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ショコラクリスタリゼ  作者: ななせりんく
第六章 愛称と真の恐怖
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◎6.エストレア、感情に戸惑う。




 まだ匂いと感触が濃く残っている。

 エストレアは先程まで少女に触れていた手を見つめ、その匂いを振り払うようにして目を背けた。


 出逢った頃からエストレアに無条件にも好意的に笑いかけ、殺すかもしれないと告げても不用心に近寄ってくる少女。

 エストレアのことが好きだ。感情が稀薄であろうと淀みなく伝わってくる澄みきった好意というものは、過去に護衛騎士と弟を除いて感じたことはない。

 絶望したとしても傍から離れようとしないどころか、嬉しそうに笑ってそこに居る。全く不可解な生き物だと思う。


 その白い肌に手を伸ばして触れれば恥ずかしげに頬を紅く染め、戯れに口付ければ戸惑いながらも甘い声を漏らす。様々な表情を見せるのは面白い。もっと反応が見たい。本人はこの表現が気に入らなかったのか、ほんの少し怒り、結果的に哀しんでいるように見えた。

 少女はいつも悪い意味に受け取り、大袈裟に被害妄想を膨らませる。言葉選びが悪いのだろうと頭を回転させるが、感情に乏しい心では上手く選出することは難しいようだ。


 嫌がらないどころか自ら触れてくることも屡々ある癖、逃げなかった時は一度も無い。エストレアにはそれがよく分からなかった。

 どちらにしろ逃がすつもりであっても、先に暴れて逃げ出そうとされると気分は良くない。自分の感情にも理解が及ばない。目の前で起こる出来事も把握出来ない。



 募る苛立ちを無理矢理に押し退け、地龍族の長、ベルクについて考えることにした。

 龍九割という壮絶な魔力を有する、過去には王の帰還とまで謳われた男。エストレアの両親を殺したのもベルクだ。そんなことはとうの昔に知っていても、重ね重ね残念なことにその件に関しての怒りはない。

 薄情を地で行くのが龍族だが、親兄弟にまで情が薄いのは氷龍族だけではないだろうか。


 考え事をしている最中、無遠慮に扉が開いた。

 噂をすれば、とは言ったものだ。


「貴様、敵国にて我が物顔で応接室を陣取るとは結構な身分だな」


 眉一つ動かさずに言葉を発するこの国の王。

 エストレアは仕方無く退いてやろうと立ち上がった。


「もう用は済んだから出る」

「小娘との逢い引きがか?」

「仮眠の方」


 遥か年上の冗談というのは扱いにくい。何故少女が来たのを知っているのかと恨みを込めた視線を送ると、ベルクの真顔にも僅かに笑みが見えた。


「……氷龍はやはり親殺しにも何も感じないか。知っているだろう? 私は何十頭もの氷龍を手に掛けている」


 ここに来て面倒な話が始まったとエストレアは目を逸らす。


「自分達が招いた結果だろ。俺は最後までどの案にも反対した。後のことは知らない」

「まるであの小娘を同族としているとは思えない酷薄な発言だな」


 真面目な暗い話がしたいのかからかいたいのかよく分からない。わざわざ嫌っている氷龍族の自分に話し掛けている意図も見えない。

 この男は何をしたいのだろう。子ども騙しで力任せの策略にも簡単に折れて穏やかな顔をしている。相変わらず年を重ねた龍の思惑は見えづらい。


 龍九割と言っても、百年以上生きれば人型は確実に安定する。その状態に至るには、まだ若いエストレアには理解出来ない部分が多い。人型らしい少女を相手する時とはまた別の腹立たしさがある。


「なら、こちらはどうだ」


 ベルクは服の袖を捲り、ちょうど肘の下辺りに白く残っている傷痕をエストレアに見せた。何かしらの刃物による傷痕は、ぐるりと腕のほぼ一周に付けられている。……腕を斬り落とすつもりで失敗したかのような痕だ。

