3.ショコラ、何かに触れる。
肩を上下させて必死で息を整える。何だろう。ちょっと走った程度なのに疲れ方がおかしい気がする。汗がなかなか引いてくれない。
プロミネ達に案内されて辿り着いた場所は、街外れにある立派なお屋敷だった。賑やかな街とは打って変わって閑散としているこの場所は、暗い雰囲気と人気の無さで、不思議なくらいに静まり返っている。
いざ潜入と言った空気だというのに私の息は一向に整わない。皆に心配されながらも、大丈夫だと返すしかない。頑張らないといけない場面で本当に情けない。
このお屋敷は、プロミネが暇潰しに散歩していた時に見つけたらしい。薄気味悪いお屋敷があると思えば、中を出入りしている不審な人影を見て、とりあえず面倒臭いから放置という形で、記憶には残していたのだとか。
よくよく調べてみれば人身売買の拠点だったようで、気が付いた時に首謀者を引き摺り出してお屋敷も燃やしておけばよかったと、ほんの少しは良心が痛んでいたのだという。
プロミネからすると今回こそ好機と見て、ちょっとばかし痛んだままの心を解放させたいのだとか。それが私達に協力するという形で利害が一致したと。この説明があって、やっとエスは炎龍の皆を信用する気になったみたいだし、私も話を聞きながら呼吸が楽になったから聞けて良かった。
話を終えたプロミネが紅い炎を纏ったかと思えば、金属製の大きな門を燃やして溶かす。たった一撃の炎でこうなるのか。彼らが今敵ではないのが幸運でしかない。赤い水溜りになっている、門だったものを踏まないようにして中に潜入する。
プロミネがお屋敷の扉を蹴り倒して開ける。手慣れた様子が本当に取り立て屋さんみたいだな、と暢気なことを思いながら後に続いた。
外から見れば立派なのに、中は壁が剥がれていたり、床が抜けていたり、薄暗くて廃墟のようだ。閉じ込めておくのに最適な部屋はどこに隠してあるかとあちこちを探し、床が抜けている部分をプロミネが適当に蹴り崩した時、その音に違和感があって下に空間があることに気が付いた。それから隠し階段を見つかるまでは早かった。
どれくらいの頻度で使っているのか。蜘蛛の巣が張り巡らされたそこは、咳き込んでしまうくらいに埃っぽい空間だった。
間抜けなことに、しっかり蜘蛛の巣に掛かって四苦八苦している私を見かねたらしいエスが払いながら進んでくれる。紳士ってこういう時に使う言葉だろうな。完全に残念なものを見る目をしながらだけど、床の継ぎ目に足を取られる私に手を差し伸べてくれたりする。
優しいな。ありがとう、と笑顔を作ろうとして何故か笑えなくて、どうしてしまったのかと首を捻った。
「ま、大体逃げても地上に辿り着き難い地下に閉じ込めとくのが鉄則だろ」
それって、忍び込んだ私達も脱出が難しいってことなんじゃ……。そんなことを思った側から、「皆さん、別の階段の方から足音がします」とフェゴさんの声が潜められる。
やっぱり、何もなく終わることは無理だよね。剣を抜こうとした時、炎龍の三人が私とエスの前に並んだ。
「俺らが何の為に一緒に来たかちっとは考えろ。俺はボッコボコに出来たらそれでいいんだよ」
プロミネは不敵な笑みを浮かべて身体中に炎を纏い、階段に向かって走り出した。リプカさんとフェゴさんもその後に続く。
「敵自ら居場所を教えてくれたようなものよね。先を行ってちょうだい」
「その通り、三頭も居れば充分すぎるくらいですよ」
笑顔で走って行ってしまう三人に御礼を告げながら頭を下げてから、エスと一緒に奥に向かおうと走り出す。三人の好意を無駄にしない為にも、早くティエラを助け出さないと。
いつもならもっと早く走れるのに、おかしい。速度が上がらない。目が霞む気さえする。何度も瞬きを繰り返していたら、不意にぐるりと視界が回って地面が近づいてきた。エスに腕を引き上げられて転けずに済んだけど視界が戻ってこない。
「お前、顔色悪すぎ」
エスの声が遠くに感じる。何とか自分で立ち上がろうと試みるけれど、力が抜ける方が早い。
