5.ショコラ、『あーん』する。◇
華の国の王都を抜けて数日、隣国への向かう途中のカフェで昼食を摂ることにした私達は丸テーブルに案内されていた。
サンドイッチが美味しいお店のようだ。メニューを見る限りどれも美味しそうだけど、私はハムチーズサンドにしようかな。
ティエラの目の前に運ばれてきたカツサンドは、パンと衣に挟まれた柔らかそうな厚切り肉から肉汁が染み出していてとても美味しそうだ。
幸せそうな笑顔を見せたティエラは小さな口を大きく開けてそれに齧り付いた。不思議だな。男の子だし、齧り付いたらもっと豪快で無邪気に映るはずなのに、ティエラはとても行儀良く見える。
エスの躾が行き届いているのだろう。お兄さんだけじゃなくて、良いお父様にもなれそうだ。
そう思ってエスに視線を向けた時、私は僅かながらその変化に気付いた。再会してから思っていた。エスは無表情が基本で、笑っているところは見たことがない。
食べ物に関して何かしら文句を付けているところも見たことがないけれど、その蒼い瞳がほんの少しばかり輝いたのを私は見逃さなかった。
その蒼い瞳は、サンドイッチのサイドで付いてくるデザートに向けられている。素朴なクラッカーの上にお洒落に盛り付けられるクリームチーズとミックスベリー。白に赤と紫と色合いがとても可愛らしい。エスは甘いものが好きなのだろうか。
「にーちゃん、あげる」
カツサンドを一つ食べ終えたティエラが、綺麗にフォークとナイフを使いながら、エスのクラッカーの上に自分の分のブルーベリーを追加した。
「勝手に乗せてくるな」
「え、いいんだよ? 御礼なんて」
え、エス、ブルーベリーが好きなの? ブルーベリー、この辺りではそんなに売っていないものだよね。
「あの……」
フォークに一際大きなブルーベリーを刺してエスの方に向けてみた。
「好きなの? あげる」
「にーちゃん! これが噂に聞く『あーん』ってやつなの?」
あーん……そう言われてみれば、とんでもないことをしようとしてしまったのかもしれない。
慌ててフォークを引っ込めるとエスの視線まで着いてきた。明らかにブルーベリーを目で追っている。試しに左右に揺らしてみると、やっぱり視線は着いてきた。何だか、猫みたい。
「要らない?」
「……要る」
あ、要るんだ。やけに素直な返事をするエスが少しだけ可愛く見えた。
もう一度近付けようとした私の手首を取ったエスは、ほとんど自主的にブルーベリーを取りに来た。
あ、あああ……なんか、何だか、またすごく恥ずかしかった。前の件と言い、何だか恥ずかしくておかしい。
食事を終えた私達はカフェに備え付けのある発行令の紙を広げた。国を跨ぐだけでお仕事の内容も変わる。私がずっとうろうろしていた辺りよりは治安の良い案件が多く目に付いた。
今日する仕事を選ぶのを手伝ってくれるティエラに感謝。二人が発行令を手伝ってくれるようになって本当に嬉しい。
仕事を漁りながら横目でエスを盗み見て、また恥ずかしくなって視線を戻す。何だろう。前に抱き締められてからというもののエスを見ると急に恥ずかしくなる。
でも、あれはプロミネとリプカさんの喧嘩から引き剥がしてくれただけだし、その後暫く離されなかったのにも大した意味はないと思う。だけど、私、男の人に抱き締められるなんて経験ないし、やっぱり恥ずかしい。
それにしてもブルーベリーが好きとかドラゴンなのに意外と草食だ。豪快に骨付き肉に齧り付いていた炎龍の二人を思い返すと、エスのあまりの上品な好みに涼しげな顔立ちが似合いすぎて笑いそうになった。
ついでにさっき手首を掴まれた瞬間の感触が蘇ってきてまた顔が熱くなる。
「何百面相してる」
「そ、そんな顔してない」
慌てて否定しながら思考を打ち消していると、エスから何枚か紙を渡される。どれもこれも易しい仕事ばかりで、危険度も低いものばかりだ。
そして、カフェの目の前の宿の看板を示して「夕方にあそこで」とエスは何だかよく分からないことを言い放つ。
続けて、エスは別の仕事を片付けてくるからと説明してきた。別々に動いた方が効率も良くて時短になると、尤もなことを言われているけれど、ここ数日、皆ずっと一緒だったから何だか寂しく感じる。
でも、頑張らなきゃいけないよね。これからも三人で仲良く逃亡する為に。
夕方、簡単な仕事をいくつか片付けて換金して、エスに指定の場所で一人待ち続けていた。
久しぶりにたくさんのお金を手に入れられて嬉しい。これで数日は三人共屋根のあるところで寝られる。仲間がいると思えば、仕事もいつも以上に頑張れるものだと改めて実感している。
ふと、耳に「例の呪術が出回っているのはこの辺りが一番ひどい」という会話が聞こえてきた。
