2.ショコラ、相談を持ち掛ける。
あれから私達は渓谷でひっそりと暮らしつつ、国を建て直す為に一歩ずつ前進している。
元々帝王教育を受けていたエスや、エスから諸々学んでいたティエラには、遅れはあるものの概ね問題はない。問題があるのは私だ。
エルフ族という閉鎖的な文化の中に生まれ、幼少時は幽閉されていて、脱出後は旅人として生計を立てていた私。その経歴だけでも大きな問題があるというのに、つい数ヶ月前までは二重になった記憶障害が著しく、精神の成長すらも止まっていた。
まずこの世界の常識から抜け落ちていて、どうしようもなく無知な状態。一般的な教育から始めているところで、エスを支えていく未来が恐ろしく遠い。
エスは「焦らなくてもいい」と言ってくれているし、プロミネなんて「俺と大して変わんねぇよ。お前の方がちと馬鹿なくらいだろ?」と私に合わせて優しい言葉も掛けてくれた。
それでも私は、誰よりも頑張らなくてはならない立ち位置にいる。エスの隣で生きていく為に、皆と平和な世の中を築いていく為に。
今日も龍体を取ったティエラの背に乗せてもらって、緑の国へと運んでもらった。
ここ数週間、私とティエラはユビテル、エスはベルクの元に通っている。もう何度も乗せてもらっているのに、二人が自由に空を飛べる日が来たことが未だに嬉しくて仕方がない。
振り返れば逃亡の旅も楽しかったけれど、二人が堂々とこの世界に存在出来るようになったのは何より喜ばしい。
私もいつか、この世界に認めてもらえたらいいな。
無事に本日の授業を終えた私の向かう先は執務室だ。
さすがに毎日ではないけれど、授業の後はユビテルかモルニィヤのどちらかとお茶をして過ごしていることが多い。多忙な中、時間を割いてくれる二人のお陰で、私は今日も笑顔で頑張れている。
扉に手の甲を着けるより先に「今開けますね」と返事がくるのがユビテルだ。魔力の気配で私だと分かるらしい。
顔を合わせると翡翠の瞳を嬉しそうに細めるユビテル。以前は笑っているようで張り詰めているような、ある意味無表情だったユビテルが、今はこんなにも表情豊かになった。
「ショコラ、何だか嬉しそうで可愛らしいですね」
ちょっとばかり軽薄な台詞も、ユビテルが口にすれば自然な挨拶になる。これはユビテルの醸し出すゆったりとした雰囲気によるものだと思う。
私が笑っているのはユビテルが嬉しそうだからだと伝えれば、「あはは、僕もショコラが嬉しそうだからですけどね」と穏やかな声で笑った。
執務室の机には、何やら魔法陣の描かれた書類が散らばっている。
あまりユビテルの仕事に干渉するのも良くないかと視線を逸らした先では、当のユビテルが至極聞いてほしそうに目を輝かせて待ち構えていた。
バルコニーのざぶとんに促されながらあの魔法陣について問い掛けると、ユビテルは「よくぞ聞いてくれました!」と美しい垂れ目の目尻を更に下げて胸を張った。
「実は、一月以内に世界各地に転移魔法陣を敷き始めようと計画しているのです」
意気揚々と語り始めたユビテルは、私にお茶と茶菓子を勧めながらもその計画を詳かにする。
先の争いに発展するまでも、仲が良いとは言い難い関係を続けてきた四龍族。そんな四種の間で同盟が組まれたのは今回が始めてのこと。
故に、お互いの国を行き来する方法は徒歩や個々の魔法による移動のみ。それではこの先、王族である自分達も、民も、他国に移動する回数は増えていくのに不便だと、ユビテルは即刻議会で解決案を通してきたのだそうだ。
「僕達は勿論、富裕層や上級旅人は必ず利用するでしょうし、何より転移前の検査を担当する者には種族を拘る必要がないので、制限のない働き口が増えます。これで世界経済が淀みなく循環しますね」
個体の通過だけでなく、貨物の通関も担えば流通も盛んになる。願い続けてきた軍事征服でも大戦での勝利でもない、平和的な方法での世界統一の夢が叶いそうなのだと、ユビテルはとても幸せそうに語った。
あの書類の山は、行き先を後から指定する為に組み込む術式の最善の形を考えていて、あの量になったらしい。
熱を上げた様子で一通り説明してくれたユビテルは、我に返ったのか一つ咳払いをして居住まいを正す。