これは、貧血だろうか。こんな時にどうして? 気持ちの悪さから一言も言葉を返せないでいると、どうやらエスに背負われてしまっているらしい。早くしなきゃいけないのに、私の為に歩いてくれている。
いつもエスに持ち上げてもらっている気がする。迷惑ばかり掛けている。情けなくて悔しくて泣きそうになってしまう。
「昨日の朝、遠慮してあんまり食べてなかった。それで俺の攻撃まともに受けて血流して、今日もティエラの分ばかり確保して何も食べてない。当然その状態になる」
「私……」
「お前は自分の損害を全く考えてない。もう少し自分のことを考えろ」
損害なんて、そんな風に考えたことなんてなかった。
私はどちらかというと足手まといで、私は二人からもらえてばかりなのに私は何も返せてなくて、ただただ誰かのことを考えたり、一人じゃない時間を過ごすのが嬉しくて仕方なかった。
「私、二人が仲間になってくれて、二人が一緒にいてくれて、それだけで、すごく……っ」
嬉しくて幸せで。そう紡ぐ前に溢れ出す涙が言わせてくれなかった。
私に気を遣わせたのも、話に乗っかるだけ乗っかって何もせずにいた自分のせいだと言い始めるエスに、大きく首を振って違うと反論しようとすれば口に手を当てられて塞がれる。
その後、器用に涙まで拭っていく指が、人型の平熱よりも随分と体温が低いのにとても温かく感じた。
「俺はティエラと二人だけど、お前はずっと一人だったんだもんな……寂しかったな、ショコラ」
いつもの無機質な声色とは異なる優しい声が掛けられて、堪え切れるはずがなかった。大粒の涙が次々と零れ落ちて、これでもかとエスの肩を濡らす。
お母様が亡くなってから、こんなに優しく名前を呼んでくれる誰かに出会ったのは初めてだ。私は本当に幸せだ。
暫くして、視界に光が戻ってきた時には奥の部屋に到着していた。二人で扉を開くと、そこには何人かの子どもや女性が気絶させられ、紐で縛られて床に転がされている。様々な髪色の人々の中、奥の方に白髪の男の子の姿があった。他の人と同様にきつく手足を縛られている。
ティエラの元に駆けつけた私達はティエラの身体を揺する。ほんの少しだけ睫毛が揺れたけれど、それでも目を覚まさない。
エスが氷属性魔法で鋭利な刃を作り出し、まずティエラの手足を自由にした後に、他の人々の手足も解放しに向かった。お祭りの人混みから何人も拐ってきたのだろうか。誰も目を覚ます気配がない。
「……あれ、にーちゃん、ショコラ……?」
やっと目を覚ましたティエラはひどく眠そうだった。大きな瞳を何度もしょぼしょぼさせているけれど、それ以外にはおかしなところはないみたいで安心した。
変なことをされていなくて本当に良かった。真顔だけど、何となくエスも安堵しているように見える。
ティエラや他の人達も見つけることが出来たし、プロミネ達の援護に戻ろう。そう思って立ち上がろうとした時、上の方から何か重いものを引き摺る音が聞こえてきた。
何だろう。気味の悪い音だ。その引き摺る音が何なのかを考える前に、勢いよく扉が開かれた。
「おいフェゴ! 三人くらいでへばってんじゃねぇ。さっさと連れ出せ」
「プロミネさん、そう言うなら手伝ってくださいよ!」
「嫌だ。重いから」
キッパリと上に向かって言い放ち、プロミネは私達に向き直った。綺麗に整えていた髪が煤けたのが気になるのか、雑に手櫛を通してから丁寧に撫で固めている。
空に向かって突き破るように、部屋の前の天井にぽっかりと大きな穴が開いているのは、プロミネがやったのだろうか。木の焼け焦げた匂いとやや黒い空気が廊下を充満している。
「お! ちゃんとちっこいの居て良かったな」
「うん! フェゴさんが引き摺ってるのは何?」
「あれな、人身売買の首謀者だ。吐かせると面白いかもしれねぇと思ってボッコボコにしてからの連行だ。もう見るに耐えない面になってるぜ」
そう言って親指で指し示しているけれど、どちらが悪者なのか分からなくなるくらいの内容と良い笑顔だ。
暗い廊下の中を赤い炎が乱舞しながらこちらに向かってきたかと思えば、プロミネの横にリプカさんが降り立った。
「ちゃんと通報してきたわよ。あの薄汚い野郎共を引き渡した後に火を放つってね」
