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ショコラクリスタリゼ  作者: ななせりんく
第六章 愛称と真の恐怖
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◎10.ティエラ、兄の幸せを願う。




 願い続けていることがあるとするならば、それは兄、エストレアの幸せだ。


 ぼんやりと不確かな記憶の中には、泣いてぐずればあやし、愛を求めればそのような形のものを与えてくれ、間違えば怒ってくれる少年がいた。

 産まれて間もなかったティエラは少年が自分の親なのかと思っていた。しかし、少しずつ言葉を操れるようになるに連れ、親ではなく兄であることを認識した。

 そして、まだ幼さの面影の残る少年が、小さな弟を育てているこの状況の異質さにも追々気付くこととなる。


 龍三割という魔力の弱さが異端であることを知るのはもう少し先だが、それ故に人型に近いティエラからすれば兄はかなり変わっている生き物に映った。

 表情の変化は微々たるもので、人型のことがあまり分からないのか、笑いかければ戸惑う仕種も見せる。人型の習性からすれば愛をもって育ててくれている者に懐かない方がおかしい。その為、兄に対して純粋に『好き』だと近付いた時に首を傾げられるのがティエラにはよく分からなかった。


 そんな時期もすぐに通過する。

 怜俐な兄と同じ遺伝子を引き継いでいたティエラは、五歳という幼さにして様々な知識を身に付けていった。自分達氷龍族を含む龍族について、魔力の割合について、人型について。理解出来るものならと、何にでも興味を持っては学んだ。

 聡慧と言えば聞こえはいいかもしれないが、その利発さが本来あるはずの子どもらしさを早々に消し去っただけに過ぎないと本人は考えている。


 人型の少年から青年になる年齢に差し掛かった兄は、それこそ凶悪な程に美貌に磨きをかけていた。

 数年傍で見ていても史上最強と思われる魔力量のせいか、人の成りをしていながら龍である性質が強い。正に王者の風格だ。

 無表情で何でもこなしてしまう辺り完璧だと思っていた。それは違った。兄は万能ではない。

 帰ってきてはいきなり倒れる程ひどく疲れている時もあれば、妖しい色気と共に本能からの欲にまみれている時もある。

 どんなに出来た兄であっても、生きることの厳しさと習性からは逃れられない。


 兄は多くを語る性格でもない為に詳細には教えられていないが、生きる為にしている仕事の中でも、雰囲気だけで察してしまうくらいに良くないと感じるものがあった。

 それでも兄の美しさは損なわれることなく、寧ろ苦労を重ねて深みを増している気すらする。

 感情が稀薄でなければ、自分を育ててきた時間は耐え難い苦しみがあったのではないか。そう感じても待っているだけしか出来ない。笑いかけるだけしか出来ない。

 何も出来ない自分の無力を呪った。



 転機は訪れる。

 本からの知識に寄ると、龍族とは絶対権力の支配者だ。下々の種族の龍族への反応は、恐れを抱いて遠ざけるか、取り入ろうと立ち回るかがほとんどと見受けられた。

 ちょっと変わった色の女の子を見掛けただけ。食べたくなるような甘い良い匂いがしただけだった。


 渓谷に迷い込んできたのか、如何にも穢れを知らないと見える純真な少女は優しく話し掛けてくる。それだけでも驚くべき出来事なのだが、ドラゴンの姿の自分に臆せず、慈愛を込めて固い肌を撫でてくれた。

 賭けてみたいと思った。ドラゴンの姿であっても龍族を恐れないこの少女なら、と。


 兄は思っていたよりも頑固だった。

 それもそうだ。何年も隠れ住んでいて、いきなり感情豊かな人型の女の子を連れてきても混乱する。

 少女の話す言葉は自分には分かるが、兄には想像を絶する量の脳内変換が必要になる。急なそれに対応し切れるわけもなく、兄が選んだのは拒絶だった。

 分かりやすく噛み砕いた言葉を選んでも停止している時がある兄のことだ。あれだけ捲し立てられれば一つ一つの処理に時間が掛かる。

 それでも希望を見出だせたのは、拒絶した際に少女が見せた絶望に触れて、兄が後悔に似た感情をちらつかせていたからだった。


 少女と行動を共にするようになってからの兄の変化には目を見張るものがあった。

 人型からすれば寒風吹き荒ぶと言っても過言ではない程冷たく、表情の無い兄に無条件に笑いかけ、幼い好意を全力でぶつけていく少女。それを必死で理解しようと受け止めることを試みては苛ついている兄。

