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ショコラクリスタリゼ  作者: ななせりんく
第六章 愛称と真の恐怖
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8.ショコラ、揺さぶられる。




 あれから、ちょうどお城に着いた頃からパラパラと降り始め、丸一日掛けて静かな雨が降り続いていた。

 これでこの国は完全に潤いを取り戻す。出立の時が近付いている。


 窓ガラス越しに降り頻る雨を眺めていると、いつの間にか隣にベルクが立っていた。……ちょっと驚いた。気配を消すのはやめてほしい。


「これは昨日の一戦が影響したものか」

「そうみたいですね。もう魔法の力を借りなくても大丈夫そうです」


 薄暗い空を見上げると分厚い雲に覆われている。この分だと明日まで止まないだろうな。

 無事同盟を組む約束も出来たし、これからはこの国も憎しみから解放されて幸せな未来を歩める。それはとても喜ばしいことなはずなのに、ベルクの顔は何処となく寂しそうに見えた。


「今まで氷龍族に憎しみを抱いて生きてきたが、それを無くすとどうしたものか分からんものだな」


 外から何度も洗われている窓硝子に手をつき、ベルクは静かに言葉を紡いでいった。


「もう戦い疲れていたのは確かだ。だが、そこに生きる糧を見出だしていたのも事実だ」


 救われなかったことで保たれていた均衡が崩れるという意味を、今、間近で感じ取った。

 ベルクは戦争を前線で経験して唯一生き残った地龍族だ。この数十年間、地龍族に対して誰よりも忠義を尽くし、孤独の中で守り抜いてきたはずだ。ペトラの言っていた生き残っていることも問題とはそう言う意味なのだろう。

 共に戦った仲間と散れたならどれだけ自分を誇りに思いながら死ねただろうと。平和になった国で頂点に立つベルクには、この先悠久とも言える長い長い時間が残されている。

 私だったらどうしたらいいか、どう生きていけばいいかわからなくなると思う。ベルクから感じる寂しさはそこに向けられているのだと。


「私みたいな小娘から言えることじゃないと思いますが、誇りに思っていいんだと思います」

「本当に生意気な口を訊く」

「貴方が死んでいたら、貴方の仲間が観れなかった景色を、結末を報告出来ないですから」


 全員死んでしまったら誰もこの結末を見届けられなかった。

 この土地に雨が降るようになった。植物が育つ大地に戻った。この国は平和になった。それから、この世界は平和になるかもしれない。

 儚くも犠牲になってしまった地龍族の方々が、一番聞きたかった報告を持ち帰ることが出来たのはベルクだけなのだから。


「最期の伝達係か」

「嫌ですか?」

「いや、悪くない」


 叶いそうで叶わなさそうな目標を立てる程、生きる気力に繋がるのは私もベルクよりも期間が浅いながらに知っている。

 それを叶えることばかりを考えて、叶った後を完全に見失ってしまう。まだまだ先は続いているというのに、そこが終着点だ、とその終わりに安心感を抱いてしまう。

 ベルクみたいに、特にしんどい目標を立てていれば、その後を呆気なく感じてしまうと思う。


「まず毎日お墓のお花を変えるのはどうですか?」

「単純な日課が出来上がるというわけか。馬鹿な小娘らしい」


 これでも真剣に考えているのに……。私にも馬鹿と呼ばれて怒りたい時はある。私が怒った顔をすると対照的にベルクは笑い出す。外の景色とは真逆の晴れやかな笑みは、とても過去に戦争に明け暮れた人のものとは思えない。

