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ショコラクリスタリゼ  作者: ななせりんく
続章 婚約と宝物
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1.ショコラ、花弁を捕まえる。




 肌寒い空気と共に浮上した意識、まだ瞼が重くて起き上がりたくない。

 寒さから逃れようと膝を折り畳んで丸くなると、こめかみに暖かい陽光が降り注いでくる。私はその僅かな温もりを求めて微動した。温かい、もう少し……。


「そのまま行くと落ちる」


 耳障りの良い低い声が鼓膜を揺らした。

 その無機質でありながら何処か甘い響きに身を震わせる。胸の奥がこそばゆい。泣きたくなるくらいの慈愛に満ちているその声は、それでいて私だけに向けられた音をしている。

 エス、私まだ、夢の中にいるみたい。そんな風に柔らかくて優しい声を、私だけに掛けてくれるようになるなんて。


「ショコラ」


 一般的な人型よりも低めの体温が頬を包んできて、私は更にその温度を求めてすり寄った。この温もりが一番好き。

 空気を振動させた程度の微かな笑い声を聞いて、漸く私は瞼を持ち上げた。


 真っ先に視界に映り込んできたのは愛しい人の顔。

 綺麗だとか美しいだとか、そんな簡単な言葉では到底間に合わない美貌が、何となく嬉しそうな無表情で私を見下ろしている。

 指の背で頬をくすぐりながら「朝食出来てる」と端的に伝えてくる声にさえも艶やかな甘さを感じて、エスに気付かれないように膝を擦り合わせた。

 幾ら『番い』だと呼ばれても、普段、日が昇っている内は私に対しても通常通りなエス。それでも、朝は少し違う。

 あんまり甘く囁かれると、その、そういう気分になってくるから、出来れば薄着で寝台の上にいる時はやめてほしい。誘惑に負けてしまう。


 そう思った傍から親指が唇をなぞった。みるみる顔が熱くなっていく。

 エスが静かに、意地悪そうに笑ったように見えた。無表情の領域の、微々たる動きだったから定かではない。……恥ずかしい。ちゃんと我慢してるのに、甘いエスを際限なく求めてしまいそうになる。

 エス、と小さく名前を呼んで、恨みを込めて睨みながら制止を掛けると、無視をしたエスに顎を摘ままれて持ち上げられた。


 間もなく重なった唇に抗えるはずもなく、私は口付けを甘受する。おはようのキスにしては長くて深い、声を漏らしてしまわないように必死で息だけを逃がす。

 エスだって、たった数回のキスや、まだ二度だけのそれでもうよく分かっている。私はそれなりに強く押されれば簡単に押し負ける。エス限定で、エスに与えられる快楽にすごく弱い。


「っ、えす、我慢、できなくなるから……」


 本当はエスがくれるならくれるだけ強請りたいところだけど、思考を放棄して甘い夢に溺れるには少し早い。

 まだ、『全部終わったら』という約束を、主に私が、満たせているとは言えないから。

 やっとの思いでエスの胸を押せば、容易く解放してくれる辺り、エスには人型の私よりも遥かに強固な理性を持っている。精神的に大人だ。何だか、とっても情けない。


「俺の方がもっと我慢してる」


 離れてくれたエスの顔を見上げれば、蒼玉の瞳の中心が縦に割れていた。

 あれ、私が思うより、理性的じゃない……? 眉尻を下げてみせるエスはひどく切なげで、膨大な色香を隠し切れないでいた。


 悩ましげに吐く、溜め息に混じる微量な声にさえも心臓が痛くなる。私がエスから感じている情欲は、きっと勘違いじゃない。

 一度長く濃密な睫毛を伏せたエスは、その一瞬で頭の中を切り替えたのか。とても安全で優しい真顔をして、私の髪を撫でてくれる。

 器用に髪をすく長い指に地肌を掠められる心地好さに安心して、幸せを噛み締めていたその時、ゆっくりと寝室の扉が開く音が聞こえてきた。


 視線を動かして入り口に向けると、ティエラが半目で私達を眺めている。

 エスは構わずに私を撫で続けているけれど、その間にもティエラの大きく愛らしいはずの瞳は眇られていく。


「にーちゃん……幸せそうなところ悪いけど、冷めるよ」


 ティエラの低い声はひどく呆れていた。

 全く以てティエラの言う通りだ。せっかくエスとティエラが作ってくれた朝ご飯、気持ちよく寝ていただけの私がこれ以上遅らせるわけにはいかない。

 急いで起き上がると、エスは至極残念そうにしながらも手を退けてくれた。けれど、私の傍から離れない辺り、このまま私の身支度を全力で介護しようとしているのだろう。

 最近のエスの過保護はちょっと行き過ぎだ……。困惑しつつティエラに目で助けを求めると、ティエラは任せてと言わんばかりに口角を持ち上げた。さすがはティエラ、頼りになる。