照れ臭そうに「何だか熱くなってしまって、僕の話ばかりですみませんね」と謝られたけれど、ユビテルの話は興味深いしとても面白い。
それに、以前はここまで深いところまで踏み込ませてくれなかったから。本当の意味で、ユビテルと仲良くなれたのだと思うと感慨深い。
「何でも話してください。私とユビテルはお友達で、仲間とはぐれた同盟、ですから」
初対面の日に結んだ懐かしい響きを持ち出せば、ユビテルは麗しい金糸の睫毛を揺らしてはにかむ。
つくづく綺麗な男の人だと思う。エスとは趣の違う美貌は、見慣れさえすれど何も感じなくなるわけじゃない。綺麗なものは何度見ても綺麗だ。
そう言えば、ユビテル達雷龍にも換鱗期はあるのだろうか。あるのなら、鱗はいつもどう処理しているのだろう。
疑問をそのまま口に出せば、間もなく「換鱗期の鱗なら、我が国では貴石と同等かそれ以上の扱いになります」と解が返ってきた。そうだよね、こんなに綺麗なもの、浄化するのは勿体無いよね。
エスの蒼い鱗を数枚取り出して見せると、ユビテルは好奇心に満ちた瞳をして近付いてきた。
「これは結晶龍の鱗、ですか……?」
「エスの、垢とか抜け毛みたいなもの、らしいです」
「えー……分類に当て嵌めるとはそうかもしれませんが、汚いものではないんですけどね」
曰く、龍族の鱗は貴石としても防具としても素材の価値が高いらしい。
直に生えている状態のものには劣るものの、最上級の物理防御力を誇り、ある程度の属性魔法を無効とし、軽量で尚且つ見た目も美しい。幾ら払ってでも欲しい者が後を立たないそう。
説明しながら懐から財布を出してくるユビテル。平然とエスの鱗を買い取ろうとしているけれど、私はお裾分けする気満々だ。途轍もなく分厚い札束を突き返して、エスの鱗を渡すと拝まれてしまった。
……エスは、とんでもないものを塵扱いしていた。「こんな稀少な最強素材、僕なら売って売って売りまくります!」と拳を作るユビテルは商魂たくましい。
お互いの話題が落ち着いたところで、ふと、茶菓子の一つのハイドランジアを象ったねりきりを注視してしまって、壊れたバレッタのことを思い出してしまった。
あれから、休憩の度に炎属性魔法で熱してくっつけようとしてみているけれど、上手く行かない。もう身に付けられられなかったら……。
「……ショコラ、何か、悲しい出来事でもありましたか?」
ユビテルが心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
本当に鋭いというか、よく見てくれているというか。物凄く顔色が悪いのか、体調不良を疑われたことは何度かあったけれど、そう聞いてきたのはユビテルが初めてだった。
私は服の中から壊れたバレッタを取り出して、ユビテルの前に置く。
「エスに言えば、新しいのを買ってくれると思うんです。でも、私は、このバレッタがいいんです」
エスが初めて私にくれた大事な宝物。
きっと同じものが幾つもあるに違いないのに、私にとってのエスから貰ったバレッタはこれだけだ。
もうダメなのかもしれないと思うと、また泣きそうになる。
「大丈夫ですよ。今なら直せます」
俯いた私の耳に、ユビテルの真摯な声が届いた。希望に顔を上げると、壊れたバレッタを手に優しい笑みを浮かべているユビテルがいた。
「素材の加工は炎龍族が一流ですし、資源の採掘は地龍族が精力的に行っています。二度と壊れないようにしましょう」
「本当に、直せるんですか……?」
「ええ、今はもう、皆が仲間ですからね」
安心出来る柔らかい笑顔を見て堪えていた涙が零れた。
どんなに悩んでいることでも解決してくれようとするユビテルは、本当に得難い人だ。
ユビテルにバレッタを預けながら、毎度のことながら国の一番上に立つ人を個人的なお悩み相談係にしてもいいものかと、申し訳ない気持ちに埋め尽くされる。
「ユビテル、いつも、ありがとうございます」
「いいんですよ。大事な友達すらも助けられない者は、到底民を守れる王にはなれません」
きっと謝る場面じゃないと、お礼を口にすればユビテルは太陽の如く明るく微笑んでくれた。