3.ショコラ、干渉される。
エスの手を握り締めても拭い去れない不安を感じながら、灰色の街の中を歩いていく。
まだ外れた場所とは言え、家々が建ち並んでいるのに誰一人外に出ていない。本当に、まだ生きている国なのかと疑う。
暫くして、先を歩いていた炎龍の二人が立ち止まる。二人は一頻り辺りを気にして見回してから、私達三人の方へと振り返った。
プロミネは言いづらそうに、何度か口籠っては頭を掻いて誤魔化して、後ろめたそうに視線を逸らしながら切り出した。
「エストレアとちっこいのは、いい加減気付いてんだろうな。単刀直入に言えば、俺ら炎龍族は地龍族を潰しにきた。……その為にお前らを巻き込んだ」
突如として告白された内容に私は固まる。……正直に言えば、私も薄々そうなんじゃないかと気付き始めていた。
山間のコテージで、プロミネとリプカさんはひたすらに何かの現状について調べていた。私の特訓に付き合ってくれている間にも、地龍族に動きがあることを教えてくれていたから、鈍い私でも気付けたのかもしれない。
エスとティエラの横顔を見れば、そこには何の驚きもないのが分かる。
プロミネの言う通り、二人はとっくに気付いていてわざと巻き込まれていたんだろう。
「悪いわね。現状、何がしたいのか分からないなら、何かされる前に叩くべきでしょう?」
「俺らは過去に囚われたりしねぇ。でもな、だからって今を壊されるのを許容出来るわけじゃねえよな」
二人の目的はあくまで『今』を守ること。
それを乱す可能性がある因子を取り除こうとするのは、今を精一杯生きていたら当然のことだった。
騙されていたようなものなのだろうけれど、雷龍族の皆とはまた別の形で、炎龍族も平和を守りたいんだと思う。やっぱり、炎龍族も国の頂点に立つべき種族だ。
黙りを続けるエスに、プロミネは「利用して悪ぃ」と潔く謝る。それに対するエスの返事が「殊勝なお前とか気持ち悪い」だったせいで、プロミネはいつもの空気に戻った。
「情報収集してたお前らに聞きたい。……地龍族の狙いは、本当に俺一頭か?」
軌道を戻すエスの質問に、「え、エス、地龍族にも狙われてるの?」なんて疑問を口にしてしまった。
お陰でエスとプロミネが残念なものを見る目で私を見てくる。馬鹿でごめんなさい。
「大方お前ってところだな。まず動き出した理由はお前が見つかったからで間違いない」
ああ、そうか。私がエスとティエラを連れ出してしまったから、何処からか噂が流れ着いたんだ。
ここでも私の軽率な行動が裏目に出ている。もう少し、考える頭があれば良かったのにな。
「万が一の場合に、もし逃がせなかったら……お前ら、責任取ってくれるんだろうな」
反省しながら俯いていると、急にエスが私の手を強く握って凄むから吃驚した。
プロミネもプロミネで、「それは高ぇな。当然、今までのツケから差し引いて損害が出るような真似しねぇ」と余裕の笑みで返している。
何だろう? この部分は、私一人だけ何のことか理解出来ずに終わってしまった。
進む毎に固い砂を踏む足音のみが継続的に耳に届く。
時折吹き抜ける乾いた風に髪が煽られる度に、疑問が積み重なっていく。砂漠状態なのに砂漠の条件に合わない。こんなことって、あるんだろうか。
この街並みは国の意思でこの状態にされているとは思えなかった。どうしようもなくてこんな状態のまま放置されているような。
コテージに滞在していた時、エスがこの辺りだけ人工的に土台を作って植林してあると言っていた。
あそこは雷龍族の管理下だから、それをしたのは雷龍族になる。だとしたら、地龍族には同じことが出来ない理由が……弱点があるのかもしれない。
山が禿げる原因のほとんどは人為的なもの。なら、これも嘗ての争いが生んだ結果なのだろうか。
私にここまで考えられて、エスの思考が辿り着いていないわけがない。
見上げた先にはいつもの真顔がある。
エスはきっと、私と違ってある程度のことは分かっているのだと思う。何でも知っているのだと思う。その上で、何も言わずに一人で抱え込んでいる。
それは、周りに頼れる相手が存在していないから?
