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ショコラクリスタリゼ  作者: ななせりんく
第五章 嘗ての爪痕と牙の味
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12.ショコラ、安泰をもたらす。




 毎朝、洗面所で首元を確認するのが日課になってきている。新しい牙の痕がくっきりと二つ、間隔を開けて並んでいるのを見ると嬉しくなるから。

 私がもっとと強請ってしまったから深い傷になったのか、あれから数日が経過しているにも関わらず、触れると浅く窪んでいる。

 確実に精度の高いエスの治癒魔法でも治りきらなかったのだろうか。こうも主張するように紅く残ると、どうにも思い出してしまって恥ずかしい……。


 先に付いていたベルクの牙の痕は、もう目を凝らして見ないと何処だったか分からない程薄くなっていて、上書きするとすぐに消えるというその絶大な効果を知った。

 他でもない好きな人の残してくれた痕。間抜けな顔でにやけている自分が鏡に映っている。


「あら、ショコラちゃん」

「ひゃい!」


 変な声が出た! 慌てて髪で痕を隠してリプカさんの方を向く。


「この間の凄い雨からかしら、浸食、かなり進んでるって聞いたわ」

「はい! 昨日で七割方は潤ったと思います」


 それもこれも、毎日エスが魔力を上乗せして手伝ってくれるからだ。二人で作業するとあっという間だった。もう少しで街の外れや山間まで行き届く。

 その間にも仮面の組織について調べていたけれど、これだけ滞在していて気付かれているはずなのに何の動きも無いのが引っ掛かる。


「一度木を植えてみるそうよ。ペトラとかいうあの子、木の芽をいっぱい抱えて運んでいたわね」


 ペトラ、芽を生やす魔法を使うのが早かったから、この時の為に用意してたのかもしれない。

 抱えている姿を思い浮かべると、狂気のお兄さんも何だか愛らしいなと思ってしまった。


「緑いっぱいの閃の国、楽しみですね」

「ユビテルとか対抗して植林しまくるんじゃない? 対抗するのにここから調達しそうよね」


 確かに。あののほほんとした笑顔は本来の目的を相手に忘れさせる程のゆるさがある。


「おーショコラ、喋んの久しぶりだな!」


 洗面所の扉の隙間からプロミネが顔を覗かせている。

 続いて良い笑顔で例の重量挙げの話を持ち出してきたけれど、エスがプロミネから私を奪い取った後から肌寒い気がするからやめてほしいとリプカさんが抗議していた。重量挙げからも助けてくれていたらしいエスに感謝しないと。


「二人共、手伝ってくれてありがとう」


 こんなに早くに街中まで浸食出来たのはエスが上乗せしてくれたお陰、それはその魔法に手を貸してくれた二人のお陰でもある。


「やだ、私達大したことしてないわよ。ほとんどあの子が何とかしたんだから」

「まあそうだな。慰謝料がちょっとばかし割り増しになるくらいだろ」


 本当に良い人達だな。二人が笑ってくれると私まで嬉しくなる。


「……それより私達、良いことを思い付いちゃったのよね」

「俺達炎龍族は義理と人情で成り立ってるからな。この貸した恩、どう返してもらうか考えるとわくわくしねぇ?」


 あれ、何だか二人の笑顔が黒い。


「お前は黙って見てろって。悪いようにはしねぇよ」


 悪そうな笑みを浮かべてそう言われても、仲良くしてもらっている私でも信用出来ないのだから、ほとんどの人がその言葉を信用出来ないと思う。

 エスの身に災難が降り掛からないことを願った。



 お城のバルコニーから街並みを見下ろすと、つい数日前までは閑散としていたとは思えない程活気付いていた。

 建物の修繕をしている人達、露店を出している人達。とても暗い顔をしていた人達がああなっているなんて、この光景を見ない限りは想像も出来なかったと思う。


 灰色掛かった土色の殺風景に色が差し込み始める。やっぱり地龍族を助けようと思って良かった。均衡を崩すとしても、前の状況で良かったとは思えない。笑って生きるのが一番良い。