 様々な感情を次から次へと繰り出され、四苦八苦しながらも処理している兄を端から見ていると、面白くて笑ってしまいそうになる。


 少女が笑えばそのゆるんだ頬に手を伸ばし、悲しめばその頭に手を乗せる。転けそうになれば腕を掴んで引き上げ、泣き出せば流れ落ちる涙を拭う。

 自分の子どもの頃よりも手の掛かる少女を相手に第二の子育てが始まっているようにも見えたが、やはり子どもではなく女であることは分かっているようだ。


 美麗な見目に似合わない粗暴さが兄にはあったはずだ。

 これは自分が悪い話だが、幼い頃は怪力を持つ自分の力加減が分からず、兄弟喧嘩が軽い殺し合いになったことが多々ある。

 ちょっと殴れば体格差はあれどかなり飛ぶ。兄はぶっ飛ばされては空気も凍るような低い声で怒り、容赦なく殴り返してくる。

 兄が大人気ないわけではない。木の二、三本薙ぎ倒す勢いで殴れば誰だって怒る。喧嘩で流血沙汰など何等珍しくもない。お互いの涼しげな美貌にそぐわず、男兄弟ならではの激しさがあった。

 人型としての能力値はティエラ程ではないと言っても、剣術までその身体に叩き込まれている兄の拳は充分に重い。兄は兄で人型を持て余しているのを、事ある毎に感じ取っていた。


 そんな兄が壊れ物に触れるかのように少女を撫でる。時には目を覆いたくなる程に甘やかしている。

 お陰で力加減が分かってしまったのか、少女の扱いが板に付いてきた辺りから撫でられると何処と無く気恥ずかしい。途轍もなく優しすぎるからだ。愛を感じ過ぎる。



 この度の龍族四種を纏める同盟参加は、炎龍から詐欺まがいに持ち掛けられた条件が大いに関係している。

 雷龍とも組んで少女の願いを全て叶えるという条件だ。雷龍が絡むと異世界の情報も漏れなく付いてくる。

 兄は少女が異世界に行きたいと願えば背中を見送り、残りたいと願えばそれも尊重するつもりでいる。


 兄が実行しているのは、人型の『愛している』の最も美しい形だ。

 少女を鳥籠から自由に羽ばたかせ、決して捕らえて繋ごうとはしない。何も押し付けない。

 非情に綺麗だ。だが、綺麗に凪いだ愛情には何かを動かす強い力は無い。だからこそ兄は一度、人型の『好き』という感情を体感するべきだと思っている。


 ティエラは兄が魔力を自ら制限してから、少女に触れているのも知っている。

 大事なものを壊すという龍族の習性は、強力な魔力の暴走も関わっていると考えているであろう兄は、少女に触れる時に元栓を締めるように魔力を弱めてからにしている。


 一見、蛇口を捻るように簡単そうに見えるかもしれない。兄の魔力量を体内に閉じ込めるとなると、内部で有り余った魔力が暴れ出してそれなりに苦痛を伴う。

 それに付け加え、兄は自然を破壊する氷属性魔法を忌み嫌っている。昔から極力派手に攻撃魔法は使わないようにしているせいで、元々の手持ちが過剰になっている部分もある。


 意図して使わないことで魔力を鎮めていたのはもう過去の話だ。少女の仕事を手伝い始めてからは、徐々に元の力を取り戻していった。

 その魔力を律するとなると、壮絶な苦しみが付いて回るはずだ。


 それでも兄は少女に触れたい。傷付けたくない。殺したくない。

 どう考えてみても、それは人型に換算すると間違いなく……そうだとは思うのだが、本人は気付きそうで後一歩踏み留まっている。


 少女は少女で見ていてよく分からない部分がある。

 兄をどうしようもなく好きなように見えて、瞬く間に離れては遠ざかっていくような。矛盾している。

 妖精のごとく愛らしさでありながら生粋の悪女だ。見ていてもどかしい。弟としては早急に兄を陥落させて欲しいのだが。


 少女が何かを望めば、兄は全て叶えてやろうとするだろう。それでも少女は多くは望まない。

 二人の間にある壁は強固なものだ。それが消え去ってくれることを願うしかない。



 ティエラはおかしな距離感を保ち続ける二人の背中を見守りながら、聞こえないように微かに呟いた。


「……二人とも、幸せに背を向けて意地でも見えないようにしてるから苦しいんだよ?」


 多少の制限はあれ、愛されて伸び伸びと育った自分はとても運が良い。

 あの二人には幸せが幸せに見えないらしい。

 死よりも恐ろしいものに見えているから、気付かないフリをしているのかもしれない。


 だとしても諦められない。

 兄は本当に、もう少しで感情が手に入れられそうなのだから。




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