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ショコラクリスタリゼ  作者: ななせりんく
第三章 エルフとこの世界の成り立ち
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9.ショコラ、待ち伏せする。






 早朝、とある扉の前に座り込み、うとうとしながらも私は時を待っていた。

 分からなくてモヤモヤするのなら本人に聞けばいいのだと気付いた瞬間、持ち前の執着っぷりを利用する他ないとこの計画を実行することを決めた。

 朝も昼も夕方も見掛けない、夜に部屋を訪れれば何故か入れてもらえない。ならば、起きるまで待てばいい。確実に気持ち悪がられるだろうけど、捕まえるには待つしかない。


 眠い目を擦っていた時、目の前の扉は開かれる。まだ外が真っ暗な時間から待っていた私は、それはもう嬉しそうな顔をしていたと思う。見上げた先、待ちに待った水色が視界に飛び込んでくる。

 待ち伏せをされていたエスの、その驚いた後の心底面倒臭そうな顔――ほとんど無表情から変わらないけれど――は予想通りだ。


「おはよう。今日は私も連れていってほしいの」

「……めんどくさい」


 意を決して声を掛けると、まだ寝起きの掠れた声で一瞬で拒否された。

 こんな声は聞いたことがない。エスでも寝起きは眠そうなんだな。掠れた声が無機質な美声を少し人型らしくしていて、もう既に得した気分になる。

 それ以降私には目もくれずに歩いていってしまうけれど、ここでその冷たさに諦めては聞きたいことも聞けず仕舞いだ。私はその後ろを小走りで追い掛ける。


 エスはお城の裏口から出て森の奥に進んでいく。早朝の森は朝露で湿度が高くて肌寒い。まだ薄暗いせいで気味が悪いけれど、エスからすれば起きたら待ち構えていて、それからずっとついてくる私の方が気味が悪いだろう。

 初めて振り向いたエスは、呆れた声で予想通りの台詞を投げかけてきた。


「いつまで着いてくる気」

「ずっとだよ」

「……気持ち悪い。今日、特にうざい」


 宝石のような蒼の瞳が鬱陶しげに眇められた。そして、声色が本気だった。

 気持ち悪い、は覚悟をしていたからいいんだけど問題はその次の言葉だ。今の言い回しは、常日頃から私をうざいと思っているのを表していた。さすがに凹む。


 森の奥に進んでいく途中、謎の生物の何かしらに襲われるけれど、エスが一撃で倒しながら立ち止まらずに歩いていく。だから私が通る道は謎の生物が瀕死状態だ。

 どれもこれもエスからすれば雑魚なのかもしれないけれど、本来なら強そうな生物ばかりで、私だったら目的地に辿り着く頃には疲れきってるだろう。一体どんなものを狩るつもりなのか。



 張り切って着いてきたけれど、本当にやることがない。

 先を歩くエスは一匹足りとも残さず綺麗に倒していき、私はエスに続いて処理の済んだ道を歩くだけ。本物の足手まといだ。本当に情けない。


 必死で追い掛けていた私は、急に立ち止まるエスの背中に突っ込んだ。

 このポンコツ具合。エスもそろそろ長めの溜め息を吐く頃だろうかと、不安を湛えて見上げる。するとエスは私を優しく後ろに追いやり、自分との間に薄い氷の膜を張った。

 此処までしか着いていくのを許されないのか。この先には行けないのが悲しくて俯きがちでいたのに、何故か私の前に立つその背中が庇っているように見えて、鼓動が甘い痛みを携えて大きく高鳴った。


 心臓の痛みに気を取られている場合ではなかった。いつの間にかエスの前には、私だったら傷さえも付けられないような巨大な芋虫達がいた。派手な柄のあるやつだ。芋虫達は辺り一帯に糸を吐いて回っている。

 エスは自分も保護したかと思えば、皮の厚そうな芋虫達を一瞬で串刺しにして片付けてしまった。


 何とも言えない濁った色をした体液が、氷の膜に降り掛かった時は叫び声を上げた。次の瞬間には膜が崩れて、軽い音を立てて砕けて消え去る。


「……終わり。お前は帰れ、俺はさっさと次に行く」


 ここまで守られてばかりだった私はその言葉に頷かず、芋虫達の残骸を炎属性魔法で燃やし尽くした。

 辺り一体に纏わりついた糸も、木を燃やさないように注意して焼き払うと、エスは瞠目してその光景を見ていた。


「後片付けだけでも。やっぱり私は役に立たない、かな……?」

「別に、そうじゃない」


 余計なことをしてしまったかもしれない。近付いてくるエスが恐ろしくなって一歩後退するも、すぐに追い付かれて頭の上に手を乗せられる。

 ぎゅっと目を閉じていたのに、与えられるのは壊れ物に触れるように優しく撫でてくる手の温もりばかり。


「炎属性も扱えるのか。普通に強くなってるな」


 どうしよう。何が起こっているのだろう。エスが私を褒めている。

 この言葉も、この手の温もりも、全部夢だろうか。私はやっぱり起きられずに寝台ですやすや眠っているのだろうか。

 炎属性も扱える、という言葉に首を傾げながらも、現状の自分の魔力について話してみることにした。


「一応、全属性使えるとは思う。今までにあんまりやったことはないから、どれくらいまで攻撃力を上げられるかは分からないけど」


 最近やっと魔法を使うのに慣れてきて頭痛はしなくなったけれど、元の魔力量はかなり少ないからエスの役には立たないと思う。

 なのにエスはそんな私の言葉を聞いて驚いているようだった。


「攻撃属性を二種類以上扱える種族なんて、いないと思ってた」


 エスでも知らないことがあるのかと、驚くのは私の番になった。

 私も私で、龍族の皆が自分の属性だけで戦っているのを見ていたのに。自分がその枠に外れているのに気が付かなかった。


 いつの間にか木漏れ日が差し込んできていた。エスは時間を気にした素振りで歩き出す。時間制限のある令を選んだのかな?

