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ショコラクリスタリゼ  作者: ななせりんく
第六章 愛称と真の恐怖
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◎1.蒼玉の騎士、護衛に就任する。





 蒼い絨毯を踏み締める一歩一歩にすら緊張感の滲むような、そんな足取りで廊下を進んでいく青年がいた。

 王族に連なる血筋の者である証の蒼の髪に、大地の如く深い茶色の瞳、蒼と銀の騎士服に身を包んだ青年は、とある部屋の扉の前で深呼吸をする。

 周囲に一頭というわけでも、しじまの中というわけでもない。なのに、その扉を三度小突いたその音が、静謐な湖面に雫を落としたように広がったと感

じたのは青年の心持ちの問題だった。


「エストレア様、本日より貴方様にお仕えするよう命を受けて参りました、騎士団第一部隊所属のアルバと申します!」


 気合いに比例して大きくなりすぎた声に、青年――アルバは内心苦笑する。


 暫くの静寂の後、招かれるでもなく開かれた扉にアルバは驚いて後退した。

 中から現れた、神の作り給うた美しい生き物に息を飲み、無表情の白皙に一際目立つ蒼い宝石に見上げられて言葉を失う。

 見掛けたことがなかったわけではない。それでも、これほど近くで視界に入れるのは初めてだったアルバは、いっそ恐ろしい美貌に魅了された。

 真っ白に塗り潰された頭の中を無理矢理まさぐって、改めて自己紹介を口にすれば、王子の大きな瞳は胡乱げに眇られていく。早くも機嫌を損ねてしまったらしい。


「そんなわけで、今日から宜しくお願いしますね!」

「要らない。下がれ」


 まずい状況でも元気は大事だと、笑顔で挨拶を終えた瞬間、王子は拒絶の言葉と共に扉を閉じた。

 内側から凍結させられる音まで聞こえてきて、アルバも笑顔を浮かべたまま固まった。

 王子自ら出迎えてくれたからと、舞い上がってしまったのが敗因か。……上等だ。何が何でも仲良くなってみせる。



 アルバの主となった王子は、水色髪を持ってこの世に生まれた、結晶龍の中でも稀代の魔力を有する史上最強の氷龍だ。

 まだ花開く余地がある子どもとは思えない、凄絶な美貌故に無表情であるのが仇となったのか、冷酷無比な無感情と噂されている。とても次期王に望めないと畏怖されているのを見て、アルバは哀れみを感じていた。

 孤独と重圧に苛まれる小さな引きこもり王子。

 こんな成龍ばかりがいたのでは、外に出てこなくなるのは当然だ。


 それからは王子の攻略が日課になった。

 騎士団の仕事の合間に訪れたところで難攻不落は崩れないと分かった時には、王子の予定を全て把握して、ありとあらゆる場所で待ち伏せをした。

 当たり前だが物凄くうざがられた。引かれるならまだマシで、いないものとして扱われることも屡々あった。

 とうとう完全に嫌われてしまったかと肩を落としながら、「エストレア様」ともう口癖のように馴染んだその名を呼んだ時、「長々と呼ぶな。しつこい」と凄まれた。


「えっと、俺に呼ばれることじゃなくて、長いお名前を呼ばれるのが嫌ということですか?」


 今の言い回しはそう取れた。違うとは思うが一応確認すると、「こんなに自分の名前が長いと思ったのは初めてだ」と答えであって答えでない返答をされる。

 アルバの脳内で喜びの花火が打ち上がった。


「では、エス様とお呼びします!」

「勝手にすれば」


 ほんの少しでも気を許されたのではないかと、喜びに打ち震えながら調子に乗ったというのに許可が降りて、アルバの興奮は最高潮に登り詰めた。

 次の日、騎士団第一部隊の仲間達に詳細と共に自慢をしまくってうざがられたのは言うまでもない。



 王子の護衛と言っても、龍七割のアルバは魔力量では到底足下にも及ばない。

 氷龍族の七割は恐ろしく強いが、結晶龍の八割を前にすればその評価も覆る。そのことからも、王から命じられた護衛とは王子の身を守ることではないのだと早々に気付いていた。

 守るべきは、このままでは噂の通りに消えて無くなってしまいそうな心の方だ。


 降り掛かる火の粉は払い、龍でありながら狸や狐な者達は陰で処理していく。

 王子は子どもでも多忙の身だ。少しでも雑音を減らして快適に過ごさせてあげたい、力になりたいと願えば、汚い仕事もただの雑務へと変わる。


 小さな身体で理想的な政策を練り、実行して結果に鑑みて、改善に尽力していく姿は見目だけに留まらず美しい。

 想像を絶する悪意の数々に晒されてきて、こんなにも綺麗でいられる王族が存在している事実にアルバは平服した。

 言葉通りの、何の裏もない善政を敷こうとしている王子は、きっと素晴らしい王になる。そんな未来が待ち遠しいと思った。


 外には出ようとはしないが、その分王子は勤勉だった。

 民には人型が多い。幼い身でありながら龍族を知り尽くした王子は、人型についても知ろうと努めていた。

 だが、深い感情を手にするには早い。故によく本を手に眉間に皺を寄せて固まっている。小さな頭ではまだ理解が及ばないのだろう。

 そんな時、「これはどういう意味だ」「人型の行動には無駄が多くないか」「お前はこれをどう思う」と年長者の知識を頼ろうとする王子に、アルバはやっと心を開いてくれるようになったと喜ばずにはいられなかった。



