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ショコラクリスタリゼ  作者: ななせりんく
第六章 愛称と真の恐怖
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閑話.ショコラ、お願いする。




「ショコラ、今ならやりたい放題だけど何する?」

「俺の声で変なこと口走ったら氷像にしてやる」

「え、ええと……」


 私は困惑していた。それもそのはず、また入れ替わりなんてややこしい自体が目の前で起こっているのだから。

 今回は中身だけが入れ替わっている為に、エスだけど中身はティエラ、ティエラだけど中身はエスという状態になっている。

 エスはティエラの成りで物凄い殺気を放っている。ティエラはエスの成りで飄々と笑っている。前のサイズの入れ替わりよりも不思議だ。何でこんなことが起こってしまっているのだろう?


「にーちゃんが何と言おうと、今日一日はショコラのやりたいことやるから」

「何させる気だよ」

「それはショコラ次第だよね」


 エスの声で『ショコラ』と名前を連呼されると何だか耳がこそばゆい。普段はあんまり呼んでもらえないから嬉しいな。


「あの……もっと、『ショコラ』って呼んで?」


 エスの成りをしたティエラは驚いた顔をして目を瞬かせ、一拍置いてから柔らかく笑った。


「いいよ。ショコラ。ショコラは可愛いね」


 そっと引き寄せられて、耳許で名前を呼ばれる。ティエラはどこでそんなことを覚えてくるのか。本当に悪い子だ。

 それを言ってるのはエスではないと分かっているのに、名前を呼ばれて、可愛いだなんておまけで付けられて、顔だけと言わず全身が熱くなる。

 固く目を瞑り、喜びで震えそうになる手で胸元を掴むと、ティエラがびくりと反応して少しだけ離れた。


「うわ、ほんとに可愛いな。これやった?」

「やってない」

「言ってる場合じゃないよ。じゃあ、にーちゃんはお預けで。僕だけ楽しむよ」


 ティエラが茶化した後、近くにいたエスは私の服を掴んできた。機嫌が悪そうなティエラの成りをしたエス。見上げてくる姿が例えようのない可愛さだった。天使だった。

 頬を撫でてから頭を撫でると、迷惑そうにするのがまた新鮮で可愛い。案外振り払われないものなんだな。


「ショコラって、結局にーちゃんのそういう反応がいいんでしょ?」

「そういう反応?」

「分かりやすく甘やかすより、分かりづらい方に安心してしまうというか」


 おお、なるほど、それはある。

 直球で可愛いなんて言われても、私はそれを素直に受け取れずに流してしまうし、分かりやすく迫られると危機を察知するのも早いからさっさと逃げてしまう。

 いや、逃げ出す早さはエスの時も変わらないか。私は何からも逃げてばかりだな。


「ね、ショコラ、にーちゃんみたいな話し方で性格僕だとどう? ……俺は、お前のこと甘やかしたいんだけど」


 この子は! 何て恐ろしいことを思い付いたの!

 さっさと逃げようとすれば、それを見越していたのかすぐに腕を回されて閉じ込められる。や、やめて、見た目がエスだからとんでもない……。


「逃げるな。恥ずかしいの? 可愛いな、お前」

「うう……っ」

「っ……ティエラ。いい加減にしろよ!」


 甘い声色で色気爆発中のエス(ティエラ)のせいで、うっかり力を失ってその胸にしなだれ掛かってしまう。

 横から抗議をするティエラ(エス)の顔が心無しかほんのりと赤くなっているように見える。自分の姿でこんなことをされるとやっぱり恥ずかしいのかな。……私も恥ずかしい。


 自然な流れで私を抱き締めるエス(ティエラ)。ダメだ。エスはエスの性格だから私の心臓がギリギリ持つのかもしれない。ううん、普段も全然持っていないけど。


「……お前、ティエラにしてもらいたいことは?」


 ティエラ(エス)が反撃に出るのか、そんなことを聞いてきたけれど、ティエラには普段から好きなようにさせてもらってるから特に無いかもしれない。


「ダメ。こいつには渡さない。俺だけで我慢出来ないの?」

「っ、エスだけで充分だよ……」


 エス(ティエラ)の見事な演技はまだ終わっていなかった。

 どれもこれも本人から言われようものなら私なんて簡単に落ちてしまうような並び。エスが安易にそんなことを口にする人じゃなくて良かった。

 横にいるティエラ(エス)が私の腕をぎゅっと掴んで引っ張ってきた。顔は俯きがちだけどあまりの愛らしさに現実に引き戻される。


「ごめんにーちゃん、遊び過ぎた。……最後のは言ってそうだけどね」


 言葉尻が掻き消されるような囁き声だったけれど、エスにそんなの言われたことない。もう一度ティエラ(エス)の顔を見ようとして視界がぼやける。白く霞んで見えなくなってしまった。