 私だって、例え一筋の希望にすがりついてしまったのだとしても、エスに会わなければ良かったなんて思わないから。


「ベルク様、準備は完璧に整いましたよ」

「手間を掛けさせたな」

「いえいえ、こんなに楽しい仕事は久しぶりですので」


 話し声が近付いてきたと思えば、何となく土で服が汚れているペトラと、幾分か穏やかな顔をしているベルクだ。

 二人と目が合って、今から何かするのかと下がろうとすればペトラに腕を掴まれた。


「妖精さん、捕まえた。皆呼んだのに妖精さんだけ見つからなくて苦労したよ?」

「え、何かするなら邪魔じゃない?」

「えー、それじゃあ僕達はただの鬼畜になっちゃうじゃない」


 そう困ったように笑われてしまうと居るべきなのか。何処にいたらいいだろうかと困っていると、城内からエス達四人もやってきた。

 何処となくエスの機嫌が悪そうなんだけど、プロミネとリプカさん、何をして返してもらおうとしているのだろう。


「ねえベルク、ちょっと話があるんだけどいいかしら?」


 リプカさんがいつもの調子でベルクに声を掛けると、ベルクは眉根を寄せて溜め息を吐いた。


「全く、炎龍族は特に口の訊き方がなっていない。王位はいつ捨てたんだったか?」

「王位とか何代前だった? ねえプロミネ……って私が分からなくてあんたが覚えてる訳ないわよね」

「リプカてめぇ、三代前だろうが。性に合わねぇからって化石ジジイが王族やーめたーって投げ捨てたらしいな。クソジジイが言ってたぞ」


 すごい、登場人物がジジイばかりで、三代前で炎龍族が王族を辞めていることしか分からない。私と同じ気持ちなのか、エスとティエラ、ベルクとペトラ、皆同じげんなりとした様子で炎龍の二人を見つめていた。


