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裏道まで引きずっていった兵士たちから衣服を剥いでみる。厚手の上着はじっとりと濡れて、とても汗臭い。生物が腐ったような臭いと少し似ている。
リロイは堪えきれなくなって鼻をつまんだ。
「そんなところで遊んでねえで、さっさと着替えろや」
「わ、わかってるわよ!」
サムソンはローブを脱いですぐに着替える。シャツはびしょびしょに濡れているのに、気にならないのだろうか。臭いだけでも相当な抵抗があるリロイにとって、これはこれで大きな試練だった。
リロイは息を止めて上着に袖を通す。ぬめっとした肌触りが気持ち悪く、泥を被っているような気分になる。――男はどうして、こうも臭うのだろうか。
あれやこれやと苦戦している間に、サムソンはもう着替え終わっているようだった。水晶の杖を腰の後ろに差して、重たいロングスピアを「よいしょ」と言いながら持ち上げる。ひょろひょろとした身体はもやしのようで、いつ見ても強そうには思えない。
何とか着替えを終えて、リロイは地面に置いたシャムシールを腰に差す。肩にかかる髪を後ろで結い、ロングスピアを右手でひょいと持ち上げた。
「あ。これ(シャムシール)差してたら、他の兵士さんにばれるかな」
「問題ねーって。変装してるのなんて、ほんの数分なんだし」
「それもそっか。……じゃ、いくわよ!」
「おう!」
リロイとサムソンは裏道を出て石畳を駆ける。Tの字の分かれ道を左に曲がり、ゆるやかな坂を駆け上がる。白い壁にはさまれた都サンテの通りは、たくさんの人が転がっている。
「サム! これ……」
「ばか! 下は見るな」
サムソンが目をつむる。坂道に倒れているのは、胸あてをつけたレイリアの兵士。ひげを生やした中年の男。袖のないシュルコーを着ている若い女性に、生まれたばかりの赤子。だれもが血を流して地面にうつ伏している。
魚の腐ったような臭いがして、腹の底から何かがこみ上がてくる。リロイはあわてて口をおさえた。
――こんなに人が倒れてるなんて。……ひどい。これが戦場なの。
リロイの左足がぐにゅっと何かを踏みつける。見下ろすと兵士の顔があり、リロイは驚いて左足をどけた。
「ロイ! あれ――」
サムソンが坂の上を指差す。指の向こうには、鉄の胸あてをつけた兵士たちがたむろしている。兵士たちはロングスピアを片手にげらげらと談笑している。
――こんなに人が倒れてるところで世間話ができるなんて。あの人たち、本当に人間なの……?
リロイは生唾をごくりと呑んだ。
「あ! 待て。お前たちはどこの隊の――」
「す、すみません! ちょっと緊急だから通してください!」
リロイは怒鳴りながら兵士たちの間を走り抜ける。兵士たちは「何だ」と首をかしげて、その場に立ち尽くした。
サムソンは後ろをちらりとふり返った。
「ひええ。危ねえ危ねえ。危うくばれるとこだったぜ」
「そうね」
「にしても、こんな血なまぐさいとこでよく平気でいられるよな。ずっと戦場にいるから、頭がおかしくなっちまってるのかな」
「うん」
リロイは返す言葉が思いつかなかった。
リロイは噴水のある公園を抜けて、サンテの街道を走った。街道のあちこちに人が倒れていて、いたるところに凄惨な跡を残している。初めて目にする光景に、リロイは言葉を呑むしかなかった。
塔のようにそびえる教会を抜けると、王宮に続くユディア橋が見えてきた。橋の向こうに建つ煌びやかなレイリアの王宮から、どす黒い煙が立ち上っている。
「ロイ! 突っ切るぞ」
「うん」
レンガが敷きつめられた幅の広い橋には、たくさんの兵士がたむろしている。リロイとサムソンは上体を低くし、兵士たちの間を縫うようにして走り抜けた。
荘厳にそびえ立つレイリアの王宮が近づいてくる。等間隔に敷きつめられたレンガの回廊の向こうに、クーデターを起こした張本人が待ちかまえている。
――あたしなんかがバルバロッサのおじ様を説得できるの。……ううん、違う。何が何でも説得するの。こんなのは絶対間違ってるって。
リロイは腕に力をこめる。わずかについている筋肉が少しふくれ上がり、内側がぼっと熱くなった。
ユディア橋の終点に差しかかり、左右の壁が大きく開ける。学校の校庭のような広間の奥にレイリアの王宮がたたずんでいる。王宮の中央には、人の背丈の五倍もの高さの入り口がぽっかりと口を開けている。
リロイは唾をごくりと呑みこむ。サムソンに目配せすると、サムソンは静かにうなずいた。リロイはレンガの地面を蹴り、たくさんの兵士が入り乱れる王宮へ駆け出した。
「あー、そこのお前たち。ちょっと待て」
兵士たちの間を縫い、入り口の階段に足を踏み入れたときにだれかがリロイを呼び止めた。ロングスピアをかまえた兵士たちが左右からあらわれ、入り口に立ちふさがった。
後ろからだれかがかつかつと歩み寄ってきた。
「お前たちはどこの隊の者だ。無断で王宮に入ってはならんぞ」
リロイは心の中で「ち」と舌打ちし、ゆっくりと後ろをふり返った。声をかけた男は、上唇にチョビひげを生やしている。赤いマントで首もとをおおい、金色のバッチでマントを留めている。
リロイは目を見開く。相手の男もリロイの顔を見て後ずさりした。
「あ、あなたは――」
「き、君は、リロイ君。リロイ君なのか」
中年の騎士が腰に手をあてる。身体をかたまらせているその男は、バルバロッサの腹心であるウェザレフに間違いなかった。
――やばい!
「ショットブラスト!」
サムソンが右手を突き出す。強烈な突風が起こり、入り口をふさぐ兵士たちを一気に吹き飛ばした。
「な――」
ウェザレフが唖然と唇をふるわせる。リロイはロングスピアを捨てて、腰に差したシャムシールを抜き放った。
リロイは上体を下げてウェザレフに突進する。右腕を大きくふりかぶり、柄の頭でウェザレフの腹を突き上げた。
「う――」
ウェザレフが泡を吹き出して倒れる。鳩尾を狙った一撃が見事に決まり、ウェザレフは手足をぴくぴくとふるわせている。こうもあっさりと倒せてしまうとは、思っていなかった。
あたりを囲む兵士たちは、突然の出来事に成すすべなく立ち尽くす。王宮を占拠して浮かれていたのだろう。突如あらわれた敵の存在に対し、彼らは明らかに無防備だった。
「ロイ! 何してんだ。早く行くぞ!」
ウェザレフを茫然と見つめるリロイの手を、サムソンが強引に引く。リロイはすぐにわれに返り、王宮の煌びやかな階段を駆け上がる。少し間を置いて、どよめき立つ兵士たちの声が後ろから聞こえてきた。