 王子が何処までも綺麗なのは心が薄いからだろうかと当初は考えた。

 だが、冷たく美麗な面差しとは裏腹に温かみを感じる考え方に心を洗われる度に、王子自身が優しい性格だからこそだと理解した。

 新たな策を考えている王子に思わず「俺、エス様が好きです」と告白すると、「龍族に『好き』という感情はない」と此方も見ずにばっさり切り捨てられた。


 龍族はその心の薄さから、愛情が欠け落ちていると言われている。が、百年も生きていればいい加減学習して落とし込めるようになる。

 アルバはもうすぐ歳が三桁になる中堅の龍だ。歳の離れた妹もいるお陰で、誰かを愛する心は既に持ち合わせがあった。

 何より、この王子にもその心はあるはずなのだ。


「エス様が外に出られないのは、皆の為ですよね」


 極力自室に引きこもっている意図は保身の為ではないと、暫く仕えていて感じ取れた。

 王子は周囲に気を遣っている。アルバはそんな健気な王子を色んな角度から見てきた。


 図星だったのか気まずそうに押し黙る主に、アルバは笑いかける。呼吸をするように周囲を愛する心優しい主をとても愛しく思う。


「エス様はすぐに『好き』を習得出来るでしょうね」

「……無理だ。お前も、俺の噂くらい知ってるだろ」


 これには驚いた。どんな場面でも動じずに真顔を貫いているものだから、王子の性格から見ても取るに足らないものとしているのかと思っていたのに。どうやら、表情に出にくいだけで年相応に気にしていたらしい。

 アルバは深く反省した。幾ら大人びて見えていても子どもは子どもなのだ。明晰な頭脳を持っていようと、最強の力を有していようと。


「少なくとも、俺の目からはエス様が無感情に見えたことはないですよ。今も、ちゃんとお子様でした」


 ほら、そうやって僅かにでもむくれたりする。

 毎日観察していた上で、その時に目を凝らしていないと分からない程に微かでも、確かに王子の表情は動いている。

 アルバ程王子を観察している者はいない。他の者にはこれが見えていないだけだ。


「焦ることはないんです。ちゃんと、一歩ずつ大きくなればいいんです。エス様ならそうするだけで、当たり前のように吸収して自分のものにするでしょう?」


 周囲は、実の親である王は、王子に早熟を望むかもしれない。

 そんなに期待を掛けずとも、この王子は放っておいても立ち止まらずに次から次へと取り込んで成長していくだろう。


「大変な時は何もご自分だけで頑張ることはないんですよ。エス様は『同族』を見つけるまでゆっくりしててもいいくらいです」


 以前に王子に意味を教えた、『同族には情が厚い』という言い伝えに近似な言葉。同族というのは同種族のことではなく、心を預けられる存在のことだ。

 そんな、いつ現れるかも何処に存在するのかも分からない、『龍の女神』のような存在も、この王子であれば瞬く間に見つけられるような気がしていた。


「そのうち民の人型と触れ合ってみるのは如何です? 意外にもその中に――」

「アルバ、……ありがとう」


 人型の、特に女性と触れ合うのは最高に訳が分からなくて勉強には打ってつけだ。感情の塊に触れれば王子も何か感じるだろう。

 我ながら名案だと言い切ろうとして、衝撃が走る。


 初めて、名前を呼んでくれた。

 王子はそれがどうかしたのかとでも言いたげに首を傾いでいるが、アルバがあまりにも大袈裟な反応を続けるせいで恥ずかしくなったのか、目許を紅くして顔を背けた。


 愛らしい様子に更に嬉しくなったアルバは、不敬とは知りながらも王子を抱き締めた。

 驚いた後に暴れ出す王子を腕の中に閉じ込めたまま、柔らかな水色髪を毛流れに従って撫でていると抵抗が弱くなる。

 人形のようにされるがままで、手の置き場すら分からずにさ迷わせている仕草から気付くものがあった。

 この王子は……この子は、抱き締められたこともないのだと。


「……エス様の大事な同族、見つけたら、その時は教えてくださいね」


 返事はなかった。それでも、ただ静かに腕の中に収まって聞いていてくれるのが幸せだった。


 勿論、次の日騎士団で自慢した。アルバが日々詳細に語るせいか、第一部隊の中では密かに王子を可愛がり、愛でる者達が増えてきている。

 それが発端だったのか、噂に侵食されていたはずの城内は意見がはっきりと二分し始めた。兼ねてから疑問を抱いていた者達が考えを改めていったからだ。


 後になって思えば、その日が境だったのかもしれない。

 アルバと王子の距離が徐々に縮まり、兄弟、いや氷龍族ではそれでもまだ遠い。それこそ、言い伝えにある『同族』のようになっていった。

 口癖の『うざい』『うるさい』『鬱陶しい』は無くなっていないが、それも一つの愛情表現だと感じる。


 確かに任された背中を守ることが、至上の喜びを生むとは想像もしなかった。

 忠誠心というものを、アルバは王子に仕えて真に理解出来たと思っている。


 毎日が満たされていた。薄暗い世界に生きているとは思えないほど、綺麗で明るい時間だった。

 王子にとっても、悪くはない時間だったと思えてもらえていたらこれ以上の幸せはない。


 だが、そんな幸せな時間は、僅か三年という短さで終わりを迎えた。




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