 気が付いたら寝台の上、何だか奇妙な夢だった。私の願望が映されていたのかもしれない。恥ずかしい台詞の大群は置いておいて、名前は呼ばれたいとずっと思っていた。


 服を着替えて部屋を出ると、広間のソファーで一人読書に耽るエスの姿があった。ティエラは一緒じゃないのかな? 周辺を捜してみたけれど、どうやらエス以外には誰もいない。


「おはよう。早起きだね」

「お前こそ普段よりかなり早い」


 ほら、『お前』だ。ティエラは名前で呼ぶのに、私だけ『お前』から昇格しない。最後に呼ばれたのはいつだっただろう。思い出せないくらい前だ。

 隣に腰掛けて読んでいる本を覗き込むと、……すみませんでした私には基礎から始めても無理です。と瞬時に思うような難解な内容だった。エスらしいと言えばエスらしい。


「ねえエス、どうして私は『お前』呼びなの?」

「は? 別に意味はないけど」

「『ショコラ』って呼んでくれないの?」


 エスは本を閉じて近くのテーブルに置く。わざわざ身体ごとこちらに向いてくるのが何だか恥ずかしくて、距離を取ろうとすると腕を掴まれて阻止された。変な汗が出る。


「ショコラ」

「は、はい……」


 澄んだ低い声。ティエラと発音が似ているせいか、呼び慣れているように綺麗な音を紡ぐ。夢の再現のようで早くも顔に熱が溜まる。

 喜びに身体を震わせる私を、エスはこれまた残念なものを見るような目で見下ろしている。


「お前って変わってる」

「変わってないよ。エスの方が変わってる」


 エスはあまり名前を呼ばれたがらない。むしろ嫌がる。エストレア、良い名前なのに勿体無いな。

 考えていると有無を謂わせない優しい力で引き寄せられて、必然的にエスの胸に手を着く体勢になる。……朝から公共の場で近過ぎる。


 離れようとすれば、より近くで名前を呼ばれてびくりと大袈裟に身体が跳ねてしまう。固まっているうちに腰に手を回されて逃げ場を塞がれてしまった。


「や、やだ、離して……」

「何で」


 ああ……こういう時だけやけにこの方面疎いのはエスの仕様なんだろうか! 名前を呼んでほしいのは間違いなく私の願望だ。

 だけど、こんな風に近くで、身体を密着させて、なんて注文は付けていない。そうは思っても、エスは真顔のまま私を見つめている。逃がしてくれる気にはならないらしい。


「逃げんなよ。ショコラ」


 耳許で呼ぶのはダメだって、本当にダメ。そのままこめかみに軽くキスをしたり、エスは一体ここがどこで何をしているのか分かっているのだろうか。

 唇が触れる度に肩が跳ねる。火でも点けられたかのように熱が上がる。悪質だ。人型じゃないなら、どれだけ恥ずかしいことをしても許されるとでも思っているの?


 エスの頬に手を添えて引き離し、再度目が合った時、エスは驚いて息を詰めていた。私、そんなに変な顔をしているのかな。確かに息は荒くなってるし、顔の熱は全然引かないけど、顔を見てびっくりするなんて失礼だ。

 数秒後、次は私が驚く程あっさりと引き離される。熱が下がっていく安心感と同時に、何故か残念だと思う気持ちが残った。


 本当によく分からないと眉根を寄せるエスに、エスには言われたくないと返せば、更に眉間の皺を深めて、「さっきの顔はダメ」と返された。

 何がダメなのかは分からないけれど、間違いないのは名前を呼ばれるのも、触れられるのも嬉しいのはエスだけだ。あんな風に熱が上がって、恥ずかしいともっと知りたいの瀬戸際を味わうのもエスだけ。


「ショコラ」


 窘めるように名前を呼ばれて肩を竦める。


「いちいち煽ってくるな」


 煽る、と言われても、少しならと触れることを許してしまうのをやめるのはまた難しい。だって、触られたくないわけじゃないから。少しは、触ってほしい。だけどそれはほんの少しだ。それ以上はまだ無理だ。恥ずかしい。

 エスはただ乗せられて本能に従いそうになるだけだとしても、私はそれに嬉しさを感じてしまう。


「む、無理かな」

「やっぱり分からない」


 そして今日も私達の平行線は交わらないまま。たくさん触って幾つものキスを落とされるのも、約束を守ってくれるのも嬉しいなんて、私は結構ひどい女かもしれない。

 黒く広がっては根付く気持ち。いくら心がそれを嫌悪しても、抑えられる気がしない。

 私はもう、綺麗じゃない大人に近付いている。




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