずの、お母様の顔が思い出せないんだろう。




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