2.ショコラ、拒絶される。
先程までの暑さは一体何だったのだろう、山の麓に到着した頃には気温は急激に下がっていた。
涼しいを通り越して凍えそうだ。山はこんなにも温度差が出るのが普通なのだろうか。だとしても事前に調べている時間も無かったし、何も考えずに普段の薄着で来てしまったから寒くて仕方がない。
龍族の三人はやっぱり人型の私とは体感温度が違っているらしい。体力の問題もあるのか、顔色一つ変えずにさくさくと進んで行ってしまう。
何か寒さ対策になる魔法はないか、炎属性魔法を極限まで抑えて使うことが出来ればいいんだけど……。
対処法を考えながら自分を抱き締めて震えていると、私の前まで戻ってきたフルミネが何処からともなく可愛らしい包みを取り出し、モルニィヤからだと手渡してきた。
「アイツ曰く、この気候は人型には堪えるらしいから昨日急いで買ってきたんだってよ。羽織っとけ」
「あ、ありがとう」
包みの中から出てきたのはポンチョコートだった。同色のファーをあしらわれているそのコートの色は灰色掛かった水色をしていて、今着ている服にも私の髪色にも合う。
……それにしても、モルニィヤは分かっていてこの色を選んだのかな。エスの髪色と同じで少し照れる。
カードが付いていたのに気付いて開くと、『わたくしの大事なお友達へ。このお色なら、エストレア様もきっとお怒りになりませんわ。並ぶととてもお似合いでしょうね』と書いてあって素早くポケットの中に仕舞った。モルニィヤがほくそ笑む姿が頭に浮かぶ。恥ずかしすぎる。
カードにある通り、確かに雷龍であるモルニィヤからのものを身に付けたのに、エスが怒っている様子はない。
羽織るだけで全く違う。何とか乗りきれそうだと歩を進めようとした時、後ろから聞いたことのある声が聞こえてきたような気がした。まさかこんなところに居るはずがないし、気のせいかと思ったけれど、他の三人も振り返ってくるので私もそれに倣う。
振り向いた瞬間に、後ろから高速で追いついてきた二つの炎が私たちを取り囲むように宙を舞い、大きく燃え盛ったかと思えば人の形を成した。
プロミネとリプカさんだ。二人の燃えるような橙色の髪と赤い髪が殺風景な禿げ山に鮮やかな色彩を添える。
「よし到着っと! よおエストレア、わざわざ取り立てに来てやったぜ。出張代上乗せでな」
「ショコラちゃん久しぶり!」
何で二人が此処に? そう問おうにも、リプカさんに強く抱き締められてしまって返事もままならない。リプカさんは背が高いから抱き込まれるとやっぱり胸に顔が埋まる。
「ここで何の予告もなしに炎龍かよ。お前らフェゴは? あの保護者いねーと喧嘩しまくってる癖によく二頭で来たな」
何とか抜け出した時には先にフルミネが二人を問い質していた。
どうやらフェゴさんは今回はお留守番らしい。人型でもドラゴンでも大きなフェゴさんは縄張りに近寄ってきた人型を脅すには効果抜群らしく、一人置いておくだけで立派に用心棒を果たしてくれるそうだ。
荒っぽい炎龍にしては穏やかな性格のフェゴさんは、何もしていないのに逃げられるのは不本意だそうでよく落ち込むらしい。
「いつも隅で小さくなってめそめそしてるのよね。ああ、でも小さくないわね」
リプカさんの言葉でプロミネとフルミネは豪快に笑い始める。あんまり笑うとフェゴさんが可哀想だ。けれど、私が想像してもやっぱり小さくはなかった。
「国一つ飛び越えて強ぇ魔力を感じたから駆け付けたってわけだが、てめぇの魔力はどうなってんだ? 前会った時は勝てそうだったのによ。もう無理だわ」
「やっと戦い慣れてきただけ。慣れてなくてもお前には負ける気なかった」
「てめぇ……言うに事欠いてそれとは炎龍も嘗められたもんだな」
無表情に鬱陶しそうな色を加えて辛辣な言葉を躊躇いなく吐くエスに、プロミネは青筋を立てながらもどこか楽しそうに見える。
フルミネも参戦して更に賑やかになる三人を見守りながら、リプカさんとティエラと呆れ気味に笑い合った。
進む毎に霧が濃くなってきた。しっとりと濡れてくる程のそれが不快なのか、炎龍の二人がげんなりとした様子で自分の周りに火を灯し、身体を乾かそうとしている。
炎龍はその属性の通り水に弱いんだよね。長く濡れたままでいると魔法を発動出来なくなるし、体温が一定よりも下がると凍え死んでしまう。
また、当然のように流れ込んでくる弱点の情報。二人を見る限りは隠してはいないようだけど、うっかり口に出して聞いてしまわなくて良かった。
胸を撫で下ろして顔をあげた瞬間から、何故だかすごくエスが気になってきた。視線をやっても特に変わった様子はないのに。何だろう、胸騒ぎがする。
全くの禿げ山ではないけれど、殺風景が続いていて気が滅入りそうになっていた時、やっとコテージが見えてきた。
炎龍の二人も暫く滞在するようで当分の間は賑やかになりそう。逃げている最中だというのに今からわくわくしてしまう。
「じゃ、俺はここで帰るな」
「え、フルミネも疲れてるでしょ? 少し休んでからにしない?」
さっさと去っていってしまいそうなフルミネの服の裾を掴むと、困った顔をして優しく引き抜かれてしまった。冷たい空気だけを掴んで手が離れてしまう。