 地龍の九割の魔力を持ってしても残る傷痕とは珍しい。そんな攻撃を防げずにこの男が受けているというのも。エストレアは傷痕とベルクの顔を交互に見た。


「アルバと言ったか、氷龍には絶望的なあの戦場でまだその瞳に闘志を燃やしていたな」

「アルバ……」

「最期の一撃は私ではない者に持って行かれたが、この傷はその者から受けたものだ」


 たかだか物理の斬撃で腕を落とそうとする等、恐ろしい騎士であった。


 しみじみと語るその口調には、アルバに対する戦士としての尊敬の念が込められていた。


「『生きて帰ってこいと、我が王から命ぜられている』と笑っていたのが印象的な者だったな。口振りからあの時の現王の話ではないと思ったが、貴様のことではないか?」


 確認されたところで、護衛騎士がその場で何故そんな風に口にしたのかは分からない。


「貴様は全ての実力を持ちながら、他者から持ち上げられなければ上には立たないな。至極残念なことだ」


 何故、今更アルバの話をされなければならないのか。あの夢は数年ぶりに見た内容だったというのに、偶然と呼ぶには些か時期が重なりすぎている。


「あの男の話でも貴様の心は固まったままか」

「……何がしたい」

「本意でないことをされたくないだけだ。炎龍の詐欺に遭っているのだろう? あの小娘の件で」


 この男は真面目だ。関わった以上適当にはしてほしくないのだろう。ユビテルとはまた違った王の器を持っている。

 平和の為なら何でもするユビテルと、自分達の信念を貫くベルク。エストレアにはどちらも出来そうにない。


「あいつに関しての詐欺はどっちでもいい。炎龍の手を借りなくてもやり遂げるつもりだった。それより願いの方が大事だ」

「願い? あの小娘、何か欲しがったのか?」


 少女が欲しがったもの。それを手に入れるには生命力を奪う氷龍族の力ではどうしようもないもの。生命力を活かす地龍族には雑作もないものだ。


「森」

「は?」

「森、作るのに地龍族の力がいる」


 ベルクは虚を衝かれて返答に困っているのか、一度目を大きく開いてから考え込んでいる。


「森くらいやる。だが、直系としての誠意を見せろ」

「そのくらいする」

「生意気な若造が。果たして、どちらが王の帰還なのであろうな」


 自分が出ていくつもりがベルクの方がさっさと出て行ってしまった。

 この応接室を使うのでなければ何をしに来たのか。まさか、エストレアがいたから話しに来たとでも言うのか。


 何度会合を交えても厳しい顔付きを崩さなかった地龍族の王族達。

 その中で一頭、女のような可愛らしい顔をしたペトラだけは元々の雰囲気が違うと思ったが、大半はいつでも戦闘に持ち込めるように殺気を潜めていた。

 ベルク……あの会合でも中心付近にいた男だ。龍の割合の最大値であるが故の威厳を湛えた険しい顔立ち、厳かで凛とした佇まい。この龍とだけは当たりたくないと幼いながらに思っていたが、避けられない現実が近付いてきたようだ。

 あんなに穏やかな顔をして申し込まれるとは思っていなかったが。


 それもこれも、少女が原因だろうか。本物の龍の女神と言っても差し支えない周りの動きには目を見張る。

 当の本人には何の裏もなく、ただ龍族と仲良くしたいなどと甘いことばかりを考えては、大抵の人型が青冷める場面であれ当然のように混ざってきていた。

 炎龍や雷龍だけでなく、地龍も心底驚いただろう。あの少女のひたむきな純粋さに。


 気が付けばまた少女のことばかりを考えている。そんな場合でも無ければこれからが大変な時だと言うのに、少女が笑えば全ては簡単に上手く行きそうな気がした。

 触れる時に沸き上がるこの感情が何なのかは分からないが、以前程分からないものを感じるのが嫌ではない。このよく分からないものならもう少し手に取って感じてみてもいい。

 応接室に留まる残り香を惜しみながら廊下に出た。明日にも万全な体勢で挑める。さすがに九割、百年以上生きた龍を一頭で倒せるとは思えないが、やるしかない。



 急な来襲だ。橙色の頭が視界に入ってきたかと思えば、思いっきり振りかぶってくるので当然避けた。

 見るからに暑苦しく重そうな拳は甘んじて受けたくはない。


「しれーっと避けやがってよ」

「普通避けるだろ」


 プロミネが単体で遊びにきた理由は分かり兼ねるが、いきなり殴り掛かられるのは面白くない。


「エストレアお前、無性に殴りたくなる時あるんだよな」

「いい迷惑」

「羨ましいんだよ。お前が」


 台詞が繋がっていない。何が言いたいのか。


「ショコラ、残せるかもしれねぇ。ま、何かありそうだけどな。ユビテルと組んで調べといてやる」


 エストレアは興味無さげに立ち去ろうとした。プロミネを長く相手にすると碌な話にならない。


「……一雫も感じねぇか? 可能性が出たのに、本当の意味で『嬉しい』って全く思わねぇか? 俺らはお前のことももう同族だと思ってる。いつまで孤独でいるつもりだ?」


 第二撃を加えて来ようとするプロミネの拳から逃れ、仕方無く顔を合わせてやる。

 本当に感じたのはほんの一雫、心に波紋を広げた程度の感情でいいのだとしたら。


「……嬉しい」

「っ! そうかよ」


 ガラの悪い面構えが崩れて、やんちゃな少年のような笑みに変わる。エストレアが感じたことなのに、プロミネも『嬉しい』のか。そう感じても嫌じゃない。


「俺は別にお前らのことも嫌いじゃない」


 現状の事実を述べたまでだが、意に反してプロミネは言葉に詰まり何故か頬を赤らめる。不思議なことに喜んでいるように見えるが、一応煽っておくべきか。


「あんまり喜ばれると気持ち悪い」

「おいエストレアてめぇ!」


 第三撃に関しては避けた上で仕返しに鳩尾を狙ってやった。

 暴力も場合によっては戯れになる。この瞬間、ほんの少しだけ、その暑苦しさが楽しかったとは口が裂けても言わない。




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