 やっぱり馬鹿でもいい。誰かを笑顔に出来るのなら。


 突然ベルクが私に向かって手を差し出してきたかと思えば、その掌の上で淡い緑の光を湛えながら芽吹いた植物がみるみる成長を遂げる。

 玉を象って沢山の蕾を付けた花が一斉に花開いた時、その淡い青や紫に目を奪われた。小さな花が集って大きな花になっているそれには見覚えがあった。


「これは貴様の身に付けているものと同じはずだが、本来この世界には咲かない品種だな」

「そうなんですか?」

「前に雷龍の王が送り付けてきた異世界の花の中にあった。あの男は世界の在り方を変える気か」


 花を送り付けるユビテルが容易に思い浮かぶ。不可能を可能にすることすら、ユビテルならニコニコと楽しんでやり遂げてしまいそうだな。


「雨季に咲く花、ハイドランジアと言ったな。今日は雨だ。墓にも咲かせておいた」


 お城から墓場まではそれなりに距離があるのに、そんなに遠距離まで魔力を飛ばせるなんてさすがは九割。掌に咲かせたハイドランジアを手折ったベルクは、当然のように私に差し出してくる。


「貴様にもやろう。間違っても食わぬようにな」

「食べないですよ!」

「それならいい。その花、毒を持っているからな」


 手渡されればそれなりに重みのある大きな花。こんなに綺麗な花なのに毒があるなんて。


「食せば中毒になる。最悪死ぬ。その見目には少々過激な付属だろう」

「そんな風には見えないのに不思議ですね」

「貴様も似たようなものだと思うが」


 ……うん? 何だか物凄い返しを受けたような気がする。似たようなものとはどういう意味だろう。私も見た目と違って何かしら過激ということ? 過激と呼ばれるような振る舞いはしたことがないと思うけど……。


「思い当たる節が無いです……」

「そのようだな。若造が手を焼く訳だ」


 感情の読み取れない真顔を崩さないまま、ベルクは私の首元に手を伸ばした。エスの牙の痕の凹みに沿って指が置かれる。


「これに、痛みを感じたか?」

「え? あ、いや、それは……」


 まさか痛いはずの行為で熱を上げたなんて、どうにもこうにも変態としか言い様のない恥ずかしい話は口に出来ない。


「ショコラ、貴様はあの若造が『好き』か」

「……はい、好きです」

「なら感じるのは痛みではないだろうな。人型に備わる『恋愛感情』なるものに瞳の幻惑は敵わない」


 一人羞恥に苛まれる私を余所にベルクは勝手に話を進めていく。淡々と言われるけれど、私にとっては結構恥ずかしい話題なんだけどな。


「『愛している』か? 添い遂げる気持ちはあるか?」


 即答出来なかった。恥ずかしいとか、そういう気持ちじゃなく、私は物凄く暗い顔をしてしまった。

 私が黙り込むのを見て、ベルクは「……やはりな、貴様は毒を持っている」と溜め息を吐いた。エスが好きかと言われれば間違いなく好き。愛しているかと聞かれれば、……分からない。多分、愛していたら私の心に諦めに似た感情は芽生えていないんじゃないだろうか。

 私は、エスを諦めている。

 欲しがっている癖に、もし手に入るとしたら迷わず手放すと思う。『ずっと』なんて、どれだけ確証が無くて残酷な言葉か、私は一体何回その言葉をエスに伝えたのか。


「我等龍族には恋愛感情はない。だが、一度認めた者を手放す程聞き分けも良くない。それが仲間でも、同族でも、雌でも同じだ」


 人は薄情だ。弔うという習性の無い氷龍族よりよっぽど酷い生き物だ。

 私だったら、信用していた同族が何も告げずに消えてしまったらどう思うだろう。怒るだろうな。抱え切れないくらい悲しいだろうな。


「水属性なんぞ持つ貴様が何者かは知らんが、切るなら早々に切ることだ」

「切、る……エスを……?」

「出来ないのなら繋がれる覚悟は持て。まず、我等は何かに興味を持つこと自体が稀だ。欲しがる領域は貴様ら人型の常識の範疇に収まらないと思え」


 エスに欲しがられる。そんな嬉しいことはないと思う。なのに、それを何処かで望まない自分がいる。不安が足元から纏わりついて、頭を埋め尽くすまで複雑に、頑丈に絡み付く。