「……お前な、まじでいちいち期待させんじゃねーよ。大して疲れてねーし。ちゃんと見たい奴の方だけ向いてろ」
すごい体力だな。私が貧弱なだけか。それにしても寂しい。やっぱりもう少し、と駄々を捏ねそうになっていた時、「そういや見たいっつってたな」と思い出したように呟いたフルミネは青白い電流を纏って金色の美しいドラゴンに姿を変える。
鋭利な牙を見せて笑い、鋼鉄のように見える前足で乱暴に私の頭を撫でた後、空に吸い込まれるようにして輝く身体を打ち上げ、何度も煌きながら帰っていってしまった。
雷龍の皆との出会いは嵐のようだった。また大事な人達が増えた。
再会の約束もしたけれど、この物騒な世界で絶対なんてものはない。幾ら頭の中がお花畑だからと言われてもそれくらいは分かっている。薄暗くなりつつある空を見上げながら、また雷龍の皆に会えるようにと祈った。
「大きめのも取れそうだな。てめぇらはどうするよ?」
先に手続きを済ませようとしているプロミネの声が聞こえてくる。返事をしようと振り返った時、近くで立ち止まっているエスの様子が気になった。
「エス……?」
何だかボーっとしているみたいだ。ここに辿り着くまでに気温差もあったから、炎龍だけじゃなくて氷龍にも良くなかったのかもしれない。
「触んな」
声を掛けても反応がなかったから、腕に触れると素早く振り払われてしまった。その時の氷のような冷たさを持つ瞳は今までに向けられたことのないものだった。
どうしてだろう。怒っているのとはまた違う雰囲気だったけれど、怒られるよりももっと怖かった。
そのまま、プロミネの呼び掛けも無視して何処かに向かって立ち去ってしまった。そんなエスの様子をティエラも見ていたのに声を掛けないみたいだ。
状況を目で追いながらも振り払われた瞬間の衝撃が頭から離れない。
こんな形の拒絶は初めてだった。沸き上がってくる嫌な気持ちを押し込めるようにして、今度こそプロミネ達の元へと向かった。
ちょうど部屋が二つにそれぞれ寝台が二つと一つのコテージが空いていた。今回は運が良かったと思う。二人用で部屋が分かれているコテージが余っていなかったせいで、炎龍の二人は一頻り喧嘩していたけれど、結局はそこに泊まるしかないので妥協していた。
こんな野蛮な男と同室なんて無理、誰がお前みたいな可愛げのない女襲うか、と半ば修羅場のようになっていた割には落ち着くのも早かったように思う。
あれはあれで仲が良いのかもしれない。ここまで二人で来たんだもんね。
泊まるコテージに荷物を置きに行っているとエスがふらりと帰ってきた。物凄く顔色が悪い気がする。残念ながら弱点に関するもの以外は見えないから、どこか悪いのか聞きたい。
けれど、エスのことなら何でも気付いて気に掛けるティエラがそれに触れず、コテージを指差して流れを説明していた。どうしてだろう。私だけが分からない何かだろうか。気になる。
「あ、あの、エス、具合悪いの?」
「別に悪くない」
変な間合いで言ってしまったのもあれだけど、エスは私と目も合わせてくれない。近寄るとその分だけ距離を取られてしまう。まるで避けられているみたいだ。私には言えないことなのかな。心配もさせてもらえないの?
エスはそのまま私から離れてコテージの中に入っていってしまった。何だか、変。元々が無表情で言葉も冷たいけれど、こんなに風にあからさまに避けたりはしなかったのに。
「ショコラ、手、痛くなるよ」
ティエラに声を掛けられて、自分が痛いくらいに手を握り締めていることに気がついた。関節が白くなって、爪が刺さってしまったところもある。
「泣きそうな顔しないで。何度でも言うけど、ショコラは何も悪くないから」
うっすらと血が滲んだ私の手を掴んで、エスと同じ淡い蒼の光の治癒魔法で傷を癒してくれる。
私が悪くないというのなら、この状態は一体何なのだろう。他の龍族と仲良くなりすぎたから? またエスが嫌になるような行動を取ってしまったんだろうか。情けないことに泣き出しそうになってしまう私の手をティエラが優しく握った。
「強制的な発情期が来るかもしれないんだ。ここに来るまでに気温差が凄かったでしょ? あれが氷龍にはあんまり良くなくて。にーちゃんもああ見えて動揺してるみたい」
「発情期……?」
「そう、にーちゃんとか今一番酷くなる年齢だから、冷たいのは気にしちゃダメだよ。そうしたくてしてるんじゃないからね」
原因を教えてもらえたお陰で、胸の中を渦巻いていた負の気持ちが晴れていった。
そう言われてみれば、あの瞳は怒っているというより焦っているに近かったように思う。
龍族の発情期、まだ教えてもらって間もないから、いつか遭遇するのかもしれないと漠然と考えていたくらいで対処法も何も思い付いていない。こんなに早くに立ち会うことになるとは思わなかった。
「今から数日間、女の子のショコラは身を守ることだけ考えて。あ、にーちゃんに食べられたいなら話は別だけどね」
優しく宥めるようだった声が、とてもこの年の男の子が出せるとは思えない艶を持って驚いたと同時に顔が熱くなった。
龍族は刺激的だ。私にはまだまだ早いけれど、頑張って乗り越えるしかない。




