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サハギンを撃退した後、リロイとサムソンはアルバの家で一泊した。
翌朝、ふたりは髪に寝ぐせをつけたまま食卓についた。テーブルの上に置かれているのは、またもや乾燥したパンと豆のスープ。
「おっさん。もしかして、朝昼夕毎日これを食べてるの?」
「村の食料はこれしかありませんので」
アルバのすました顔を見て、サムソンは「うへえ」とだらしない声をあげた。リロイは、乾燥したパンをお湯にひたした。
「ただでお食事をいただいてるんだから、少しはありがたいと思いなさいよ」
「お前は田舎の母ちゃんか」
サムソンはしばらく嫌そうな顔をしていたが、あきらめてパンをお湯にひたし始めた。
「村長さん。昨日の焼き魚のせいで、畑が被害に遭ってるの?」
「あの、焼き魚というのは、昨日のサハギンのことですかな」
「……だって、口をぱくぱくさせてるとことか、どこから見ても焼き魚にしか見えないんだもん」
そう返すとアルバは腕を組んで、「そういうもんですかねえ」と気難しそうな顔をしていた。
となりでパンをむしゃむしゃと食べていたサムソンが、テーブルに肘をついた。
「村に来る途中に見かけた畑もかなり荒らされてたけど、十中八九、あいつらの仕業だろ。魔物が出てきちゃ、おっさんたちの手に負えないよなー」
「ちょっとお! 無責任なこと言わないの」
リロイが声をあげる向こうで、アルバは神妙な面持ちでうつむく。
「いえ、サムソン様がおっしゃられる通りです。やつらはそれほど凶暴な魔物ではありませんが、いくら追っ払っても出没するので、われわれも困っているんです」
「つーか、そもそもおっさんたちが鍬を持ったって、やつらには勝てないって。ここの領主に相談して、兵士でも借りなよ」
「領主には何度も人を送ってますよ。ですが、金がかかると言って取りあってくれないんです」
「えっ、まじかよ」
サムソンもげんなりして、食事の手を止めてしまった。しんみりするふたりをながめて、リロイはきょとんとした。
「どういうこと?」
「ここの領主はぽんこつだから、おっさんたちを助けてくれないんだってよ」
「ええっ! 何それ、ひどいじゃない」
リロイはテーブルに手をついて、勢いよく立ち上がった。
「お父様は、『騎士は自国の民のために剣をふるうべきだ』って、この前にワインを片手に力説してたわ。だったら、あたしたちがそのぽんこつに抗議しに行こうよ」
「無理無理。おれらみたいな見習いが行ったって、門前払いに遭うのが落ちだって」
サムソンが右手をせわしくふる。アルバも、「お気持ちはうれしいのですが」と苦々しい表情を浮かべていた。
――こんの、男のくせにだらしないわねえ。
リロイはふり上げた拳をどこに下げようか迷った。すると、いらいらする頭に突然閃きが走った。
「じゃあさ、あたしたちで焼き魚を退治しようよ」
「は?」
となりのサムソンがずるりと椅子からずり落ちて、「お前、正気か」と言葉を続けた。リロイは目と眉に力をこめて、大きくうなずいた。
「騎士は礼節を重んじる生き物よ。村長さんには一宿一飯の恩があるし、村のために何かお役にたちたいの」
「いえ、リロイ様。それだけはいけません。昨夜にやつらを追っ払っていただいただけで、われわれはもう……」
と、アルバが長々と言葉を続けようとするところを、リロイは勇ましく右手を出して制する。
「村長さん。遠慮しなくていいのよ。あたしだって騎士のはしくれ。村長さんよりは戦うすべを心得てるわ。それに外敵と戦うのは騎士の義務よ。いえ、宿命よ」
「いえ、別に遠慮しているのではなくて、リロイ様だと危なっかしいので、その……」
その瞬間、リロイの身体が突如石のようにかたまってしまった。となりのサムソンも唖然としていたが、ひと呼吸置いてから腹を抱えて、テーブルをがんがん叩いた。
「おまかせするのがサムソン様でしたら、まだ何とか……リ、リロイ様、ど、どうかされましたか!?」
「へ、平気ですよ! こういうのは、もう慣れっこですから!」
リロイの裏返った声が部屋にこだました。
朝食を終えると、リロイは面倒くさがるサムソンの首根っこをつかんでヘベス村を後にした。
「焼き魚を退治して、村長さんの鼻を明かしてやるんだから」
「さっきと目標変わってねえか」
林の小道を力強く闊歩するリロイのとなりで、サムソンは「ねむっ」と言いながら、両手をだらんと垂らしていた。
村長のアルバの話によると、サハギンの棲みかは村のはずれにあるらしい。そこには広大なエイセル湖があって、サハギンは湖畔の洞窟に棲んでいるのだという。洞窟には主がいて、彼がサハギンたちを率いているというので、リロイはその洞窟に向かった。
