3.ショコラ、甘い約束をする。
ユビテルにバレッタの修理を依頼して数日。
無事に地龍族の所有する鉱山や、炎龍族の運営する工場への依頼が完了したらしく、後は完成を待つばかり。
炎龍族は私の名前を出すだけで、挙って名乗りを上げる人達がたくさんいたと聞いた。短い間だったけれどお世話になった集落の人々の顔を思い浮かべる。
地龍族はベルクが直々に働きかけてくれたそうで、また皆に御礼を言いに行かなければならない。
集落の皆のところには、今日の帰りがけにティエラに送ってもらおうか。
ベルクのところは、また折りを見てからお邪魔しよう。ペトラにわがままを言ってこっそりお城に入れてもらって、エスが頑張っている姿を覗き見るのもいいかもしれない。
考えただけで締まりのない顔になっていく。
ユビテルもモルニィヤも忙しいらしく、ティエラももう少し掛かると聞いた。
私は門番の方に言付けをお願いすると、日が傾いても尚人通りの多い城下町へと繰り出した。
集落の皆が喜びそうなお土産を買う為に。
今ではもう見慣れた和装の人々の波に乗り、流されないように注意しつつ、お店を回って買い集める。
大きな瓶に入ったお米のお酒だとか、干し肉のおつまみだとか、毎日が宴会状態でリプカさんがお開きだと言うまで続く夜を思い返す。
炎龍族の人達は皆比較的お酒が強くて、リプカさんを筆頭にどれだけ飲んでも潰れない。プロミネが皆より早めに笑い始めるくらいで、フェゴさんが巨躯の割りに弱くて、ずっと泣いていたのも印象的だった。
楽しかったな。思い出を振り返りながら、瓶を落とさないように一度持ち上げ直す。
意外にもエスがお酒弱いのには驚いた。
プロミネに注がれて仕方なく口にしたかと思えば、数十秒後には私の肩に凭れ掛かっていた。
どれだけ冷やかされても、全てを無視をして甘えてくるエスはとんでもなく可愛かった。けれど、何処までするのかという状態になった時は、死にそうなくらい恥ずかしかった。
もう絶対、人がたくさんいるところではエスにお酒を渡しちゃダメだ。
多種多様なおつまみを集め終わった頃には日が沈みかけていた。
思っていたよりたくさん買い込んでしまって、さすがにティエラを待たせてしまっているんじゃないかと思う。
軽量化の魔法を掛けて軽くは出来ても、大きさを変える技術は一般人の私にはないから、持ちにくさは依然として変わらない。
焦れば焦る程上手く持てなくて困っていると、後ろから「手伝おうかー?」と軽く声を掛けられた。
「あっ、その、一人で大丈夫です」
律儀に反応して後ろを向いてしまったけれど、そこには三人の男性が笑顔を貼り付けて立っていた。
この状況、山間にいた時にも有ったような……。
嫌な予感が背筋を滑り落ちると共に、「うわ、すっげえ……可愛い」「な? 声掛けて良かっただろ?」「実在するもんだな!」と何やら耳打ちし合っている。
何が良かったのか、実在するものなのかは分からないけれど、少なくともそれは私には当て嵌まらない状態だ。
次第に下卑た笑みに変わるそれらは、渓谷でティエラを逃がした後に撒き損ねた男性達に酷似している。
怖い……。よく分からないけれど、良くないことが起こりそうな気がする。
素早く荷物を抱えた私は、不意を突いて走り出した。
当然男性達は追い掛けてくるけれど、そうだとしても逃げるしか方法はない。こんな街中の大通りでは魔法攻撃を使うにも危険で、物理攻撃は両手が塞がっていて出来ない。
何とか細い道に入り込んだけれど、運の悪いことに行き止まりの道を選んでしまったみたいだ。
仕方ない。荷物を一旦地面に下ろした私は、男性達の方に向き直って双剣を構えた。
各々が武器を取り出すのを見て、冷や汗を流しつつも間合いを計っていたその時、男性達が四方八方から突き出る鋭利な氷柱に囲まれていた。
音もなく形成された大量の氷塊、突如その場に現れたとしか説明し様のない速度の氷属性魔法。
発動の遅い氷属性を即時展開出来る人はこの世界にただ一人しかいない。
「エス……っ」
輝く雪の結晶が舞い降りたかと思えば、続いて空から着地してきたのは私の愛しい人。
名前を呼べば、優しく引き寄せられて腕の中に収められた。
「誰の番いなのか、説明が必要か」
男性達に向けられたのは、絶対零度の無機質な声。
低く抑揚のない美麗な音色と、凄絶な美貌が湛える無表情が織り成す、何よりも美しい恐ろしさ。
私にはエスが至極怒っている顔をしているように見えるけれど、見慣れていない人からすれば真顔も同然だ。
水色髪が氷龍族の王の証であるのを知っていたらしい男性達は、氷柱が粉々に破壊されると同時に、悲鳴を上げて逃げていった。
