12.ショコラ、恋の話をする。
エスが戻ってくるまでに最低限の準備は済ませておこうと、部屋に戻ろうとしたところで前からモルニィヤが走ってきた。
眉を下げて泣きそうな声で私の名前を呼びながら、物凄い勢いで胸に飛び込んでこられては受け止めるしかない。
モルニィヤ、王女様なのにまた傍に誰も付けずに。
龍族が強いのも、モルニィヤが軍の指揮を執っているのも知っている。実際に戦っているのも何度も見てきたけれど王女様は守られる立場だ。自分から払ってしまうんだろうけど、強ければ一人でいいというものでもないのに。
「フルミネから、最速で明日発たれると聞きましたわ」
寂しげに伏せられた金糸の睫毛が今にも泣き出しそうに震えている。
お城に戻ってすぐ、フルミネは何も言わずに何処かに行ってしまったと思ったけれど、どうやら報告に向かっていたらしい。
帰り道を歩きながら、何度も今日でお別れなんだと静かに覚悟を決めていたのに。実際にモルニィヤに話が伝わってこうして私に会いにきてくれてから、寂しさがお腹の底から溢れ出てくるみたいだ。
モルニィヤ。そう呼ぶ声が小さく震えてしまった。
廊下の真ん中で抱き合っていてはどうにも目立つ。私は涙を堪えて、近くの私の部屋に連れていくことにした。
とても寂しいと、言ってもらえることがすごく嬉しかった。一つ年上なのに今は何処か幼く感じるモルニィヤの、綺麗に巻かれた柔らかい金糸の髪を崩さないように撫でる。
龍族の皆は何となく、動物だと猫のようだったりする。仲良くなると男女関係なく距離が近くて、いきなりくっついてきたり、かと思えばあっさりと離れていったり。私は年下なのに撫でようと手を伸ばせば気を悪くすることもなく、今みたいにすり寄ってきたりもする。
「わたくし、お友達が出来たのは初めてですの」
お友達、という言葉に衝撃を受けた。
この数週間、一緒にいて他愛もない話から少し難しい話までを交わした。返事すら上手に出来ない私に色んな話をしてくれた。私は何も出来ていないのに、そんな風に呼ばれる日が来ると思わなかった。
「龍族は雌が少ない種族ですもの。女性とお話をする機会は少なかったのです」
言われてみれば、このお城の中自体、比較的男性が多かったように思う。侍女の方々より騎士の方々がよく隣についているのは、モルニィヤの仕事内容に関わるからだと思っていたけど違ったようだ。
以前にお茶をしていた時、幼少期から兄のユビテルの手伝いをしていて、兄の負担を減らす為に軍事関係は自分が受け持つことにしたのだと誇らしげに話していたのを思い出す。
ユビテルを支えられることを嬉しく思っているのは話を聞いているだけで分かった。けれど、周りに女性が少なかったことと、多忙で子どもらしく遊ぶことがなかったのも事実だと思う。
「私も、モルニィヤが初めてのお友達です。モルニィヤといっぱい話せて、仲良くなれて本当に良かった」
翠色の瞳に涙を溜めていたモルニィヤが美しく笑った。零れ落ちた涙が光り輝いてとても綺麗だった。
「絶対に、また会いたいです」
「ええ、わたくしも。またお話してくださると、約束していただけるかしら」
差し出された小指に自分の小指を絡める。
こうやって、人型と何等変わらない部分もある。王女様だと言っても気取らないモルニィヤは、異種族だから、髪が薄紫色だからと偏見も持たずに私に接してくれた。お友達と呼んでくれた。
ただの女の子同士になれる時間が大好きだった。
また絶対に、無事に逃げ切って会いに戻りたい。
涙を拭ったモルニィヤは佇まいを直し、ハッと何かを思い出したように胸の前で手を合わせた。
「ショコラ、大変ですわ。わたくし達、女の子同士として一番大事なお話をしておりませんわ!」
「一番大事なお話?」
「巷では女の子同士が集まると必ずされると言われている、恋バナ、というお話ですわ!」
恋バナ……立ち読みした本にそんなことが書いてあった。女の子同士で遊ぶとおしゃれなカフェに向かって、最近気になる男の子の話をするという、女友達がいなければ絶対に出来ない会話だ。
そんな、私の中ではドラゴンに遭遇するよりも難しい会話を、密かに憧れ続けていたあの会話をとうとうすると言うの? 思わず手に汗を握っていると、モルニィヤが使用人の方にお茶を頼んでいた。
それを持ち掛けてきたということは、
「モルニィヤは恋をしているのですか?」
「いいえ、龍族に恋愛感情はありませんわ」
うん、これまでの流れで分かっていたことだけど、そうだよね。フルミネが無いってはっきり言っていた。
上機嫌でお茶を受け取り、自ら注ぎ始めたモルニィヤに、それでは恋バナにならないんだよ、と言える度胸が私にはなかった。
