6.ショコラ、勝機を見出だす。
執務室を出た先は戦場となっていた。案の定お城の中だったそこは炎が燃え上がり、黒い空気が渦巻いている。ここは二階のようだ。吹き抜け構造になっている為に上も下も見渡せる。
炎龍族の二人は人型のままでありながら炎を纏って辺りを跳び回っていて、まるで止まっている時間がない。ティエラは一階で、その小さな身体で折れた柱や瓦礫等を軽々と持ち上げて脅すように投げ付けていた。私達に気付いたティエラは笑顔で手を振ってくる。
何とも恥ずかしい治療の後、執務室から出て応戦しに行こうにも、立った瞬間からひどい目眩に襲われてエスに受け止められる事態に陥った。そのまま担がれて今に至る。
この人は雑作もないというように私を平然と抱えるけれど、片手が塞がるし重いしで良いことはないだろうに、何故か機嫌良く見えるから分からない。
「妖精さん、大事に抱えられちゃって」
振り返った先にはペトラが興味深そうにこちらを見ていた。城内の同じ地龍族が逃げ惑う中、一人落ち着いて佇む姿が異様に映る。
「エストレア、元気にしてた?」
旧知の仲のように話し掛けるペトラに対し、眉をひそめて疑問符を浮かべているエス。
「僕、お兄さんと同い年だから、昔に何度か顔合わせたことあるのに酷いな」
「覚えてない」
エスは大して考えもせずにばっさりと切り捨てた。
こう言ってしまうとあれだけど、基本的にエスは誰にでも冷たい対応をする。私のことも迷惑だと一度は突っぱねたのだから、覚えていないのが本当かはともかく、昔の知り合いにも良い顔はしないと思う。
「まあいいや。あれ炎龍族だよね。うちは空気が乾燥してるから燃えやすいのなんのって」
「何で抵抗してないんだよ」
もう一度現場に視線を向けると、確かに二人が暴れているだけで大きく抵抗している形跡がない。ティエラも遊んでいるだけという感じだ。
「んー、抵抗出来ない、の間違いかな? 僕達今そんなに強くないから」
直系と傍系の話を持ち掛けるくらいなのだから、地龍族も相当強いはずなのにどうしてだろう。誰一人として魔法を使っている様子がない。
土の栄養状態が悪いからだろうか。ふと流れ込んできた情報を小さく呟く。地龍族の弱点だ。
名前の通り、大地と生きる彼等はその大地の状態が悪ければ、存分に力を発揮することが出来ない。
今は、大した魔法も使えないくらい大地が弱っているのかもしれない。「なら、確実に氷龍族が悪い。恨まれても仕方ない」と呟きに応えるように耳打ちしてくるエス。土の状態と氷龍族の関連性がよく分からないけれど、先の戦争でこの状態になったのは聞くまでもないようだ。
「暴れてるのは別にいいんだけど、これだけ燃やしてもさ、僕達地龍族が城を潰したらどうする?」
ペトラのジト目が不敵に笑う。恐怖心が甦った私がエスにしがみつくと、エスはハッとしたように私にきつく腕を回し、即座に一階にいるティエラの元に飛び降りた。
「もう遅いよ」
耳に届くペトラの余裕な声。エスは状況が理解出来ていないティエラの腕を掴んで有無を謂わさず回収し、未だ飛び回っている炎龍族に城が潰れる旨を伝えると走り出した。
轟音と共に中央から天井が落ちてくる。内から外へと崩れていくように瓦礫の山になっていく。
まさか、こんなに派手な攻撃をされるとは思わなかった。出口が遠い。瓦礫の雪崩が追い掛けてくる。このままじゃ間に合わない。
「にーちゃん、ショコラだけ守れればいい?」
「充分だ」
何の話か分からないまま床に置かれた私の上で、二人がドラゴンに姿を変える。
銀とクリスタルのドラゴン。私を守るように覆ってくれる二人に、天井や壁だったものが何度も何度も容赦なくぶつかる。崩れ落ちるそれが収まるまでの時間が長く感じた。
その肌は人型より格段に硬いものだろうけど、きっとすごく痛いんじゃないだろうか。ドラゴンだから表情も傷もよく分からない。
痛ましい気持ちで二人を見ていると、いつの間にか崩れる音と揺れが小さくなっていった。
ほとんど音が無くなった時、ティエラがよいしょという動きで天井だったものを勢いよく押し退ける。
開けた外の景色には暗い夜空が広がっていた。
「ちょっと痛かったね。昔教えて貰ってた通り、頭おかしいし」
人型に戻ったティエラはあちこちから血を流している。どう見てもちょっとどころではない。
「だから地龍族と当たるのは嫌なんだよ。これ、明日には再生してるんだろ。気持ち悪い」
同様に、城を見遣ってげんなりしている人型のエスも傷だらけになっている。それに比べて無傷の私。
何でも無さそうに破片を払ったり傷を癒したりしている二人。それを呆然と見ていると、ティエラが私を見てにっこりと笑った。
「ショコラ、大丈夫だった? 来るのが遅くなってごめんね。入るまでに手こずっちゃって」