エイセル湖に続く林道を歩いていると、向かいからしめった風が流れてくる。木と木の間から、青い線が横にまっすぐのびているのが見える。
「わあ、きれい」
林を抜けると、リロイの目の前に大きな湖が広がる。鏡面のようなエイセル湖が、視界の左から右まで広がっている。その上をゆるやかな風が吹いて、青く透き通った水面に小さな波が立っていた。
「レイリアを水の王国と言わしめるエイセル湖ですな」
サムソンは頭の後ろに手をあてて、口笛をふいている。
「お母様から聞いてたけど、エイセル湖ってこんなに大きな湖だったのね」
「そりゃ、レイリアの中央にどかっと乗っかってる湖ですからなー」
「……サム。どうでもいいけど、それ、だれの真似よ」
「アルバのおっさんの真似でございます。リロイ様」
「……悲しくなるぐらいに似てないわね」
リロイはアルバの言葉にしたがって、湖の水辺を歩いていく。水気を含んだやわらかい土の上を歩くと、眼前にまた林があらわれた。リロイとサムソンは地面の雑草を踏みながら、しめっぽい林の中に入っていった。
「ロイ。あれ見てみろよ」
水辺の林をしばらく歩くと、サムソンが急に声をあげた。彼が指す向こうの木陰に、ごつごつとした岩がのぞいている。サムソンは喜色満面で駆け出した。
「あれがうわさの洞窟ってやつかあ?」
「あ! ちょっと待ってよ」
リロイはサムソンの後を追いながら、木陰の岩に向かう。足もとの草をざくざくと踏みながら近づいてみると、眼前に大きな岩がせまってくる。岩は空高くそびえていて、てっぺんが林を突き抜けていた。
足もとはゆるやかな小坂になっていて、岩に沿って走っていくと、エイセル湖の水面が岩と接地していた。
湖の水面と地面のさかいに、岩がぽっかりと口を開けている。その口の中を、サムソンはわくわくしながら見つめている。リロイも少し遅れて、そっと中をのぞいてみる。うす暗い空洞の中には湖の水がゆるやかに流れていて、ぽたりと水滴の落ちる音が静寂に鳴りひびいていた。
「こういうところに来ると、冒険してるって気になってこねえ?」
「うんうん。ねえ、中に入ってみようよ」
「ちょっと待ってろ。すぐに明かりを用意してやるから」
リロイもだんだんと、気持ちがわくわくしてきた。
サムソンは肩に下げたバッグから松明を取り出して、ぶつぶつと呪文をとなえた。松明の先端をゆっくりとなぞっていると、先からぼっと音があがり、赤い炎が燃えあがった。
リロイは、松明を持つサムソンの袖をつかみながら、洞窟の中に足を踏み入れた。洞窟の中は思いの他ひんやりとしている。足もとは少しごつごつと尖っていて、歩きづらい。
――洞窟の中に住むってのも、わりと悪くないかもね。
道の左手にのびる水面が青く輝いている。その幻想的な色を見下ろしながら、リロイはのんきに考えてみたりした。
「ねえ、焼き魚は出てきた?」
「うんにゃ、一匹も出てきてねえよ」
サムソンの返事が洞内を不気味に反響する。松明の光もおぼろげで、前と後ろがまっ暗で何も見えない。ここでサハギンと遭遇したら、剣をふるうのもままならないかもしれない。
だんだんとリロイが不安な気持ちを強めている前で、サムソンがぴたりと足を止めた。洞内の一本道がちょうどかくんと曲がっているところだった。
「どうしたの?」
「あ、あれ」
サムソンがふるえながら指した先を、リロイも岩陰に隠れながら見つめてみる。
洞内のまっ暗闇の向こうで、何かがうごめいている。それはひょろりと縦長に伸びている。それが動くたび、ぴちゃぴちゃと水の滴る音が聞こえてくる。
暗闇のまん中に、ふたつの赤い玉が灯った。宙に浮く紅玉はぎょろりと動いて、左右をくまなく調べている。それが四つ、六つと増えていき、暗闇が赤く染まっていく。
リロイは硬直した首を動かして、サムソンを見あげた。そして、同様に顔を青くする彼の前で、リロイは剣をふるジェスチャーをしてみた。
――倒す?
サムソンがすごい速さでかぶりをふった。リロイは後ろを向いて、両腕をぶんぶんとふってみる。
――逃げる?
サムソンが大きくうなずく。その後ろから、水気を含んだ足音が少しずつ大きくなってくる。
リロイとサムソンの肩の上に、冷たい何かがぴたりと乗っかった。とたんにリロイとサムソンの肩がぬめぬめした液体に濡れる。リロイがふるえながらサムソンの青い顔を見ると、サムソンもがたがたとふるえながら、こくりと小さくうなずいた。
ふたりは固唾を呑みながら、恐る恐る後ろをふり向いた。すると、暗闇だった空間が、いつの間にか紺色に変わっている。紺色の壁は口をぱくぱくと開けて、焼き魚のような模様――で、
「ぎゃあああぁぁ!」
リロイとサムソンの絶叫が洞内をくまなく反響した。




