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リロイとサムソンは馬を奔らせた。寒空の下、リロイは手づなを打って森を駆け抜ける。
「ねえ、サム。王宮には何時ぐらいに着くの?」
手づなを打ちながら、サムソンが「うーん」とうなった。
「アスタロスの牢獄とサンテの王宮は近いからなあ。一、二時間で着くんじゃないか」
「そう。それはよかったわ」
「って、お前。まさか真夜中に忍びこむ気か。それはまずいって」
「何でよ。一刻も早くおじ様を止めなきゃいけないんだから、真夜中に着いたってかまわないでしょ」
「でもなあ。真夜中に王宮に入っても平気なのか? まるで盗っ人みてえじゃねえかよ」
げんなりするサムソンにリロイは首をかしげる。もわもわと頭の上に雲が浮かびあがり、王宮をとり囲んでいる軍隊が映し出される。昼と夜、どちらから向かっても王宮は閉まっているのではなかろうか。
「っていうか、軍に攻められてるんだからさ。盗っ人どころじゃないんじゃないの。王宮は」
「へっ?」
「サンテの王宮は、バルバロッサのおじ様が軍をつれて包囲してるんでしょ。昼でも夜でも王宮は閉まってるんじゃないの?」
「……ん? う、うーん、まあ、そうなのかなあ」
サムソンが頭をぽりぽりと掻く。リロイはため息をついた。
「んもう。しっかりしてよ」
「う、うるせえな。おれだって戦争なんて見たことねーんだから、しょうがねえだろ。王宮が今どうなってるかなんて、全然想像つかねーよ」
「そうだよね。……でも、実際にはどうなってるのかな。王宮が攻められてるっていう話は何度も聞いたけど、おじ様はもう王宮の中にいるのかな」
「うーん、どうなんだろ。王宮にも近衛兵とかがいるから、すぐには陥落しないと思うんだけど、違うのかなあ」
サムソンが夜空を見あげる。紺色の空にはたくさんの星が鏤められている。そのまん中にいくつか知っている星座が浮かびあがっていた。
「お互いの兵力がわからないから何とも言えないけど、王宮で常備してる兵なんて大していないから、数的にはゲント伯の方が圧倒的に有利なんじゃないかな。ロイの親父さんの口ぶりだと、ゲント伯は相当前から今回の準備をしてたみたいだし。……英雄と呼ばれてる人に、王宮の大臣たちが武力で勝てるとは思えないよな」
次第に小さくなっていくサムソンの声を聞いて、リロイもがっくりと肩を落とした。
リロイは、道の途中で見つけたあばら家で一泊することにした。王宮に入る作戦を立てた方がいいというサムソンの言葉と、走りずくめで疲れがたまっているから休んだ方がいいという考えからだった。
ざらざらと砂で汚れた床に座りながら、リロイは王宮のことを考えていた。王宮はどうなっているのか。交戦中なのか、それとも攻め落とされているのか。タイクーンは無事なのか。エメラウスは、バルバロッサは――さまざまな想いが心の奥底から沸き上り、とても寝つけそうになかった。
それはサムソンも同じだったようで、リロイはサムソンとあれこれと会話を交わした。
「今思えば、キザ男のあの勅命はクーデターを知らせるものだったんだな」
「そうなのかな」
「そうだろ。この状況で急いで王宮に戻ってこいって、他に何か思いつくかよ」
「そうね。……エメラウス様は平気なのかな。剣で斬られちゃうことになったら、あたし――」
「そんなことにゃならねえって! あいつもああ見えて腕は……まあ、悪くねえんだからよ」
日の出とともにあばら家を後にした。結局ほとんど一睡もできず、リロイは目の下に隈をつけたまま馬にまたがった。
――少しでも休んでいきたかったけど……だめ。気持ちを落ち着かせようとすればするほど、ごちゃごちゃした考えが浮かんでくる。
