調理実習!
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「――ですから、これは明治時代以降に広まった料理なのです」
先生の講義も佳境。四時間目はもうすぐ終わる。お昼休み前の教室内は気の早いクラスメイトが腹の虫を鳴かせている。
「ちなみに、地域によっては呼び方が違ってたりしますね。みなさんはどのように言いますか?」
この時間に家庭科を入れるとは、精神衛生上よろしくない。私も授業終了のチャイムはまだか、と気持ちが急く。となりのパセリはすでに教科書をしまっていた。
「私はとん汁と言っています。ぶた汁と言ってる人とは会ったことがありませんでした。……ということで、授業を終わる前に皆さんにお知らせがあります。他のクラスの人から聞いた人もいるかもしれませんが、来週の家庭科の授業は調理室で行います」
調理室? そんなところで一体何を。お料理でもしようというのか。
「そう、調理実習です。みなさんには今日の授業で出たとん汁を作ってもらいます。説明した手順はメモしましたね? グループで役割を決めてくださいね。ではこれで授業を終わりにします」
委員長の号令がかかり、午前中の授業は終了した。眼鏡の女性教師は教室を出て行く。
「へーい、ドリちゃん、お昼食べようぜ! 今日のあたしはお弁当だぜいえい! ……ってどした!? 芥川のポーズで固まってるよ!」
「顔は『我が子を食らうサトゥルヌス』ですね。鬼気迫る表情ですよ」
来週……調理実習か。
さぼっちゃおうかなあ。
金畑学園では給食は出ない。生徒は学食を利用する、お弁当を持参、購買でパンを買う、といった選択肢がある。一番多いのは学食だ。小等部の低学年は利用できない決まりだが、それより上の学年、中等部は同じ食堂なので恐ろしいまでの人数が押し寄せる。場所取りで毎日が戦争だ。私も小等部の頃に何度か行ったことがあるが、場所を取れずに泣く泣く諦めた回数の方が多かった。競争に敗れた者はその足で購買へと向かう。しかし、当然ながら初めから購買を狙っていた者たちからは出遅れることになる。ただでさえ人気の総菜パンは軒並み売り切れ、運良くパンが残っていても敗北の味に涙を飲まずにはいられない。
「くっ、やっぱり遅かったか。ジャムパンくらいしか買えなかったよ」
私はよく購買のパンを買っている。普段だったら最前線から戦闘に参加できるのだが、今日は授業終了間際のショッキングなニュースにより魂が抜けてしまっていたので、散々たる成果となってしまった。
「まあまあ、ジャムパンだってパンのうちだよ」
パセリも同志であるはずなのだが、時々彼女はお弁当を持ってきている。今日はその時々だったため、食いっぱぐれることはなかった。
「そうですよ、昔の人は言いました。『パンがなければお米食べろ!』って」
「その国の人はパン派が多かったから革命が起きたんだな。かく言う私もパン派だけど」
エスタシアちゃんはいつもお弁当。可愛らしい弁当箱にきれいに盛りつけられたおかずは実においしそうだ。
「エスタちゃん、その卵焼きいただくぜ!」
「ああっ! がっつり持ってかれました! わたしの卵焼きーっ!」
「むぐむぐ。うん、おいしいね! エスタちゃんのおっかさん、いい仕事してるね」
「そ、そうですか? 実はこのお弁当はわたしが作っているんですよ」
「そうなの!?」
「はい。花嫁修業ということで、お料理はわたしが担当しているんです」
「へえー。お嬢様の教育方針ってやつかねえ。朝早くて大変でしょ?」
「ええ、でももう慣れました。好きなものを入れられるから楽しいですよ」
「あ、わかるなそれ。あたしも自分で作るときは毎回コロッケ入れちゃうもん」
「え? 自分でって、パセリも料理できるの?」
「うん。おっかさん怒らせちゃうとゴハン抜かれちゃうからね。自分で作らないといけなくなるんだよ。すると自然にできるようになったってわけさ。今日だってあたしが作ったんだよ」
な、なるほど。動機はどうあれ、料理ができることに変わりはないな。あれ? ということは……。
「料理できないのって、私だけ?」
「そうなの?」
「ですか?」
ずっと私と同レベルだと思っていた友人たちによるまさかの裏切り。私一人が置いて行かれてしまったような気分だ。
「全くできないわけじゃないんだ。目玉焼きとかスクランブルエッグとかいり卵とかならなんとか」
フライパンに卵を入れて焼くだけ。簡単調理万歳。
「どれも同じようなもんじゃん」
口に入れるものを自分で作るということに、なんとなく躊躇を覚える。スーパーのお総菜や冷凍食品にはそんなことを感じないのに。
「ふ、ふん。別に、料理なんかできなくても困らないもんね! 食べる物がなければパンを買ってくればいいじゃない!」