 その後を追いながら、他の旅人らしい人達とすれ違った。身構えていたけれど、この国は以前までいた場所じゃない。何でもないように通り過ぎていく。


 もう、私が虐げられることもなければ、エスが狙われることもないのかな。連日仕事をしているにも関わらず、今のところエスが無事なのを見れば、それは確信に変わっていった。

 嬉しい。二人を逃がす、この逃亡に成功の兆しが見えている。もっと安全な場所に行けたら、結晶龍の姿、また見せてもらえるだろうか。

 エスのドラゴンの姿を思い出す。蒼を基調として、寒空に揺らめくオーロラに似て不思議な色合いをした、美しい硝子細工のような繊細さを持ちながらも荘厳なあの姿。

 これは人型のエスにも言えるけれど、美しいをものの見事超越している、生きているのが不思議なあのドラゴンの姿がまた見たい。

 見せてもらえるまで一緒にいてもいいだろうか。昨日のユビテルの言葉を思い出して急に不安になった。


「ねえエス、氷龍族って立て直せるの?」

「無理だろ。雄二頭しか残ってないんだから」


 うん、確かに。何でユビテルは立て直せるなんて言ったんだろう。


「子孫繁栄させても異種族とじゃ龍がどの割合で生まれるかも分からない。相手の種族の血の濃さに依る」

「でも、それって、氷龍が生まれることが多いんだよね?」


 突然エスが立ち止まって振り返ってくる。何となく不機嫌だ。鬱陶しそうに見下ろしてくる瞳が冷たい。


「何でそんなに増やしたいんだよ」


 侵入されるのを拒む一言。立ち入ってはいけない領域に足を踏み入れてしまったのかもしれない。

 そうだよね。何かしら理由があって氷龍族を滅ぼしてしまったんだとしても、そこに良い感情はほとんどないはず。


「氷龍族が立て直せるなら、私に着いて来なくてもいいんじゃないかな、と思って、聞いておかなきゃって……」


 それを聞きたかった理由を言うのはすごく怖い。氷龍族がこの先増えてエスとティエラが幸せになるのなら応援したい。でも、また一人になってしまうのは寂しいから。


「立て直しなんてしない」

「ほんと?」


 物凄く嬉しそうな声を出してしまった。思わずエスの腕に縋ってしまって早々に手を離す。

 エスがしないと言うのなら、それが一番なんだろうけど、本当のところ、それが出来るならした方がいいんだと思う。なのに、私ときたら自分のことばかり考えてあからさまに喜んでしまった。


「どっちだよ。しない方がいいのか」

「だって、立て直すなら私、一緒にいる必要ないのかなって思ってたから。だからまだ一緒にいられるの嬉しい」


 ダメだ。私の表情筋の素直さときたら、もう笑みを止められない。

 あんまりにも嬉しそうにしている私を見て、エスは僅かに困惑しているように見えた。とは言ってもその表情の変化はいつも通り微々たるもので、私の勘違いかもしれないけれど。


「なんでそんなに、俺なんかに……」


 小さく呟かれた言葉は何処か忌々しげで、その目には何も映していない。それがまるで自分を嫌悪しているようで心配になった。

 私に向けられるものなら甘んじて受け止めるのに、エスはそれの続きを紡ごうとはせず、私には関係の無い素振りで終わらせてしまった。

 今日のエスはすごく優しいから、私は調子に乗って困らせているのかもしれない。この話だけじゃなくて、私はエスをよく知らないのだからこれも聞いておきたい。


「あのね、エスは何をされると嫌? 私、出来るだけ龍族の事勉強して回避しようと思って」

「お前には無理」


 歩き出したエスの後に続きながら返答を待てば、あっさりと切り捨てられてしまって私は項垂れた。

 だろうなとは思った。エスがよく怒っているのも私が無意識に逆鱗に触れているんだろうなと思っていたし、もう根本的な性格がダメなら何を気を付けても無駄なんだから。


「で、でも、聞かないと何も分からないなって」 

「龍族の雄の基本は、何でもどうでもいい。興味がない。だけど、お前はなんか初めて会った時からムカつくことばかりやるし言う。これは俺もよく分からない」


 突っぱねられても、押せば結局教えてくれるものだから押してしまう。そうしてエスは教えてくれるけれど、まさかよく分からないと言われてしまうとは思わなかった。

 それにしても、ムカつくことばかりだなんて散々な言われようだ。ちょっと泣いてしまいそうになる。本当にそうなんだと思うけど、最初からずっとなんて、私は何一つ成長していないじゃないか。


「そうやって、また悪い意味にばかり取る」


 振り返ってきたエスは、泣きそうになっている私を見て深めの溜め息を吐く。頬に伸ばされた指が上へと撫で上げられて、涙袋に到達しようとしていた時、近くから激しい落雷の音がした。

 耳をつんざくようなそれに驚いて涙が引っ込んでしまい、ただただ焦燥感に駆られる。あんな大きな音、王族であるモルニィヤの一撃でもしなかった。

 何か大変なことが起こっていると察した私は、その音の方角に向かって走り出す。後ろからエスの呼び止める声が聞こえる。何故だろう。エスが呼ぶのなら止まらなきゃいけないのに、私の走る速度は上がるばかりだった。




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