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「よく朝っぱらからクソマジメに授業なんて受けられるよねぇ」
お昼休み、教室を出ようとした所で、道を塞がれた。
盛大に欠伸をしながら、教室のドアのところにもたれて、あたしを見下ろす。廊下や教室の喧騒が、この人の存在だけで掻き消される。
ご丁寧に有限実行するようなタイプには見えなかったんだけどな。まさかわざわざこの人の方から、来るなんて。
「……八坂さん…」
「かたっくるしーなぁ、ウザったいからさん付けやめろって」
明らかに不機嫌を顕にして、頭上から睨みつけられる。すぐ後ろの教室内にまで、イヤな緊張感を撒き散らして。
面倒くさい人だな、この人も。でもこういう人の言うことは、とりあえず聞いておいた方がいい。逆上されると一番こわいタイプだから。
「八坂先輩」
「もうちょっと空気読もうよ、山田さんさぁ」
…鬱陶しいな。だからこの人は、苦手。初めて会った時から、ずっと。
「……昴流先輩」
「オッケー、まぁ“先輩”もジャマだけど。じゃあ、昨日の続き、話そっか月子チャン」
流石に場所を移したあたし達は、今裏庭に居る。昼休みのこの時間は、大抵どこも人で溢れて居るものだけれど、この学校内には独特の立ち入り禁止区域がある。
“立ち入ってはいけない場所”じゃなくて、“立ち入ると危ない場所”。つまりは彼らの縄張りだ。そういう場所は一般の生徒達も周知していて、寄り付かない。この裏庭もそのひとつだった。
「ジョー達は今日来ないって言ってたから、貸切だよ」
「……」
「ほら、お弁当食べんでしょ? 座れば?」
言って長い手足を投げ出して、裏庭に適当に配置された木製のベンチにどかりと腰掛ける。それからぽんぽんと自分のすぐ隣りを叩いた。
「隣りおいでよ」
そこで食べるくらいなら、このまま立って食べた方がましだ。
「…来いよ」
短気な彼はすぐに表情を変える。あの鋭い眼光が、あたしを射る。
ぎゅ、と噛み締める唇に、血が滲んだ。一歩、彼の元へと足を踏み出す。
お弁当なんか食べれなくていい。このひとが目の前から、今すぐ消えてくれるなら。
若干の距離を開けて、隣りにゆっくりと腰掛ける。見計らったように、彼が体を起こしてあたしの顔を覗き込んだ。視界の片隅に彼の姿が映る。
かろうじて制服という形をとっているものの、もはや指定の学ランが飾りに見える。相変わらず彼の体には、あちこち光る装飾品だらけ。きらきらと日の光に反射して、目に痛いくらい。
「…わざわざあたしに構うなんて、お暇なんですね」
「キミと違って授業受けに来てるわけじゃないからねぇ」
「…じゃあ」
何しに来てるんですか。そう言おうとしたけどやめた。そんなこと、興味ない。聞きたくない。だって聞かなくてもわかっているから。
「何しに来てるかって? …決まってんじゃん」
突然ぐい、と頭の後ろに乱暴に手が伸びてきた。痛いと思うよりはやく、鼻先にはもう彼の顔があって。
「……ッ」
唇に生温かい感触。その瞬後、がり、と唇を噛まれた。さっき自分で噛んだ場所と同じ場所。そこにまた血が滲む。
それを彼は、ペロリと舐めた。いつものキャンディーを舐めるみたいに。わざと見せびらかす舌先に、赤い血。彼は笑っていた。それをどこか他人事みたいに見つめて。
「愉しいこと、しに」
彼はそういう役だ。あたしを徹底的に、痛めつける役。
あの日みたいに。
それまで彼の──八坂昴流の存在は、噂で聞く程度だった。あの日に初めて会うまでは。
校内でも校外でも良い噂は耳にしない。派手な外見に暴力的な性格。学校内でも一目置かれていて、教師も彼らには一切口出ししない。桜塚健太達や堀越恭子達でさえ、自分達とは毛色の違うその存在にあえて関わろうとはしていなかった。確か、親も有権者だった気がする。つまりは住む世界の違うヒトだ。
そんな彼が、どうしてだか桜塚達とつるむようになっていた。先日呼び出された際には、その場所にまで居るようになった。
彼も遊びに加わったのだ。遊ぶ側として。
理由なんて知ったことではないけれど。
「昨日も訊いたけどさぁ、月子チャン、先週の土曜日学校来てたでしょ?」
「…昨日も言いましたけど、補講を受けてました」
「だよねぇ、やっぱり人違いじゃないよねぇ…」
「…? 会いましたっけ…?」
やけに含んだ言い方をする。用事があるならはやく済ませてほしい。そしてさっさと解放してほしい。
相変わらず顔の距離は近いまま。抵抗も拒絶もこのひとには全部ムダ。解っているからされるがまま、彼の気分に任せるしかない。
ふと無意識に唇の血を拭った指先が、彼に奪われた。彼はあたしの指を自分の口元に持っていき、またひと舐め。
目が、合う。ぞわりとした。
このひとが実は吸血鬼とかいうアホなオチでもない限り、きっと変態だ。アブナイ輩以外の何者でもない。
彼はあたしの指に吐息を吐きながら、続けた。
「会ったと思うんだよねぇ…でもさ、月子チャンには見えなかったわけ。校内でぶつかってさぁ、顔上げたんだけど、俺だって気付かなかった?」
「…どういう意味…」
何言ってるんだこのひと、そう思った次の瞬間、は、と口を噤む。心当たりが浮かんだから。
土曜日の補講の後、あたし達は入れ替わっていた。つまりあたしじゃなくて、彼が、会ったのかもしれない。このひとに。もしそうだとしたら、いろんな意味で厄介だな。
「月子チャンはさ」
また、近づいてくる顔。金色の髪が、目元に降ってくる。目を逸らすことも伏せることもできず、ただそれを、黙って受け容れることしかできなくて。
ただぼんやりと、彼の髪色の方が綺麗だなと、思った。
「絶対、泣かないもんねぇ…?」
くしゃりと、耳元で結んだ髪が彼の手の平に握りつぶされて、結っていたゴムがいつの間にか彼の手の中にあった。
しゅるりと、赤いスカーフが解かれる。あんなにきつく、結んだのに。あんなに強く、願ったのに。あんなに──
そうだ、泣いているのは彼だった。いつも大抵泣いているんだけれど。驚くほどカンタンに傷付いて。
彼は泣く。まっすぐ、心のままに。
…どうしてだろう。彼と居ると、少し調子が狂う。いつの間にか笑っていたり、いつもは口にしないことが口をついて出てきたり。
入れ替わりのせいだろうか。この体を時々、彼が使うからだろうか。彼が“ここ”に居るときは、あたしがあたしではなく、かといって彼でもなく。別の何かになってしまったように思えた。
彼の涙がたとえ逃げでも弱さでも、何もしないあたしなんかより、ぜんぜんマシだと思った。
怯えでも弱さでも逃げでも。何かを感じ、抱えて、涙する彼は。あたしんなかよりよっぽど、“生きている”。
生きて、いくべきだ。
「────…ッ」
肌の下に、柔らかな毛布の感触を感じた。あたしはうつ伏せに寝ていて、右手には何か持っている。
…あたし…? ちがう、これは──
ガチャリと足元から、ドアの開く音。少しだけ聞き慣れた声が耳に届いた。
「…陽太…?」
──また、入れ替わっていた。




