守る会の立ち上げ
夕方の散歩に出たNさんは、丸善アパートと呼ばれている3階建ての集合住宅の前に「建築計画のお知らせ」という白い看板が出ているのに気がついた。改修工事でもやるのかなと思ったのだが、読んでみると14階建てと書いてある。近辺にこんなに高いビルなぞ見かけたこともない。こんな狭い場所に、まさかとわが目を疑った。しかし、間違いなく、そう書いてある。お隣や、近隣の人に声をかけると、そのニュースは、すぐに町内に広まった。
突然現れた「建築計画のお知らせ」には住民誰もが驚かされた。まさかこんな所に十四階建のマンションを計画するとは。低層の住宅からなる百原一丁目には十四階ものマンションはあまりにも不釣合いだ。覆いかぶさるような建物の圧迫感には耐えられない。大通りへの出入口が一箇所しかない二〇〇世帯くらいの地域に一挙に多数の自動車が増えれば渋滞は必至だ。一つマンションが建てば、それだけでは収まらずに、百原一丁目は次々と大きなビルで埋められて行く。これまでの、ゆったりとしたコミュニティーが殺伐としたものになって行くのではないかと多くの人たちが感じた。
建設予定地近くの人たちはまず、自治会でこの問題を取り上げてもらおうと思った。しかし、当番制の委員がする仕事の範囲で収まる問題ではないことは明らかだった。多くの委員は、しり込みをしたし、第一マンションを建てさせないなどという事に展望を見出せなかったから、責任を持って引き受けようも無かった。タワラコーベンのマンション計画が始まる前に出来た穴空工務店のサーカス百原の時は結局自治会として行動はしていない。
そこで、この問題に取り組むために任意の団体を立ち上げることにした。多くの人が、このマンション近隣だけでなく、百原一丁目の住環境自体が危機に瀕していることを感じていた。目の前の問題に狭めず、「百原一丁目の住環境を守る会」として活動していくことにした。まず、主旨を知らせて会員を募った。最初に、組織を立ち上げた人たちの熱意は強かった。実質、百原一丁目の全ての家を訪問して、参加を訴えた。「建築計画のお知らせ」が出た翌週には、一〇〇名以上の会員が会に結集していた。十二月には一八三名の会員となり、地域外の人の参加もあったので、人数としては、ほぼ自治会の会員数に達した。 実は筆者も最初からの会員ではなく、後からさそわれて会に参加したものの一人だ。いろんな人が続々会員になって行き、それぞれの持ち味を生かした活動が広がって行く。それが運動というものだ。
これだけ広がれば、自治会としても協力しないわけには行かない、というか、自治会として全面的にバックアップする名目が立つ。この後のいろんな申し入れには自治会も名前を連ねたし、財政的にも子ども会などと同じく自治会の援助を受けることが出来るようになった。動きやすい所が動き、自治会としても、本来予定していたいろんな活動を崩すことなく、反対運動に参加できることになった。
こういった反対運動なるものにしり込みするのは自治会だけではない。住民はごく普通の市民であるから、最初から強烈な反対運動に立ち上がれるはずがない。「反対」などと言う強い言葉を使うことにも抵抗があった。幟を立てた時も、最初は赤旗に抵抗があり、緑の旗におとなしい表現の幟を混ぜて、どちらも選択できるようにした。しかし、運動が進むにつれて、住民の多くが平気で赤旗を立てるようになっていった。説明会などで、業者の言い草を聞いたりしていると、なんとか建設を阻止したいと言う気持ちがだんだん高まって行くのである。業者の言い分が身勝手で、自分たちの主張に理があると確信したとき運動が成り立つ。