「話が大きく逸れたわね。私達は交渉しに来たのよ」

「潰しに来たところ、だいぶ穏便に済ませてやるんだから感謝しろよ」


 挑発されているベルクは、それはそれは面倒な子どもを相手にしているように呆れ返っていた。ふとした瞬間に遥か年上であることを感じる。


「こっちにはすげぇ交渉材料が揃ってる」


 プロミネは強引にエスの肩に腕を乗せる。肩を組まれてしまったエスは物凄く迷惑そうにしている。エスだけでなく、ティエラもリプカさんに抱き締められていた。


「なあエストレア、お前、さっき言ってくれたよな。何でも言うこと聞いてくれるって」


 息が止まった。エスにそんなことを言わせるなんて、プロミネは一体どんな手を使ったのだろう。

 エスは私の件で仕方なく、と答えるティエラはリプカさんに優しく頭を撫で回されている。ティエラは無条件降伏で大人しく従うのだと。


 全く話が見えない。それに、エスが私の件で何でも言うことを聞くなんてどういうことだろう。エスに視線を向けるとすぐに目を逸らされた。

 プロミネはそれを面白がって更に体重を掛けている。


「ふーん。妖精さんって罪な女神だね。エストレアを降伏させるなんて相当じゃない?」


 私は条件に掛けられるようなものは何も持っていない。本当に何も思い付かない。エスがそんな自分に不利な言葉を口にする理由が。

 交渉の材料にしては過ぎた代物である氷龍族という種族。何の為に二人はこんなことを……。


「俺達炎龍族と、コイツら氷龍族は同盟を結ぶことにした」


 私だけじゃない。地龍族の二人も驚きに目を瞠っていた。


「は、え、ちょっと、そもそも同盟って国がないと成り立たないんじゃないの? 炎も氷も権利を放棄してるでしょ?」


 ペトラが動揺しながらも疑問を投げ掛ける。それもそうだ。ここの二種は国を持っていない。プロミネ達は一体何を言い出すんだろう。


「まあな。政治みたいなくそ怠ぃこと、こんな状況でもなきゃ俺だって御免だ。そこであの雰囲気ジジイの登場だよな」

「ユビテルが現状先進国で首位の力を持ってることはご存知でしょ?」


 二人の言葉通り、ユビテルに絶対的な権限が今あるのだとしたら……心臓が、うるさい。


「俺達炎龍族は華の国を再度治めることになる。それから、氷龍族は嘗ての自国を復興させる」

「ユビテルが御機嫌で書類を作成中って、フェゴから連絡を受けてるところよ。これで、最初に戦争を始めた氷龍族の思惑通り、三種まで纏まったわね」


 復興させる。それはエスが国の立て直しを承諾したって言うことになる。それから炎龍族が政治に戻って……それなら同盟は成立する。


「……成る程、我等地龍族を四種で最下位に沈めたということか」

「ここで本題に入るのよ。そのまま地龍族とも同盟結んでこいってユビテルがうるさいらしいわ」

「…………は?」


 ベルクが目を瞬かせる。

 炎龍族の二人曰く、ユビテルという恐ろしい平和主義の国王は、平和の為なら手段を選ばない者だと。だから、返事は肯定以外聞く気はないのだと。


 何が起こってるのだろう。頭の中で整理が追い付かない。これは、とてつもなく良い方向に進んでいるんじゃないのか。

 理解し始めた時、私はエスとベルクの顔を交互に見た。何だか、勝手に全てを進められてしまって諦めたような顔をしている。


「同盟結ぶか? 否定の場合、お前らの弱点属性である俺達とエストレアが漏れなく叩きのめすけどな?」


 ベルクを心配しているのか、ペトラが名前を呼んで顔を覗き込んでいる。決断を迫られて難しい顔で固まっていたベルクだったけれど、一つ深い息を吐いてから頷いた。


「……分かった。その同盟、結ばせてもらう」


 それを聞いたリプカさんはティエラを抱き締めて喜び、プロミネは即座にフェゴさん宛てだろうか、連絡を入れていた。

 本当に今、四種全ての龍族が纏まったの? 嘘みたいな話で手が震える。


「何十年も堅苦しいことばかりを考えていたからな。たまには子ども騙しに乗ってやる」

「ベルク様は、やはりお優しいですね」


 地龍族の二人を見ると、まるで親子のように見えて緊張の糸がほどけた。

 手の震えが収まった時、ベルクが両手から淡い緑の光を街中に放つ。国全体への魔法、これが龍九割の魔力なんだ。そこにペトラがそっと魔力を上乗せする。

 街を覆う緑の光が、至るところに草木を生やしていく。生命力を使うってこういうことか、張り巡らされた樹属性魔法でみるみる内に街が緑で溢れていく。


 龍九割の支配下。それは恐ろしさだけではない。ベルクについて行けば絶対に負けないという安心感と、絶大な信頼に包まれていた。

 この魔力量を肌で感じるのか、ベルクとまともにぶつからずに済んだことをプロミネとリプカさんが喜び合っている。


「国があの状況になっても誰もここを離れなかったのは、皆が地龍族の力を信じていたからですね」


 未だ魔法を掛け続けているベルクが私を一瞥してからまた街に目を向けた。国民が歓声を上げて沸き立っているのが目に入る。


「ショコラ、先日は手荒な真似をして悪かったな。それから、有り難う。この件に関して、心から礼を言う」

「妖精さん、ベルク様の『心から』は本当に貴重だよ。僕も虐めちゃってごめんね。ありがとう女神様」


 幸せそうに魔法を掛け続ける二人。私も幸せだ。笑顔で頷くと後ろから腕を引っ張られた。エスだ。不機嫌さは無くなって、いつもの真顔に戻っている。腕を引かれたから私に用があるのかと思ったのに、視線はペトラに向けられている。


「お前、魔力強くなってるな」

「え、それ、本当に言ってる……?」


 ペトラが驚いた顔をしたから、もう一度エスが言った台詞を頭の中で反芻させると、奇妙なことに気が付いた。まるで、以前の状態を知っているような口振りだ。


「本当。だけど、成長しても女顔」

「っ……そう言う君の顔も、やっぱり男らしくはないんじゃない?」


 ペトラの顔が一瞬泣きそうに歪んでから、笑顔で弾き飛ばしたのを見てか、頭上のエスも声が笑った。


「お前よりはマシ」


 ほら、やっぱりエスはペトラのことを覚えていた。ペトラにとっての大事な一度を、優しいエスが忘れているはずがない。


 緑に溢れたこの国で、龍族が一つに纏まろうとしている。幸せだな。きっと全ての問題が解決すれば、この世界は嘗てない程幸せな世界になるのだろう。

 ここに雷龍族と、連絡を取り次いでくれたフェゴさんが加わって、たくさんの種族がその下に並んで、幸せな世界を作り上げていくのだろう。


 先の見えてきた幸せな想像、こんなにも鮮明に思い浮かべることが出来るのに、その中に私の姿はなかった。




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