11.ショコラ、気持ちに気付く。
翌日、エスが降らせた雪は見事に降り積もり、極度に寒いのが苦手らしい炎龍の二人は青褪めながら白銀一色の空間を見つめていた。
プロミネに至っては「さみいいいいい!」と一頻り叫んでおり、先を行く旅人達が何事かと振り返るからちょっと恥ずかしい。
それに対して「うるさい」と短く返すエスは、顔こそ無表情を貫いているのに声には不快感を露にしている。
「おいエストレア、コレお前が帰ってきてからだろ! 操ってんのか? あ? 利子つけて請求すんぞ?」
「ちょっと、さすがに言い掛かりよ。天候操れる程の魔力なんて制御出来るわけないんだから」
うん? これは……昨日、エスが降らせたことは黙っておいた方が良さそうだ。
やっぱり操れるものじゃないんだ。聞いている本人は軽く無視をしている。すごいことなのに。狙われてしまうわけがよく分かるというか。
あれからティエラは丸一日寝てすっかり元気になったみたいだ。
回復が早くて良かった。朝早くから移動を始めたのに、旅人の女の子達がエスとティエラの姿を捜していて、山道に出るまで何度かプロミネとリプカさんが二人を隠していてくれた。
御礼を告げた後のプロミネは勿論、「勘違いすんじゃねぇ。臨時収入の為だ」とか言っていたけど、今まで一度もちゃんと請求なんてしていないのに。だるいと言いながら協力してくれるから優しい。
そう言えばエスの体調は大丈夫だろうか。顔を見るだけじゃ今日も無表情過ぎて分からないけれど、十日も何処かに行っていたのだから疲れが溜まっていたりしないのかな。
心配だと、じっと見つめていたら目が合った。何となく気恥ずかしくなってすぐに目を逸らす。昨日、あれから暫く手を握られたままだったから……。
それから、エスの料理の上手さは女に生まれたことを後悔するくらいだった。
元王子様なのに何でも出来すぎだと思う。それだけの苦労を重ねてきたのが分かるけれど、あれは完全に元から器用な人のそれだった。
そんな気はしていたのに、いざ自分の女としての無能さを突きつけられると悲しくなる。もっと頑張らないと。
「ショコラは寒くない?」
「大丈夫だよ。雪は、私も好きだから」
気に掛けてくれるのが優しいな。そっか、とふんわり笑うティエラは元の小さなティエラだ。可愛くて癒される。
それにしても、龍族の人達は皆とても優しい。今までされてきた扱いが酷すぎたのかもしれないけれど、皆が皆よくしてくれるなんてそんなにないことじゃないだろうか。
プロミネもリプカさんも、どうして私に優しくしてくれるのだろう。身に余る優しさをもらえると不安になってしまう。
「プロミネ! ショコラちゃんが見つめてくるわ!」
「何だって? おい、何熱視線向けてきてんだよ。とうとう俺のもんになる気になったか?」
「ショコラは僕達のだってば!」
両側に二人がやってきてティエラが迷惑している。だけど良いタイミングで話し掛けてくれた。私はそんなに二人を見つめていただろうか?
「あのね、二人は何で私に優しくしてくれるの?」
プロミネとリプカさんは首を傾げてから顔を見合わせる。至極不思議そうだ。
「んなこと、当たり前だろ。お前は女だし、俺らに初めて向かい合ってきた異種族だぞ」
「そうよ。ショコラちゃん、怖いもの知らずだから。あら、でもそれも純真だからなのかしら?」
プロミネの手が乱雑に頭を撫でる。寒いからか、高めの体温が心地良く感じる。その隣で、リプカさんは頬に手を当てて考えている。
初めて向かい合ってきたというのはどういうことだろう。龍族は国を纏めている種族だと聞いた。なら、そこの下についている種族は、皆に接触しないのだろうか。
「圧倒的な力を持つ種族を恐れずに話し掛けるやつなんていない。お前が変」
先を歩いていたエスが戻ってくる。
世界を統治出来るほどの圧倒的な力を持つ龍族。私はエス達に出会って説明を受けて、初めてその事実を知ったくらいに無知だったけれど、普通に話し掛けられない程恐れられるものなのか。
皆優しいのに。国民のことを考えているのにあんまりじゃないだろうか。
大体の種族が恐怖心を持って遠ざけるか、下心で守ってもらおうと媚び諂うかだと、プロミネは教えてくれる。
私はそのどちらにも当て嵌まらず、ただ皆と仲良くしたいという気持ちしか見えないから、だから当然可愛がると。にこやかに優しく特別扱いをしてくれる二人に首を振る。
「私が無知なだけで、知っていたら皆に話し掛けないかもしれないし、そうしたら、龍族の皆にも優しくしてもらえてないかもしれないし……」
私の状態は特別でもなんでもない。知らないものは怖がれない。知っていたら、仲良くしてもらえたら嬉しいって思って近付かなかったかもしれない。他の種族と同じように近寄りもしなかったかもしれない。
