おわりに
一年後、タワラコーベンはこの跡地を分割し、半分は戸建の宅地として売り出し、半分は四階建ての賃貸マンションにすると言って来た。十四階建てが四階建てになったのだから周辺住民の被害は大幅に軽減したと言える。
マンション紛争で住民側が勝つことは全国的にも珍しいこととされている。百原一丁目が勝ったのは、高度地区指定の駆け込み着工であったことと、景観形成条例による届出を怠っていた相手のミスによるところが大きい。希に見る幸運だったのかもしれない。
しかし、我々には最初何も無かったのである。高度地区指定の対象からも外れていたし、「中高層住居地域」に指定されてさえいた。駆け込み着工となったのも、景観条例が使えたのも、さまざまな住民の工夫の一つであったにすぎない。
多くのマンションをめぐる住民運動はマンション業者の「合法です」の一言で屈服させられて来た。やむにやまれぬ住民の要求行動が「不法」として退けられることさえある。確かに、現今の法律は建築基準法にしても、騒音規正法にしてもマンション業者に有利なものばかりと言える。しかし、日本国憲法は基本的人権を至上の権利として宣言しており、健康で文化的な生活をする権利を全ての国民に認める。最も重要な法律である憲法はその精神において常に住民の味方だ。
彼らマンション業者の合法主義は法を尊重する立場からのものではなく、単に法律を利用しようとしているだけである。彼らにとって「合法」とは「抜け道」と同意語なのだ。実際、お抱え弁護士を擁するマンション業者は様々な知識を駆使して住民を痛めつけて来たし、多くの裁判を通じて百戦錬磨の知識を蓄えている。しかし、法を守ると言うことは法の精神を理解し尊重することである。これが無いまやかしの合法主義は必ずボロが出る。
住民はくじけず調べることが必要だ。調べれば必ず新たな真実が見えて来る。彼らは道路法を守っていなかったし、景観条例の届出もやっていなかった。これは、彼らが法の精神を尊重しようとせず、抜け穴探しだけを追及していたから必然的に起こったことだ。彼らは必ず法律違反を犯している。これを見つけ出して上手に使うことが勝利のためにはどうしても必要だ。ネットワークやコンピュータの発達により、素人である住民にも、調べることは昔よりずっと容易になっている。
工夫は調べることだけではない。様々な創意が勝利のカギだといえる。様々な創意を持ち寄り戦うのが住民運動であり、そう考えると運動自体が楽しいものになる。実際、私たちはこのマンション反対運動の中で、いろいろな創意工夫の面白さも発見したし、学ぶことも多かった。近隣の人たちとのきづなも深まったし、いまから思えば楽しい経験ですらあった。
今、マンション建設で追い詰められている多くの住民が、建設阻止の展望をつかめずに苦悩していることだろう。しかし、展望は最初からあるのではなく運動の中で見えてくるものだ。他での経験をそのままコピーすることは出来ない。そんなことが出来るくらいなら最初から問題は解決しているようなものだ。私たちの経験が示すことは、出来ることで努力をするうちに思わぬところで道が開けるということだ。
だから私たちの経験はあくまでも自分たちが努力する参考の一つとして読んでいただきたい。