「大丈夫、だけど……」
拍子抜けしてしまう程に普通に。自分が傷付いてしまったことなんて構わずに。
後少し迎えにくるのが遅ければ死んでいたかもしれないと、いつまでも古いやり方にしがみつくのはどうかと。
瞳孔が裂けるくらいには怒りを露にしているエスに倣い、ティエラも笑顔で血だらけの私を見下ろして仕返しが必要だと呟いた。
どんどん物騒な話を決めていく二人。このままだと、私を守ってくれたことが何でもないみたいに流されてしまう。
慌てて御礼を口にすれば、口々に助けるのは当たり前だと言われる。当たり前なんてことはない。嬉しくてまた泣きそうになってしまう。
「地龍の雄もほんと最低ね!」
「自滅技は都市伝説じゃなかったのかよ。気色悪ぃ、暴れ損だわ」
向こうの方から瓦礫が崩れる音が聞こえたかと思えば、傷だらけになった炎龍族の二人が顔を出す。
崩れたばかりなのに、瓦礫が城を再構築するようにゆっくりと動き出していて血の気が引いた。
「何これ……」
「不滅の城。何度崩落させても無駄な術が掛かってる」
「大昔のものだって。昔は氷と地が世界を二つに分けていたくらい強かったみたいだから」
戦って勝ち残る為の手段を選ばなさすぎる。こんな変な術式まで完成させているなんて。
「そっちは全員無事か?」
「余裕」
「血だらけで嘘吐いてんじゃねぇ!」
向こうから手を振ってくるプロミネに雑な返事をするエス。とりあえず、皆無事で良かった。
それにしてもすごい疲労感だ。漸く一日が終わりそうだと息を吐いた時、砂利を靴底が踏む音が聞こえてきた。
「全員逃がしてから潰したんだろうな」
「当たり前だろう。口の訊き方には気を付けろ。若造が」
見上げた先にはベルクが立っていた。その後ろにはペトラを筆頭に、城内にいたであろう人々が集められている。
「人質を殺しかけるようなやつは信用出来ない」
その疑わしさを蒼色に込めながらエスはベルクを睨み据えた。
「皆殺しにしてのうのうと生きてる者が言えることか?」
地龍族に殺されかけた私が言うのもなんだけど、龍族ってどうしても平和的には出来ないのかな。
国王様のユビテルや長候補のプロミネなら、度々喧嘩しつつもエスと話が出来るのに、ベルクとエスはお互いに嫌悪感を露呈している。過去に争い合った種族なのだから当然だけど。
「ベルク様、その氷龍族の者ですが、やはり第一王子のエストレアで間違いありません」
ペトラが飄々とした様子でベルクの側にやってくる。崩れる直前まで城内にいたにも関わらず、その身体には傷一つ無い。
「そのようだな。この髪、この瞳、生意気な童の頃と何等変わらん」
まるで、幼少期のエスをよく知っているかのような口振りに首を傾げる。それに、気のせいだろうか。その冷たい瞳の中に、『懐かしい』という感情が見つけられるのは。
ベルクはペトラと目を合わせて頷き合うと、後ろの人々を連れてこの場から去ろうと踵を返した。
わざわざ、私達の前に現れた理由は何だったのか。まさか、エスの顔を見るだけ、なはずはないのに、行動だけ見れば本当にそれだけだ。
「貴様は、私を見ても本当に戦おうとしないのだな。ただの腑抜けか、それとも……だが、土はもう還らない」
小さな声で紡がれるそれは、私達三人にだけ宛てたものだったのか。後ろに控えているペトラが、心配そうにベルクの名前を呟いている。
微かで、少しの風でも掻き消えてしまいそうな言葉尻を耳が拾った時、隣にいたエスが目を見開く。何か、心当たりがあるのだろうか。返す言葉も見つからないという風にエスが俯いたのを見届けた後で、地龍族は立ち去っていった。
エスに、何を伝えようとしたのだろう。捕らえられていた時は、氷龍族の殲滅を願っていたのに、ベルクは確かに、何かを期待したように見えた。それに、ペトラも同じ気持ちでいるようだった。
そっとエスの手に手を重ねて握る。エスは律儀に責任を感じているのだろうけど、子どもは本当に無力だ。何かを変えようと思っても、大人を前にしては何の意見も通らない。
当時を知っている氷龍族がエスだけしか残っていないからと、エス一人が背負わなければいけないことじゃない。
「時間は戻せないし、死んでしまった人達を生き返らせることはできないけど、土は蘇らせられるよ。多分、出来ると思う」
深い闇の中に堕ちそうになっているエスに、聞こえるかどうかの小さな声で続ける。
「大丈夫だよ。エスは私が許すんだから。重いものなら、私も一緒に持つから」
笑顔で見上げれば、エスの瞳に光が戻っていく。こんな時に笑っていられる私は本物の馬鹿だけど、馬鹿でもエスを救えればそれでいい。
握り返される手の温もりを感じながら、土のことならやってやろうじゃないかと腹をくくった。