横を通りすぎていく旅人達が噂話をしている。あんまり噂は好きじゃないけど、危険度の高そうな話には自然と耳を傾けてしまう。
例の呪術って何だろう。良くない何かが出回っているのだろうか。
続きが気になって少しだけ後をつけてみると、旅人達は呪術によって触っただけで動物にされた人の話だとか、魔法が使えないと対処ができないから困るだとか、一時的なものかどうかも分からないと話している。
触っただけで姿が変えられるなんて恐ろしく危険な術式だ。早く待ち合わせ場所に戻って、変なものに触らないように今の話を二人に伝えなければならない。
「ショコラ……!」
と思った時、聞き慣れない声が私の名前を呼んだ。
振り返ると、そこには白髪で背の高い綺麗なお兄さんが息を切らせていた。あれ、名前を呼ばれたけれど、こんな綺麗なお兄さんを私は知らない。
夕陽に透ける美しい白髪、蒼玉を嵌め込んだような高貴な深みのある瞳の色、眉目秀麗という言葉では到底間に合わないこの顔立ち。
嫌な予感がする。だって、見たことがある。それも、毎日顔を合わせている。
「ティエラだよ!」
確かにティエラだと名乗ったお兄さん。信じ難いけれどそうだとしか思えない。何と反応していいのか。口を閉じたり開いたりしていると、白髪のお兄さんは髪と同じ濃密な白い睫毛を伏せた。
「大変なことになってるから、早く知らせなきゃいけないと思って!」
何でこのお兄さんの顔を見たことがあるかと言えば、この背の高さといい蒼い瞳といい、顔の造形がエスにそっくりだからだ。そっくりどころか最早色違いのエスだ。どうしてこんなに大きくなってしまったのだろう?
「落ち着けって言ってるだろ。話聞いてるのか」
「ああ……もしかして、エスなの……?」
頭一つ下から声がすると思えば、ティエラにそっくりな無表情な美少年がいた。
間違いなくエスだ。髪色と表情以外、身長に至るまでティエラと同じ。この兄弟、顔が似すぎだと思う。
聞けば、帰る途中で二人揃って変なものに触れてしまった後、こうなっていたのだと言う。
噂を伝えるよりも先に現実が帰ってくるとは思わなかったけれど、現に二人は姿が変わってしまっている。動物になってないだけマシなのだろうか? まさか、大きさが入れ替わるなんて考えもしなかった。
私も今、少し耳に挟んだだけだから呪術の詳細は分からない。そのことを交えて先程耳にした噂を二人に話すと、何とも言えない沈黙が訪れた。
「呪術、道理で……入れ替わってから俺だけ魔力が制限されてる。どうにも出来ない」
エスの魔力が制限されているなんて……何とか出来る範囲なら何とかしてから戻ってくる人だと思っていたけれど、事は思っていた以上に深刻だった。大惨事過ぎて眩暈がしてくる。
どうしよう、見たところ私にはどうにも出来そうにない……! 慌てふためく私を残念なものを見るような目で一瞥したエスは、「だから、落ち着け」と深い溜め息を吐いた。
大きなティエラと小さなエス。一晩寝て直るとか、そんな優しい呪術だったら旅人内でいちいち噂になってないだろうし、本当にどうしたらいいのだろう。
じたばたしても仕方ないので今日は休むことにしたけれど、どうやら不運は次々と降りかかってくるものらしい。
ツイン一部屋のみ。それは宿屋の受付で突き付けられたのは絶望的な言葉だ。
それもこれが初めてじゃない。何軒も回ってやっと空室を見つけたのにこれだ。都市から離れると旅人が増えるせいか、こんなにも宿が混むとは思わなかった。
部屋に着いて早速、二つの寝台を前に悩み始める。ソファーでもあれば良かったものの、寝台二つで空間を埋め尽くしてしまうような小さな部屋には、そんな良い物は設置されていないようだ。
「大きさ考えると、ショコラとにーちゃんが一緒に寝たらいいんじゃない?」
その第一声から始まった。「一番働いていない私が床で」と言えば、こんな時にだけ息ぴったりに声を合わせた兄弟に「それはナシ」と却下された。
結局、寝台の大きさと身体の大きさの問題で「お前が嫌じゃないなら俺と寝るしかない」とエスに納得させられ、身体は小さいけれど大人の男性と寝ることになってしまった。
私からすれば、今のエスの姿は年が二桁に上がる前の男の子で、子どもだと思ってしまえば特に問題はない。そもそも、私はエスと同じ寝台でも嫌ではない。これは大きさ関係なく、大きなティエラには悪いけれど少なからず信用できるからだ。
だけど、エスからすれば見た目がそうなってしまっただけで中身は大人の男の人。本当に私と寝てもいいのかな? 何かされるとか、されないとかじゃなくて。あ、でも、男の人が困る時って好きな女の子と一緒に寝る時だけなのかな?
じゃあ私はあっさり一緒に寝てもいいって言われちゃったから大丈夫だ。良かった。
……あれ、少しだけ、心が軋む音がした。




