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ショコラクリスタリゼ  作者: ななせりんく
第六章 愛称と真の恐怖
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◎2.エストレア、感情の記憶を辿る。




 その男はある日突然、エストレアの元へとやってきた。

 アルバ――氷龍族では物議を醸す、大地の意味を持つ名の、明るく陽気でうるさい護衛騎士だ。

 騎士団第一部隊所属と名乗っていたが、調べてみると所属どころか隊長を務めていた。

 多忙なはずの役職持ちの男が、何故専属で自分の元に呼ばれたのか。


 読み書きが出来るようになった頃から、エストレアはありとあらゆる知識の海を潜っては泳いだ。

 龍族側の知識はある程度吸収し終えて、人型側に向かったがまともに目を通すことすら難航している。

 感情の羅列に眉を寄せているとアルバは必ず笑う。「だから、まだ早いんですよ」と。周囲の成龍とは違う、あからさまな子ども扱いは複雑な感情を呼び起こした。こんなに不快なものは、今までどれだけの罵詈雑言を浴びせられても感じなかったものだ。

 何かが、自分の中で大きく変わろうとしている。


 アルバはエストレアの中でどこまでも規格外な存在だ。

 よく笑うし、成龍の癖に子どものような真似もする。顔立ちも幼く見えるが、何よりも表情の多さが氷龍族らしからぬ所以だった。

 あまりにも好意的過ぎるアルバに、八十も年下の子どもに傅いて自尊心は痛まないのかと問い掛けた時、「というより愛でているんですよ。子どもは本来愛され大事にされるもの。愛されないと愛することも覚えられないでしょう?」と難解な答えを返された。

 アルバは龍族でありながら、人型に近似な言葉選びをする。それがエストレアにはひどく難しくて、理解出来ないことに度々苛立ちを感じた。


 知識ばかりでは頭でっかちになるからと、時折剣の稽古をつけてもらうが全く容赦をしない鬼畜なアルバのお陰で、習いたての付け焼き刃にしては上達は早かったように思う。

 こういう様々な場面で一緒にいることが、『仲良くなる』という状態であっているというなら、エストレアとアルバは仲が良かったのだろう。


 そして、出逢いから三年の時が過ぎた。



 告げられる前から、エストレアは自分の母親である王妃の魔力の中に、僅かながら重なりが生じていることに気が付いていた。

 龍族は長寿故に種の定着率が悪い。十年程しか離さずに第二子を身籠るのは珍しい。こんなにも早く、守るべき者に会う時が来るとは思わなかった。


 正式な発表の後、アルバは良いことを思い付いたとばかりに弾ける笑顔で「エス様、名前を付けてあげるのは如何でしょう?」と提案してきた。

 自身も妹の名付けに携わり、以降龍族とは思えない程の深い愛を注いできたと、名前を呼ぶ度に愛しくなるのだと、アルバは名付けの良さを力説してきた。


 よく喋るこの男は一度語れば反応を返すまで話し続ける。

 話す言葉が人型に寄りすぎて相変わらず難解であるし、特に名付けの良さは理解出来ていないのだが、鬱陶しいので「じゃあ付けてみる」と適当にあしらえば物凄く嬉しそうに笑っていた。


 そして、まるで我が子を褒めるように、自然に頭に手を置いては髪を撫でてくる。

 嫌ではないが、大人しく撫でられるのも癪だとその手を振り払う。撫でられると胸の辺りがくすぐったく感じる。これが何なのかは分からないが、少なくともアルバのことは嫌いではない。


 そんな穏やかな日常が突き崩される日がやってくる。



 一時休戦中だった地龍族との戦争が再開された。

 幾度となく会合と称して話し合いは続けられてきたが、この度も双方の意見が交わることはなかった。


 毎日現れていた護衛騎士は滅多に顔を出さなくなっていた。

 第一部隊は騎士団の中でも精鋭揃いだ。最後の最後までは派遣されないそうだが、下が一時的にでも居なくなれば他の仕事が回ってくるだろう。

 民が自由に外にも出られない状況下で、弟は元気な産声を上げた。

 通常ならば第二王子の誕生は国を挙げて喜ばれることだ。こんな状況で無ければ、……弟の龍の割合が前代未聞の三割でなければ。


 名付けの会議どころではないが、王族と言えど子どもの自分は参加しようがない。むしろいない者として扱われている。

 その間にもエストレアは弟の名前を考えていた。次にアルバに会うまでに考えていないとうるさいからだ。一つだけ候補があると言えばある。ただ、これをアルバに言うと面倒なことになりそうだからと決めかねていた。