「上出来だ、リプカ」
プロミネが頭を撫でようとすると、リプカさんはその腕を折る勢いで払い除けていた。一瞬変な方向に曲がったけど大丈夫だろうか。
「えっと、お兄さん達、もしかして僕のこと協力してくれたの?」
「そういやちっこいの。人型だと初顔合わせだな」
状況を粗方理解したらしいティエラが、目を瞬かせて三人を見慣れなさそうに見ていた。
そう言えばティエラはプロミネにも会っていなかったと今更ながらに気が付いた。プロミネがリプカさんと、上の階から返事をするフェゴさんの紹介を軽く済ませている。
空気が和やかなものになってから、プロミネは「じゃ、ここらで事実確認といこうぜ」と話を切り出してきた。
急に真剣な表情になるプロミネとリプカさんを見て背筋が伸びる。多分、あまり良い話ではない。何となく感じ取ると胸一杯に嫌な予感が広がっていく。
まずプロミネは、私が『紫のエルフ』と呼ばれ噂されている件は嘘だったと前置きし、エルフ族が虐殺によって私しか生き残っていないことを確認してきた。
だけど、この私の話自体が前置きなのだと直感で思ってしまった。何となくこの先を聞きたくない。
「炎龍族の間では氷龍族の絶滅説と生き残りがいる説で二分していたわ。でも、事実上ここに二頭いる。後者で間違いないわね」
「氷龍族は皆殺しにされたってな。ま、誰にって話だよな」
お前か? とプロミネの視線は静かにエスを見据えている。皆殺しって……確かにエスには残酷な面はあるけれど、仲間を全員殺してしまうなんて、そんなことをするような人には見えない。
「違う。エスが仲間にそんなことするとは思えない。冷たい時もあるけど、さすがにしない!」
「それはお前が信じたくないだけだな。聞くけどな、お前にとって『仲間』は良い奴らだったか?」
言葉に詰まる。とてもじゃないけど、そうとは言えない。エスにとっての仲間もそうだったんだろうか。殺してしまいたくなる程、酷いことをされてきたのかな。
「殺してたら何」
あっさりと肯定してしまうエスは非常に面倒臭そうに見えた。当たり前のことを聞かれているみたいだ。
「ただの事実確認だ。ただ、お前はもう見つかった。俺らにも、わけわかんねぇ奴らにも。それだけは覚悟しとけよ」
「分かってる。だから逃げてるだろ」
「ごもっともだな」
プロミネの言うことの多くに理解が及ばない。捕獲令と今回の人身売買に関連性があるのだろうか。
血が足りないせいなのか、事実を認めたくないせいなのか、頭がついてこない。それでも話は続いていく。
それから、プロミネは白い仮面の種族について、心当たりはあるかと問いかけてきた。大きく心臓が跳ねる。
今回の首謀者は、その者達に使えそうな種族が掛かれば引き渡せと言われていたと。白い仮面だなんて、そんなのは私を檻に入れた種族しかいない。でも、何故人身売買などに加担しているのか。
その者達はどうもエスが欲しいみたいだと。捕獲令を上げているのもその者達が関係している可能性が高いと。プロミネから告げられる膨大な情報量に、頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだ。
エスも「何で今更……」と返しているけれど、その一言に尽きる。今更エスが欲しいなんてどういうことなのか。
氷龍には使い道があると、特に、戦争には。と続けられた時には身体が冷えてきたような気さえした。小刻みに震えていると、小さな手がそっと肩に乗る。
「ねえ、そろそろやめて。にーちゃんに忠告してくれてるんだろうけど、人型のショコラに龍族の話は刺激が強いよ」
ティエラの制止を聞いてプロミネは思い出したように目を見開いた。私が居ることを忘れていたのか。
「悪ぃ。よく馴染んでるからな。当然のように聞かせたな」
「ううん、私が慣れるようにする」
戦争も皆殺しも私の感覚には無いことだからどこか非現実なのに、当たり前のように話を広げられてしまうと恐怖が現実的になる。
また一つ恐怖から逃げてしまった。あれ……また、またって、いつのまた?