エイセル湖の畔を走りながら、リロイは胸に手をあてる。どくどくと鼓動が脈打っているのが伝わってくる。リロイは右手で手づなをにぎりなおし、背筋を真っ直ぐに伸ばした。
程なくして都サンテが見えてきた。まぶしい朝日に照らされた、大小さまざまな赤い屋根瓦。塔のように尖った教会の屋根がところどころに突き抜けて、角々しくも美しい街並みが広がっている。
街のあちこちから黒い煙が立ち上っている。建物の間を兵士たちが行き来し、深緑の旗があたりにたなびいている。美しい街は灰色の人間たちに侵食されていた。
「街に火の手があがってる。そんな、街の人は関係ないのに」
「ロイ! あそこ――」
サムソンがサンテを指差す。赤い街の向こう、一列に生える木の後ろから四本の塔が建っている。うすい黄色の美しい城――サンテの王宮から煙が一直線に伸びていた。
「うそっ! 王宮にも火がついてるの!?」
「とにかく急ごう!」
リロイは乱暴に手づなを打った。
リロイはサンテに入り馬を飛び降りた。近くの街路樹に手づなを結び、鳥が描かれた石畳を駆ける。
「ロイ! 作戦通りに兵士に変装してから潜入するのか」
「そうよ! どこかで兵士さんを捕まえて衣服を剥ぐわよ」
「……女とは思えねえ発言だな」
前からどたどたとうるさい足音が聞こえてきた。街道の向こうからロングスピアをかかげた男たちがものすごい形相でこちらに駆けてきた。
「やべっ! 隠れろ」
サムソンがリロイの手を引く。リロイは裏道に身を潜めて、兵士たちが通り過ぎるのを待った。兵士たちの数は……八、九人。
「びっくりした~。すごい顔で向かってくるから、ばれたのかと思った」
「いや~っ、まじで危なかったな」
リロイとサムソンは袖で額の汗をふく。まったく同じ動作をしていることに気づいて、ふたりは慌てて右手を降ろした。
サムソンは壁に背をつけて、びくびくしながら街道を見つめた。
「それにしても、あんなにかたまって動かれたら捕まえにくいな。どうすっか」
「そうね。どうしよっか」
リロイとサムソンの前を兵士たちが駆け抜けていく。彼らは小隊を組んでいるのか、八人程度の人数でかたまって動いている。リロイとサムソンで奇襲するのは難しい。
――兵士さんに変装すれば簡単に忍びこめるって思ってたけど、困ったな。そもそも兵士さんを捕まえるのが難しいんじゃ、話にならないわよ。
リロイの心が焦燥で染まる。意を決して裏道から出ようとしたが、サムソンに手首をつかまれた。リロイは貧乏ゆすりをしながら、裏道で身体をかがめた。
だいぶ時間が経ったと思ったころ、街道の向こうからふたりの兵士がゆっくりと歩いてきた。背はふたりとも小さめ。身体も細く、あまり強そうな印象ではない。
リロイはサムソンの顔を見あげる。サムソンはこくりとうなずき、裏道の奥に小走りで駆けていった。
兵士たちとの距離が走って近づけるくらいになったところで、リロイは裏道から飛び出した。
「だ、だれた! お前は」
ふたりの兵士がロングスピアをかまえる。リロイは親指を突き出して、自分の顔に向けた。
「あたしは迅雷の娘、リロイ・ウィシャードよ」
「な――」
リロイは地面を蹴って突進する。尻ごみする兵士の懐に入り、拳を突き出した。拳は鳩尾に食いこみ、ロングスピアが地面に転がる。
「な、何をする――」
もうひとりの兵士が飛びかかろうとするところで、ぱたりと倒れる。後ろで水晶の杖をかまえたサムソンが「やれやれ」と言葉を漏らした。
「何とかうまくいったな。……この人たちには悪いことしちゃったけど、しょうがねえよな。さっさと服を脱がせちまおうぜ」
「うん」
リロイとサムソンは兵士たちの脇をおさえる。ずるずると地面を引きずりながら、昏睡している兵士たちを裏道に移動させた。