 城内で擦れ違い様に、次回投入される生贄――龍の女神についての話題が耳に届いた。

 ここ数年のうちに始まった計画。企画案を出したのは何百年と生きている者だったと思うが、考える程に馬鹿馬鹿しい。どうして父である国王はそんな案を渋々承諾したのか、自分の親ながら軽蔑する。

 戦争が激化すると、その犠牲になる人数が異様な数に増える。こんなことをして一体誰が救われるのか、こんな世界で一体誰が幸せに生きていけるというのか。


 聞こえてくる話の内容に引っ掛かる部分があった。とある名前に聞き覚えがある。

 エストレアは適当に受け流しながらも他者の話はよく聞いている方だ。それも、何度も何度もしつこく聞かされれば嫌でも覚える。


 何処で作業をしていると言っていたか、記憶を掘り起こしながら走った。

 途中、使用人達に外は危険だと声を掛けられることがあったが、それも振り切って城外に走り出した。



 何に突き動かされてここまで走ってきたのか、いつも通りのアルバの姿を視界に収めると分からなくなった。走ってまで会いに来た癖に、どう声を掛けていいか分からない。

 自分が何故こんなことをしているのか、確かに今起こっているこの感情を理解出来ない。心で感じるものが多過ぎる。今の程度の知識量では頭で処理することが出来ない。……もどかしい。


「あれ……? エス様?」


 例えようのない苛立ちに支配されそうになっていた時、アルバが近くで立ち尽くすエストレアの存在に気付いた。


「どうしてここにいるんですか? 外は危ないと誰かから声を掛けられませんでしたか?」


 目の前でゆっくりと屈んだアルバが、拗ねている小さな子どもをあやすように優しい声で話し掛ける。

 元々可愛がっていると称して過剰に子ども扱いする節はあるが、今、アルバには他者のことを考える余裕はないのではないか。それとも知らないのか。エストレアは質問には答えずに、ただ、ここまで来た経緯の話を口にする。


「アルバ、お前の妹が……」

「ああ、聞いてしまったんですね。それで心配して来てくれたんですか? 嬉しいですね」


 心配――先程処理出来なかった感情はそれだったのか。

 嬉しい、なんて言葉を使っている場合ではない。普段通りに穏やかに笑うアルバを見ていると、また新たに苛立ちが募っていく。これも分からない。分からないことだらけだ。

 分かっているのは、今アルバのことを考えると何もかもに腹が立つ。


「嬉しいとか、言ってる場合じゃない」

「でも、エス様から会いに来てくれるなんて初めてなんですよ? いつも俺ばっかり捜してました」


 そんなことはどうでもいい。うるさい程の妹馬鹿だと言うのに、妹が女神と言う名目で生贄にされて何故笑っていられるのか。そんなことをする氷龍族の為に何故働いているのか。

 何故、こんな血の繋がりもなければ可愛いげの欠片もない、魔力が強いだけの子どもに『嬉しい』と笑い掛けているのか。


「泣きそうな顔しないでください。お兄さんは強くなければいけないでしょう?」

「泣きそうになんてなってない。お前こそ、何で笑ってる」

「うーん……正しいことがいつも正しい訳ではないからですかね。龍の女神は、一見するとただの生贄計画ですが、廃止にならないのはそれなりに効果があるからです」


 何故ここに来て『龍族』のような非情さで物事を見ることが出来るのか。

 いつも訳が分からないくらいに『人型』なアルバが、恐ろしい程に冷静にそれを語ることが出来るのか。


「あんな物に効果なんてない。今からでも俺が廃止にする」

「いつもは何も欲しがらないのに、突然ワガママですね。効果は有りますよ。残念ながら、勝利にはありませんが、抑止力にはなります」


 煮え滾りそうになる頭の中で言葉の意味を考えた。

 願掛けとしての効果はないに等しい。だからこそ自分はこの案に最後まで反対だった。

 効果があるとしたら、戦争で不満が溜まっていく国民の方にだ。自分達だけでなく、誰かも被害に遭う。『生贄』なんて者を龍族から出せば、他の種族の怒りは一先ず落ち着く。鎮静剤のような役割だ。