「お前は知ってても来る。そういう根本的なものは変わらない」
「近くまで来なくても僕がまた見つけるよ。そしたらショコラはきっと僕を守ろうとしてくれる。でしょ?」
エスとティエラだけじゃない。プロミネもリプカさんも笑って頷いてくれる。
また不安になっていた。こんなに嬉しいことばかりでいいのかなって。皆のことを疑っているとか、そういうのじゃなくて、本当に今までに無かったことだから。
私なんかが優しくしてもらっていいのか、仲良くしてもらっていいのか、仲間と呼んでもらっていいのかって。私は、とても幸せだ……。
「おいおい、何泣きそうになってんだよ。ちっとは自信持て」
私を慰めようとしたプロミネが、また頭に手を伸ばそうとして横から払い除けられていた。エスの白い手がプロミネの手を捻り上げている。
舌打ちをしたプロミネがエスを睨み付ける。皆が喧嘩を始める瞬間がよく分からない。
慰謝料がまだだとか、架空請求も大概にしろだとか、連れ帰る縄張りがない癖にだとか、連れている範囲が縄張りだとか。
暫く続いた口論の末に、プロミネが私を見下ろしてきた。
「ショコラ、お前は番いになるならコイツの方がいいか?」
投下されたのは何とも答えづらいもので、私の頭の中は混乱を窮めた。
つがいって、人型で言うところのお嫁さんでいいんだよね。いつも思うけれど、龍族は極端だ。なんでこういきなり話が飛躍していくのか。
そうやって聞くプロミネだって、別に私をつがいにしようだなんて本気で思っているわけじゃないのは分かっている。そんな妙な話はエスがいる時にしかしない。
良い人だけど、意地悪だ。ちらりとエスを見れば、いつもと変わらない真顔で私の返事を待っていた。
「私が決めることじゃないけれど……エスの方がいっぱい好き」
恥ずかし過ぎる。今なら顔でお湯が沸かせる気がする。
聞いたのはプロミネなのに、どうしてそんなに悔しそうな顔をするのだろう。仲間を好きなのは当たり前のことだ。
「なんつー顔しながら言うんだよ……くそっ、先急ぐぞ。ほら、ちっこいのもさっさと歩け」
完全に不貞腐れてしまったプロミネは、私の隣がいいと嫌がるティエラを半ば持ち上げるようにして先を歩いて行ってしまった。プロミネが嫌いってことじゃないのに。
嫌がりながらも、一緒に遊んでから仲良くなっている炎龍族の二人とティエラ。珍しくリプカさんに励まされているプロミネに叫んだ。
「プロミネのことも好きだよ! リプカさんも! ティエラも皆好き!」
やっぱり伝えておいた方が良い気がして。振り返ってきたプロミネとリプカさんが、驚いた顔をしてから顔を見合わせた後に笑う。それを見て私も笑顔になってしまう。
この好きは龍族の皆にも伝わるといいな。好きにはたくさんの意味があるから難しいのかもしれないけど、分からなくても感じる心が皆にもあると信じたい。
後ろから強めの力で肩を掴まれたと思えば、見上げた先には不機嫌そうなエスがいた。
怒っているのかと思いきや、本人も何故私の肩を掴んでしまったのか、という風に目を瞬かせていた。
肩を掴んでいた手が手首を滑ってそのまま手を掴んでくる。昨日したみたいに手を握られて、急激に顔が熱くなる。
どうしたのかと問えば、分からないと返される。ああそうか。その時、確実に感じているはずの感情が何かと聞いても、エスは自分が何でそうなっていて、何を感じているか分からないこともあるんだ。
感じても、理解が追い付かないのかもしれない。
「何を感じてるか分からないのって、怖い?」
「そう思うのが普通だろうな」
怖いかどうかも曖昧だなんて……淡々と返される言葉に浮かぶ感情が稀薄で、何とかして微かにでもいいから感じ取りたくて手を強く握ってしまう。
「エスが怖い時、私が傍にいるよ」
「何で」
「何も出来ないかもしれないけど、一緒に怖がることならできるでしょ?」
一欠片でもいい。本当に馬鹿なことを言っているけれど、少しだけでもエスの心に届けばそれでいい。
「っ、なんだよ。それ」
あ、笑った……! 柔らかく細められる瞳。緩やかに弧を描く唇。
二回目だ。前に髪飾りを貰って、それからまた笑ってくれた。一緒になって笑ってしまう。エスの見せてくれる笑顔が本当に綺麗で、ティエラとはまた違った優しい笑顔が素敵で。……もっと、何度でも見たい。
沸き上がってくるこの気持ちは、いつも感じていたのに何故か今まで認識出来なかった。ずっと、そこにあったのに。
エスへの好きと、皆への好きの意味合いが異なっていること。ずっと、自分で知っていたのに。
記憶が嵌まって、長い時間停滞していた歯車が回る。時間が動き出す。
今になってやっと気付いてしまった。きっと、初めて助けてもらったあの日から、エスを好きになり続けている。
私は、最初からエスに恋をしている。