ティエラはまだ小さいから、お兄さんとして心配掛けたくないのは分かる。そうなると、私は頼るに値しない存在だということだ。
要らないことに気が付いてしまって落胆する。
私が迷惑をかけるばかりで、守ってもらってばかりいるからだ。私もエスの力になりたいのに、隣じゃなくていつまでも後ろを歩いている。
情けない。いつになったら私は成長するのか。
『ねえ、妖精さん』
突然、耳許で高めの男性の声が聞こえてきた。その近さに驚いて、弾かれるように振り返っても誰もいない。
私の動きが不審だからか、エスが訝しげに目を細めて見下ろしてくる。その視線は明らかに私だけを気にした様子で……。
続いて、『もしもーし、聞こえてるんでしょ?』と、先程よりもはっきりと聞こえてきた。それでも、周囲に誰かいる気配はない。
エスには、聞こえていないの……? 何かしらの魔法によるものなら、私よりも先にエスが反応しているはずなのに。
聞こえてはいけないものが聞こえたのだろうか。
暗い土地だから、昼間でも変なことが起こったりするのかな。だんだん怖くなってきて、私はエスの腕にしがみついた。
どうしたのか、とエスに掛けられた声が思いの外優しい。いきなり抱き付いたりして、かなり不審なのに子どもをあやすような声の柔らかさだった。
まだ何が怖いのかも分かっていないのに、怖がっている場合じゃない。お化けとかじゃなくて、多分これは地龍族の用意した罠だ。
私にしか聞こえていないなら、私が頑張らないと。私がエスを守るんだから。
やっぱり何でもないって笑えば、誤魔化し方が下手くそ過ぎて、エスはその蒼い瞳に疑惑の色を添える。
本当は心細いけれど、追及されると巻き込んでしまう。仕掛けられている私がしっかりしないと。
エスの腕から身を離した時、また耳許で『君、氷龍族、連れてるよね?』と高い男性の声に問い掛けられた。
聞かれたところで答えようがないし、どうして私はなんだろう。『君が間抜けだからこんな簡単な術式に掛かるんじゃない?』それもそうだ。私が皆より惑わされやすいからに違いない。
……ん? 今、頭の中で思っただけで見透かされたような。
『余計なこと考えたら筒抜けだと思うよ』
声はちゃんと私の心に反応した。ただでさえ雑念が多い私には苦労しそうな術式だ。
何事もなかったかのように、エス達と街を歩きながら、私はその謎の声とせめぎ合っていた。
少しでも考えると読まれるせいで、エスとティエラのことだけじゃなく、プロミネとリプカさんの存在まで知られてしまっている。絶体絶命だ。
私の質問にはまともに答えてもらえなさそうだから、私は機を見計らっていた。
『ところで、逃げないの? それとも、近くにいるのが逃がしてもらえる面子じゃないのかな? 例えば、隣にいるのがエストレアとか』
……何でエスの名前を知っているのだろう。
私があまり考えないようにし始めた辺りから、声の主はつまらなくなったのか誘導尋問に切り替えたらしい。
それでも私は答えない。その様子だと、私の位置は分かっているものの、他の皆の位置は曖昧なように聞こえるから。この考えにも、『その通りだよ。ただの能天気じゃなさそうだね』と返された。
顔を合わせたこともない人に、何度も馬鹿にされているのが地味につらい。
『さすがに龍体で移動されるとこの術式は持たないよ。でも、そうしてもらえそうにない。つまり、君の近くにはエストレアしかいない』
どうしてそういうことになるのか。
挑発ではなく言い切られているせいで焦燥を煽られて、私はエスにドラゴンの姿の自分には触るなと警告された時のことを思い出してしまった。
声の主は私の考えに納得した様子で、『怒られてるなら、相当大事にされてるね』と感想を述べてきた。
『それ、何でかと言うとね。触れた者を殺す身体だからだよ』
聞いてもいないのに教えてくれる声に、反射的に「え……?」と口に出して応えてしまった。
まずい。エスが訝しげな視線を送ってくる。そう考えてしまうと『お馬鹿さん、隣の存在、バレてるよ』と嗤われた。
どうしよう。もう、誤魔化しようがない。
思考を遮断された私は、今しかないとエスの手を振りほどいて、一人皆から離れるように走り去った。
『なんてね』
口角をいびつに持ち上げて、してやったりと笑う口許が見えたような気がした。
エスが私に追い付いてきた時にはもう遅くて、私は蟻地獄に飲まれるように、足に絡み付く魔法陣に引きずり込まれていった。
『妖精さん、いや、本物の女神? ようこそ、我らが地龍族の国へ』
歓迎の言葉を聞いて私は漸く理解する。エスの話を餌に嵌められたのかもしれない、と。
沈んでいく視界に伸ばされるエスの手が見えた気がして、咄嗟に「助けに来ないで!」とだけ叫ぶ猶予は貰えた。
暗く閉ざされていく視界に意識を溶かされながら、エスが私の言葉を守ってくれることをひたすらに願った。