 例えそうだとしてもエストレアには納得出来なかった。宥めようとするアルバの前で首を振る。


「納得出来ない。平和的な手段を取らなかった龍族に責任があるのは間違いない。だけど、何の解決にもなってない!」


 嫌だった。こんな種族の直系であることが。

 嫌だった。史上最強と持て囃されようと何の力も持たない自分が。何も出来ない自分が。


「……エス様はお優しいですね。何も分からない段階で、十代でそこまで行かれる方は後にも先にもエス様だけだと思いますよ」

「こんな苦しいもの要らない!」

「いいえ、お持ちください。どうか、エス様が即位された暁には、平和な国をお作りください。いや違いますね。エス様なら即位される前から作ってしまうでしょうね!」


 いつもの調子で明るく笑い始めるアルバのせいで少しだけ視界が潤んだ。


「……俺、前線に出ることになりました。多分生きては帰れないです」


 それも、聞いた。

 龍の女神の話と並べて話されていたのを聞いた。

 第一部隊が赴く時点で氷龍族の敗戦は決まっているだろう。外に出なくとも状況を見ていれば察する。


「勝手ながら、エス様を物凄く年の離れた弟か自分の子どものように思っておりましたので、寂しいものですが――」

「弟の名前を決めた。『ティエラ』にする」


 アルバの表情が固まった。柔らかに笑っていた顔が驚いたものに変化し、そこからまた次第に泣きそうなものに移り変わっていく。


「大地。アルバと一緒だ。お前と同じでうるさくて鬱陶しい、優しいやつになると思う」


 候補と言いながら確定だった。ただ、本人にそれを伝えるのが恥ずかしかっただけだ。

 変に茶化されても面倒な上に鬱陶しい。それを感じるのが嫌で言えなかっただけだった。

 ずっと前から決まっていた。

 笑われると思っていた。

 だから、そんな風に嬉しそうに泣かれてしまうとは夢にも思わなかった。


「エス様。……俺は貴方の元に仕えることが出来て、本当に幸せでした。エス様が築く時代を、お側で見守れないのが残念でなりません」


 氷龍族とは思えない程熱い手に握られても不快に思わなかった。


「生きて帰ってこい」

「無茶言わないでくださいよ」

「命令だ」

「命令なんて下されるのは初めてですね。……仰せのままに」


 泣いてしまいそうだったから、いつもと変わらないように、無感情に振る舞えるように、命令というお願いを付けてみた。

 それにいつも通り乗っかって、アルバは明るく笑う。


 うざい、何度あしらってもめげずに向き合ってくれるのが好きだった。

 うるさい、どんな日でも元気をくれる明るい声が好きだった。

 鬱陶しい、冷たい氷龍族には珍しい陽気なその笑顔が好きだった。

 アルバが大好きだった。

 それが最期に見たアルバの笑顔だった。




「エス」


 過去の記憶のものではない声に鼓膜が揺さぶられる。


「エス……」


 意識が浮上した瞬間、ぼんやりとした視界に見慣れた薄い紫が映り込んでいた。くっきりと映し出される頃には、心配そうな顔で少女が覗き込んできている。

 薄い紫に手を伸ばせば柔らかく伝わる現実。まるで改めて確認するように、随分古い記憶の夢を見たものだ。


 長いからと、何度も呼ばれるとうるさいからと短縮させた。

 あれから約十年。流星を意味する名を愛称で呼ばせているのは、あの護衛騎士の後に『同族』と感じているのは、目の前の少女ただ一人。




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