「うわーお。開き直りおったよ」
「調理実習がなんぼのもんじゃーい! 逃げて回避して逃亡だ!」
「しかも後ろ向きだし」
惣菜インスタント保存食、わざわざ自分で作らなくても出来合いのものが煩雑した世の中。保存料バリバリの化学調味料もりもり。私はそんな世界が大好きです。とはいえ、このままでは調理実習でグループの足を引っ張ってしまう。せめて荷物にならない程度には技術が欲しいところだ。
「それじゃあ、練習するのはどうでしょうか?」
「練習?」
「はい。練習すれば夢子さんもきっとうまくなりますよ!」
「お、それはいい考えだね。ドリちゃんでもきっとうまくできるよ! ドリちゃんでもね!」
初めからうまくいく人間はそうはいない。パセリの言い方はしゃくに障るが、確かに練習をすれば私も人並みには料理ができるようになるかもしれない。
「うん……じゃあ、やってみようかな」
「調理実習まで一週間。それまでわたしたちがお手伝いしますよ。ね、パセリさん」
「え、あたしも? おう、泥船に乗って山に登る気持ちでまかせなさい!」
こうして、少し不安だけど今日の放課後から特訓を始めることとなった。
特訓は私の家で行うことにした。料理の練習をしたいから台所の使用許可をお母さんに申請したところ、『夢子がお料理を? いいわいいわ、全然オッケーよ。エスタシアちゃん、パセリちゃん。ぜひとも夢子を鍛えてやってちょうだいな』と二つ返事で快諾してくれた。幸いにも、食材や調味料も自由に使ってよいとのこと。とん汁を作るには不自由しない量の材料が揃っている。
「さて。それでは夢子さんのためのお料理特訓を始めます」
「よ、よろしくお願いします。先生」
制服の上からエプロンを着る。私にとって料理が戦いならば、エプロンは戦闘服。身につけることで自然と気合いが入る。よし、準備完了だ。
「それで、なにをすればいいの?」
「えーとですね、まずは教科書通りにとん汁を作ってみましょう。パセリさん、教科書を貸してください」
「ん? あたしが持ち帰ってきてるわけないじゃん。あたしを誰だと思ってる!」
胸を張って平然と言うパセリ。自信たっぷりに言うようなことではない。
「そ、そうですか。じゃあ、わたしのを使いますか」
エスタシアちゃんは台所を出ていった。程なく戻ってきて、手に持った家庭科の教科書を開く。
「手始めに下ごしらえをしましょう。大根とにんじんはイチョウ切り、サトイモとネギは輪切りにします。イチョウ切り、できますか?」
イチョウ切り。うーん、聞いたことはある。聞いたことがあるだけではできないけども。
「今日の授業でやったはずなんですけどね……ではパセリさん、お手本をどうぞ」
「ん? あたしが真面目に授業聞いてるわけないじゃん。あたしを誰だと思ってる!」
「それさっき聞いた」
「パセリさん、お料理できるんじゃなかったんですか?」
「料理はできる。ただし自己流さ。てきとーにぱらぱらっと本めくって、それっぽく作ってるだけなんだよ。だから名前言われてもさっぱりだね」
て、天才肌め。だからこいつに教わるのは不安だったんだ。
「それだと調理実習も困るんじゃあ……。いいです。この際パセリさんも一緒に特訓しましょう! 二人とも一週間でアイアンシェフを目指しますよ!」
「「実習で困らない程度でお願いします」」
エスタシアちゃんは何かのスイッチが入ってしまったようだ。そのうち「あなたたちはウジ虫です!」とか「わたしの訓練に生き残れたら、各人がシェフになります。料理に祈りを捧げる死の司祭です!」とか言い出しそうだ。
「実際にやってみましょう。夢子さん、野菜を洗ってください」
「ん、了解」
土のついた大根を片手にスポンジ、洗剤を装備。これでごしごしとこすれば頑固な汚れも一発退場。衛生面をきちんと配慮することが料理への入門。初心者だからこそ細かい部分に心を砕かなくてはならない。
「……夢子さん、野菜洗うのに洗剤は使いませんよ。土を落とすくらいで十分です」
「え……? し、知ってたよ! これはあれだ、今片づけようとしてただけ! 別に野菜を洗おうとなんてしてないって! ほんとだよ……そこ、笑ってるんじゃない!」
パセリがニヤニヤと私を見ている。とりあえず蹴りを食らわせた。
「イチョウ切りのお手本を見せますから、よく見ていてくださいね」
手慣れた様子で大根の皮をするすると剥いていく。さながら一枚の帯状の和紙を精製しているかのようだ。
「大根の皮は向こう側が透けて見えるように剥くんですよ」
「あ、それならあたしもできるよ。ほれほれ」
「おおー! 途中で切れないで包帯みたいになってますね。さすがパセリさん。さ、夢子さんもどうぞ」
「う、うん」