 私の『好き』なんて、結局のところ憧れを超えない幼いものなのかもしれない。

 沈みきりそうになる心を掬い上げるように、ベルクは私の頬を大きな手で包んで持ち上げた。


「恐ろしいか、龍族が」

「っ、それは思いません!」

「何を怖がっている。何を隠している。貴様は沢山の龍族に気に入られた。もうただの人型の女ではないぞ」


 身体が震える。龍族に対してじゃない。見当も付かない恐怖心を揺さぶられている。


「貴様は私に現実を見ろと諭しておきながら自分は逃げるつもりか」

「あ……」

「まだ何も受け止めていないだろう。何も受け入れていないだろう。掻き回して去るのなら、私は納得出来ん」


 力が抜ける。大袈裟な程に大きく震える身体、焦点が合わなくなってくる視界。崩れ落ちそうになった時、飄々とした声が横から掛けられた。


「ベルク様、無理に揺さぶってもダメですよ」


 ペトラだ。いつものゆるりとした声色が私を恐怖の淵から引っ張り上げる。


「妖精さんは深いところで延々と悩んでるんだよね。答えなんて出ないのにね。でも、ベルク様の言う通り、受け止めてみたら? それが何を引き起こすか僕にも分からないけど、それはその時考えたらいいんじゃない?」


 最近、誰からもこうして背を押されている。

 受け止めること、受け入れること。無意識に避けて逃げてきた。何よりも怖かった。

 手元のハイドランジアが揺れる。握り締めていたせいで茎が折れてしまったみたい。後で添え木をして水をやらないと。

 いまいちどうしていいか分からないのだけど、何とか逃げないようにはしよう。怖くても、恥ずかしくても。


「うん、頑張ってみる」

「そう肩肘張らずに、僕達だって恐ろしいだけの生き物じゃないんだから」


 困ったように笑ったペトラが折れた茎を癒してくれる。ハイドランジアはまた元気に上を向いた。


「……話が一段落したところで、ベルク様、お荷物が届いておりますよ」


 そう言って包みを差し出すペトラが小刻みに震えているように見える。何かを堪えるような、唇まで噛み締めてどうしたんだろう?


「雷龍の王からか。また意味の分からない物を送り付けてきたのではあるまいな」


 包みを開くのを一緒に眺めていたけれど、中に入っていたのは見たことのない小さな木だった。

 小さいのにベルクのドラゴンの姿のように厳つい幹をしていて、濃い緑の葉は先が丸くて棒のようだ。今までに見たことがない。変わった木だ。

 添えられた説明書きに、『人間界の東洋の国で、老年期を迎えた者がよく趣味にしている芸術。盆栽』と書かれていた。


「……あの若造、馬鹿にしているのか?」


 遂にペトラが声を立てて笑い始めた。ユビテル、書き方に遠慮が無さすぎる。

 鉢を持ち上げたベルクは眉を跳ね上げたままその木を凝視している。うん、言っちゃなんだけど、この木の形、ベルクによく似合う。


「しかし、この小さいながらに荘厳とした佇まい、見たことがない木の種類だ。これを育てるのは悪くない」


 あれ、地味に気に入った様子だ。

 ユビテルが良い笑顔で親指を立てている様が頭に浮かぶ。

 この空気の丸さ、ユビテルだからこそ出せるものだ。暗い気分だったから本当に助かった。


 執務室に戻っていく二人を見送って、私はもう一度窓の外に目を向けた。

 色んなことから逃げるのはもう終わりにしよう。

 この言い知れぬ不安感も、恐怖も、きちんと触れてみないとずっとそこに正体不明のものとして在り続ける。

 どう転ぶかはまだ分からないけど、ちゃんと向き合わなきゃいけない。


 私がこの世界の異物かもしれない事実と。




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