「僕、そろそろ一人暮らししようかな。お邪魔みたいだしねー」


 弱冠九歳の男の子の口から出たとは到底思えない驚愕の台詞に、私を構い倒していたエスの動きが止まった。

 私もびっくりしているけれど、ティエラは「あちこちにツテも出来たし、何とかやっていけるんじゃないかなー?」と更に追い討ちを掛ける。

 人形のように固まっていたエスも黙っていられなくなったのか、立ち上がってティエラの方へと一直線に向かっていくと、勢いよくティエラの両肩を掴んだ。


「自立するにはまだ早い」


 短い言葉ながら、必死でティエラを教え諭そうとするエス。

 そうなんだけど、何だかズレているような。でも、エスはティエラを大事に思っているからこそ真面目に受け取るのだろう。

 それをティエラも感じたのか、安堵した様子で可愛らしい笑みを浮かべてみせた。


 いつも通りの賑やかな朝がやってきた。二人がいるだけで元気になるし、今日も一日頑張れる。

 早く身なりを整えないと、と寝台から脚を揃えて床に下ろしたと同時、何処からともなく硬質な音が聴こえてきた。


 幾つもの鈴を一斉に鳴らしたみたいな、硬いけれど涼やかで綺麗な音色。

 再び耳朶を打ったその音を辿れば、エスの身体から何やら花弁のような何かが数枚舞い散るのを見た。

 私はエスの傍に近付いて、床に膝を着く。透き通った蒼のそれを拾い上げて触ってみると驚く程に硬くて、色味も蒼い金剛石の如く美しい輝き方をするかと思えば、角度によってはオーロラにも見える。

 何度か見た覚えのある色合いだと首を傾げていると、頭上から「そろそろ換鱗期だったか」と落ち着いた声が落ちてきた。換鱗期って……?


「にーちゃんの形の龍族には数年に一度換鱗期があってね、身体が大きくなる頃に以前の鱗が剥がれ落ちるんだよ」


 疑問符を大量に並べていた私に、ティエラが分かりやすく説明してくれた。

 エスのように身体に鱗を持つ龍族は、一回り成長する度に鱗が全て生え変わるのだそうだ。数日間夜から朝にかけて脱鱗が激しいらしく、エスの周囲が鱗だらけになっていても驚かないように、とのこと。

 話を聞いている側から蒼く輝く鱗が宙を舞う。空気の抵抗を受けて回転し、光を散らしながら落ちていく様は、美麗としか言い様がない。

 人の持ちうる言葉では表現が足りないくらい、恐ろしく美しい生き物だとは常々思っていたけれど、ついに絶景という言葉まで欲しいままにしてしまうなんて完全無欠だ。


 それにしても綺麗。何度も口から綺麗だと零れ出るのも仕方ないと思う。

 蒼い宝石の花弁を幾つか捕まえて喜んでいると、エスは何とも言えない真顔で私を見据えていた。


「それ、垢とか抜け毛みたいなものなんだけど……」


 どうやらドン引きされている。

 こんな、既に磨き上げられた貴石そのものが身体から剥落しているのに、エスはひたすら煩わしそうに浄化している。

 細かく粉砕されて消えていくのも儚くて美しいけれど、何より勿体無い。せっかくこんなに綺麗で、エスが成長した証なのに。

 私は一掃されてしまう前に蒼い鱗をかき集めて抱き締めた。


「汚くないよ。私は欲しいの!」


 エスは今度こそ分かりやすく唇の端を引き攣らせた。



 一悶着あって遅くなってしまったけれど、無事鱗は私の手に残ったし、朝食もエスとティエラが作ってくれたものなら冷めても美味しいから大丈夫だ。

 二人を追い出して着替えを済ませた私は、いつものように横髪を捻って後ろに纏めていく。

 仕上げにハイドランジアのバレッタで留めると、普段耳にする軽快な金属音とは違う鈍くて変な音がした。

 何だか髪の収まりが悪いような気がする。鏡で確認しようと手を離した瞬間、バレッタが外れて床に叩き付けられた。


 慌てて拾い上げて見ると、金属の部分が壊れて割れてしまっている。先程の違和感はバレッタが壊れた音だったみたいだ。


「どうしよう……」


 視界に涙が滲む。大好きで何ヵ月も毎日使っていた大事なエスからの贈り物が……。

 絶望に打ちひしがれている間にも、ティエラが呼ぶ声が聞こえてくる。私は指で涙を拭って、壊れたバレッタを服の中に仕舞った。後で何とか直せないか試してみよう。


 切り替えて寝室を出たつもりでも、顔色が悪かったのか二人に心配された。笑ってみせたけれど、ちゃんと誤魔化せただろうか。

 毎日感じていた後頭部の重みが無くて落ち着かない。もし、直せなかったら……そう考えると、美味しいはずの朝食も味がしなかった。



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