包丁を渡され、柄を握る。これから私はこの大根を切る。切断し断絶し切り刻んでぶった切り、連続性を断ち切る。今まで大根だった物体に別の概念を付与して新たな物体に作り替える。生来の形に手を加えるということは、神が創造したものに反するということ。私は今、禁忌を犯す。
「うお。ドリちゃん、そんなに震えてたら危ないよ」
「夢子さん、もっと力を抜いて! リラーックス!」
「でりゃああ! ……痛たっ!」
包丁はすべるように大根の表面を撫でていき、私の指を掠めた。血が滲んでくる。幸いにも傷は深くないようだ。
「あちゃあ。やっちゃったねえ。ほい、ばんそーこ」
「ありがと。うう、プラモだったらこんな怪我しないでぱぱっと作れるんだけどな。食べる物を作るっていうとなんだか変に緊張しちゃうよ」
ニッパーやヤスリで怪我をしたことはない。なのに、包丁に替わっただけでこのざまだ。人には向き不向きがあるということが文字通り痛いほど理解した。
「……やっぱり私には無理なんだよ。これは料理なんかするなっていう神様からのメッセージなんだ。もう私は諦める。調理実習は皆の足を引っ張らないようにじっとしてるよ」
余計なことをしてグループ全体の評価を下げるよりは、参加しない方がましだろう。包丁すら満足に扱えない役立たずは路傍の石よりも邪魔だ。餅は餅屋。ゴミはゴミ箱へ、ダスト・トゥ・ダスト。失敗は誰に対しても申し訳が立たない。
そもそも、少し練習したところでどう変わるというのだ。
ならば私は、実習にいなくてもいいのではないか。
「そんなの駄目です!」
エプロンを脱ごうとした手を、エスタシアちゃんが掴んだ。
「できるできないは関係ありませんよ。皆で一緒にやることが大切なんです。大丈夫、失敗してもカバーできますよ。取り返しのつかない失敗なんてありませんから」
「あたしもしょっちゅう指切っちゃうね。それくらい、失敗の内には入らないよ」
「エスタシアちゃん。パセリ……」
「さ、まだとん汁は出来ていませんよ。完成まで頑張りましょう!」
エスタシアちゃんが私の肩に手を置く。その手は小さく、だけども温かかった。
私がバカだった。たった一度の失敗で諦めるなんて。私には支えてくれる友達がいる。ここで友の期待を裏切る方が、傍にいてくれる彼女らに顔向けできない。
「うん……そうだね、私らしくなかった。ありがとう。もう一度、頑張ってみるよ。エスタシアちゃん、続きを教えて!」
「はいっ! お任せください!」
人間一人だけの能力には限度がある。万能な人間なんて数少ない。でも。
一人ではできなくても。
そばに支えてくれる人がいるなら、頑張れる。
壁を乗り越えることができるのだ。
私はそのことを二人の友人から教わった。
出来上がったとん汁は野菜の大きさがばらばらで見栄えはよくなかったけど、今まで食べた中で最高においしかった。
一週間。 毎日というわけにはいかなかったものの、特訓は続いた。おかげで私は料理に対する不安がなくなった。といっても作れるのはとん汁だけなのだが。逆に言えば、とん汁ならばレシピを見なくても作ることができるのだ。この成長に友人たちは喜んでくれた。だけど「しばらくはとん汁を食べる気が起きない」とも言っていたが。
調理実習はつつがなく終了し、評価も上々だった。
そして私は、二人を家に招いてお礼に料理を振る舞うことにしたのだった。
「夢子さん、お料理に目覚めたんじゃないんですか? 仲間が増えるのはうれしいです!」
「あはは。そうかもね。こうやって作っていると、プラモ作っているみたいで楽しいよ。もっといろいろ覚えてみようかな」
「いいねいいねえ。こうしてタダ飯にありつけるんだ。どんどんやってくれたまえ!」
キッチンに向かっている私の背後からはリビングで待っている友らの声が聞こえる。一人で完成させることで私の修業の成果を見せてやるのだ。そして料理の道へ歩み出す第一歩となるだろう。
「お皿に盛って……よし、完成! 出来上がったよ!」
完成品を持ってリビングへと向かう。
「お、待ってました! どれどれ、弟子はどれだけうまくなったかな?」
「これは、チャーハンですか?」
お皿の上にはこんもりと盛られたチャーハン。冷凍ではなく、フライパンを使ってご飯を炒めたものだ。ふんわりぱらぱらとはいかなかったものの、焦げることもなく無事に出来上がった。
「教科書を読んでこれなら私でも作れると思ったんだ。さ、どうぞ」
「ではではさっそく、いただきまーす! …………ん!?」
「いただきます。…………うえ!?」
二人は何ともいえない微妙な表情で固まった。
「あ、あれ、どうしたの?」
「ドリちゃん」「夢子さん」
「「砂糖と塩、間違えた?」ました?」
「そ、そんなはずは……! もぐもぐ……げえっ!?」
料理の道は長く険しいようだ。
END