「エス、ありがとう。助かったよ」
どうして此処にいるのかは分からないけれど、御礼を口にすれば「無事で良かった」と頬を擽られる。
エス曰く、私とティエラを迎えに来てみれば、私が買い出しに出ていると門番の方から伝えられて、荷物持ちを手伝おうと私を捜していたら今だったらしい。
たった一度の御披露目で認知度が上がっているエスは、自由に空を飛べるようになった代償に、堂々と街中を歩けなくなってしまっていた。
今も空から私を見つけて来てくれたのだろうけれど、この広い城下町でよく私を位置を確認出来たものだと思う。
「よく私がいる場所が分かったね。こんなにたくさん人がいるのに」
「普通に、お前の魔力を捜して辿っただけだ」
周囲にどれだけ大勢の人がいても、魔力で識別して場所を特定出来るのなんだな。
やっぱり、エス程賢くて魔力が強いと便利な方法を知っているものだ。
とは言え、エスは私よりももっとずっと忙しくて疲れている。私が何か問題を起こす度に、捜して助けてもらうわけにはいかない。
「いつもエスに助けてもらってばかりだけど、自分で何とか出来るように頑張るからね!」
私はちゃんとエスの隣に並んで遜色ない女性になりたい。いつまでも庇護されていてはいけない。
抜けているだとか、頭の中がゆるいだとか、色々と残念だとか。今までに散々な評価を受けている私だから、何も考えずに歩いていると良くない事態に巻き込まれるに違いない。
街中を歩く時は眉を釣り上げて風を切りながら歩くのはどうだろう? これで強くは見えなくても、変な女に見えて声は掛けられなくなるはず。
エスは拳を作って張り切る私を見つめて、柔らかく髪を撫でてくれたかと思うと蒼色に不安げな色を乗せた。
「俺の役はやれない。お前の父親が俺に引き継いだものだから」
お父様がエスに引き継いだもの――私を傷付けられないように守る加護。
エスに再会した瞬間に切れたその加護は、私がエスに恋をしたから切れたものだ。結果的にはエスも私を好きになってくれたけれど、あれは、もし成就しなければどうなっていたのだろうか。
身も心もエスのものになって、幸せになった今となっては知る術はない。
「うん、じゃあ、守ってもらおうかな」
「そうさせて」
嬉しそうに目を細めるエスを見れば、この選択が正解なのだと分かる。
頑張る方面を間違えるとかえってエスを悲しませるから、私は別の部分で頑張って行こう。
未だにエスの腕の中にいるままの私は、あまり夜遅くなると御礼のついでに炎龍族の宴会にエスを出席させてしまうことになると気付いた。
お酒が入って疲労が回復しなかった、なんてことになると大変だ。
「エス、そろそろ帰ろっか」
「ん」
ん、って……。
ちゃんと頷いてくれたのに、エスは私をきつく抱き締めて肩に顎を乗せてくる。
どうしたのだろう。確かにお酒に弱いエスのことを思い出したばかりで、それを危惧したばかりだけど、何故か素面のはずのエスが甘えてくる。
「全然、ショコラが足りてない」
何か、何だか恥ずかしいことも言ってくる……!
瞬時に顔が熱くなる。私だってエスが足りてないし、毎日側にいたのが今は違うから、全然平気とは言えない。
でも、想いを通じ合わせた今、エスを完全に補給する方法はもっと貪欲な形に変わっている。エスだって、きっとそうだ。
甘い夢に飲まれてしまえば、堕落してしまって何も頑張れなくなってしまうから。
「……エス、私、もう少しで一段落しそうなところにいるの」
「俺もそう」
「そうなんだ。じゃあ、そこまで頑張ったら、その、あの……」
私のこと食べて欲しいの。いっぱい噛んで欲しいの。
なんて、恥ずかしいのに約束を取り付けようとして、最後まで言える程覚悟も決まっていなくて、しどろもどろになる。
エスは暫く私の言葉を待っていたみたいだったけれど、やがて痺れを切らしたのか、熱を持った私の耳に唇を寄せた。
「その時は絶対に逃がさない」
艶めいた声が脳に響く。息が耳朶に触れる。
駆け上がる衝動に肩を震わせて身体を捩れば、仕上げとばかりに耳を齧られて変な声が出た。
いつか、今の努力の先に、これが日常になる日が来るのだと思うと、何とか慣れておかないと身が持たない。
本当にそろそろ帰らないと、ティエラも本格的な家出をしてしまうかもしれない。
私から身体を離すと、エスは私の後頭部をそっと撫でてから解放してくれた。
何だか、寂しそうな顔をしていた。
微々たる表情の動きだったし、直ぐにいつもの無表情に戻ってしまったから、定かではないけれど。