「わたくしに浮わついた話が無くても、ショコラにはあるでしょう? 氷龍族の殿方は、わたくしの知る限りではとても素晴らしくてよ」
聞いたところ、モルニィヤは先日フルミネを追い掛けていて階段を踏み外し、どうにも着地出来そうになかったところをティエラに受け止められたそうだ。
小さな身体でありながら、見事お姫様抱っこの形で抱き留めたティエラは「怪我はない? 気を付けてね。お姫様」と乙女ならば悶絶する台詞を吐いたらしい。
ティエラ、末恐ろしい。将来エスと同じ顔でそんな台詞を数多の女性に囁くと思えば、今から罪な未来しか見えてこない。
ちなみに、同じ状況が以前起こった時はフルミネが潰れた蛙のような声を上げて下敷きになったのだとか。「貧弱ですわ」と鼻で笑われているけれど、予想外の展開ではそうなってもおかしなことではないよね。
「それに、ティエラ様だけではございません。エストレア様は一度転けそうになった時、手を貸してくださいましたけれど、動きが兄様と同じで優美でいらっしゃったわ」
頬を桃色に染めて手を添えるモルニィヤ。それは私も思ったことがある。ユビテルに手を差し伸べられた時、その洗練された動きをエスもしているのに気が付いた。
モルニィヤは悩ましい表情のまま明後日の方向を向いている。当時の記憶に思いを馳せているのだろうか。
「わたくしは七割程が龍ですから、何とか近い言葉に翻訳して想像することしか出来ませんけれど……」
七割が龍……? 何だかよく分からないけれど、すごく強いのかな? 首を傾げていたら、モルニィヤは龍の割合について教えてくれた。
龍族は人型と龍で半分の種族ではなくて、二つの姿があるのは変わらないけれど、魔力が強くなる程に龍である割合が上がるらしい。
フルミネだと七割、王族に連なるとそれくらいが龍であるのが普通で、特殊な場合だとティエラが三割とかなり珍しいようだ。
「ですから、人の心を持つショコラは恋心をじかに感じるのでしょう? エストレア様、素敵な方ですものね」
まだまだ知らないことがたくさんあるんだろうな。カップに口を付けた瞬間、綺麗に話を戻されて思わず噎せた。
「え、えっと……?」
「あら、ショコラの好い人ではないの?」
続けてカップを落としかけた。物凄い勘違いをされているけれど、断じてそういう関係ではない。エスは私のことを『嫌いじゃない』程度の存在だと思っている。常日頃からうざいと思っている。全力で首を振ると、モルニィヤは残念そうに眉を下げた。
「本物の恋愛感情を知れたらと、思ったんですけれど……」
「モルニィヤは、それに近いものは過去にあるんですか?」
「ええ、いっそ、食い殺したくなる程に欲しくなりましたわ」
当然のように返された言葉が刺激的とかそういう範囲を越えていた。
食いたいか興味ないか、フルミネの言っていた言葉が鮮明になる。女の子でもそれは変わらないんだ。『好き』に置き換わる言葉や感情が存在しなくて、代わりには『食べたい』か『欲しい』しかない。それが近いのだとしてもやっぱり行き過ぎている。私にはまだ、ちょっと早い。
「驚かせてしまいましたわね。龍族は、人型があるのが不思議な程凶暴で、雌はこれでも分かっている方。雄はもっと何も感じていませんわ。元々感情が薄いんですの」
モルニィヤは静かに睫毛を伏せてカップを口に運ぶ。
大事にしたくてもそうすることが出来ない。気が付けば我を忘れて殺してしまいそうになる時もある。雄は後々それを悔やむのだと。続けられる言葉が重くのし掛かるようだった。
感情が薄いと言えども無いわけではなくて、ほんの少しは存在している。人の心があるからこそ悔やむことが出来る。苦しむことが出来る。無ければ、自分達は本能しかないただの獰猛な動物なのだと。
何だか、とても悲しかった。どうして龍族に人型が生まれた時、普通の人型のように感情が付いてこなかったんだろう。
どれだけの割合が龍なのかは知らないけれど、エスは何処か違う気がしていた。他の皆はそうでもないと思っていたけど、私の思い違いかもしれない。
「わたくしは昔、兄様がどうしても欲しくて殺しかけましたわ」
またお茶を噴き出しそうになった。この流れでさらっと、過去の思い人の正体を明かされるとは思わなかった。
「未遂に終わりましたが、血まみれの兄様は『あはは、あるあるー』と笑って許してくれましたわ」
ユビテルは昔からあの調子らしい。大物だと思う。ゆるく優しく許されても、モルニィヤはすごく後悔したんだろうな。
まだまだたくさん知らないと分からないことだらけだ。どうしても人型を成している皆を、自分と同じ生き物のように思ってしまうから。




