公告物条例での反撃をめぐって
タワラコーベンが県の屋外広告物条例を使って反対看板にクレームをつけてきたことは前に述べた。少なくとも文面上は反対運動の痛手になるような厳しさを持った条例であるから、逆用すればマンション業者にも痛手となる。モデルルームを使って派手な宣伝をするが、これは全部条例違反だ。世の中の公告物は違反だらけと言ってよい。
タワラコーベンは市民の反対運動に対して条例の厳格な適用を市に要求したのだから、自分に対しては緩くしろとは言えない。これを指摘してやれば営業活動は困難になるはずだ。これを使うことは当然住民の間からも出てきた。この閉塞感を打ち破るには格好の題材と思われた。しかし、実際に解体工事が進み、阻止の展望が見えない日々が続いており、私たちの間にも意見の違いが大きくなって来ていた。
住環境を守る会を立ち上げた会の中心的な人たちの間では、何の成果も無くマンションの建設がはじまる事へのあせりがあった。言わば自分たちが嗾けて多くの人たちを反対運動に引き込んで、それで結局マンションは出来てしまったというのでは申し訳ないと言う気持ちが強かった。何とか妥協点を見出して何らかの運動の成果を残したい。そのために公告物条例を交渉カードに使うと言う考えがあった。
建設を認める代わりに工事はきっちりと工事協定を結んでそれに従い、できればマンションの中に自治会の部屋を作ってもらうなどの要求で妥協しようと言うのだ。この程度の交渉カードでそんな簡単に要求を呑む相手ではないだろうという批判は当然あったが、交渉カードに残しておくという意見も強かった。対策屋との折衝で期待を持たされてしまったのかも知れない。
一方で、あくまでも建設阻止を追及し、これ以外に妥協はないと考える人たちもいた。これまでのタワラコーベンの対応に怒り、まともな妥協などあり得ないことを確信している人たちだ。この人たちは公告物で攻勢に出てタワラコーベンに打撃を与えたい気持ちが強かった。
それぞれに他方を「妥協派」「玉砕派」と呼んで議論は紛糾した。不眠や鬱傾向の症状が出る人も現れ、こんなに難航するならもう、役職を辞めたいなどと言い出す人も出てきて会の運営は困難になって来た。
結局、玉砕派が折れて公告物所条例のカードは保留することになった。攻勢にでても、気分は良いが現実的に何が得られるかと言うと定かではない。タワラコーベンをへこますことができれば確かに指揮は高揚するし、それは重要ではあるが実質には寄与しない。このあたりが玉砕派が折れた理由だ。大切なのは住民の結束だと言うことは双方とも理解していた。




