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「お父様。あの、お父様をここに閉じこめたのって、やっぱり、バルバロッサのおじ様なの?」
リロイは母マリーからもらったハンカチで涙をふいて、気分が落ち着いてきたころにそう尋ねた。
ブレオベリスは部屋の隅にあるテーブルから椅子を引き、ゆっくりと座った。
「ああ、そうだ。お父さんも信じたくないけど、お父さんを捕まえたのは……バルバロッサのおじさんだ」
「やっぱり、そうだったんだ」
リロイも椅子に腰かけてがく然とする。もしかしたら違うかもという一縷の希望は、ブレオベリスの言葉で絶たれてしまった。
落ちこむリロイにブレオベリスは言葉をつまらせる。となりに座ったマリーが「お父さん!」と怖い顔をして、ブレオベリスは頭をぽりぽりと掻いた。
「お前がここに来たということは、大体のことはわかっているんだな?」
「……うん」
肩をふるわせるリロイのとなりから、サムソンが身を乗り出した。
「あの、おじさん。ゲント伯のことはレンメルの関所で聞いたんだ。ゲント伯が王宮の大臣たちに不満を持ってるから、地方の諸侯と結託してクーデターを決行したって」
「その通りだ。やつは、天災や疫病で死んでいく自国の民たちを哀れんでいた。私が治めるオーブはそれほど被害が出ていないが、やつが治めるゲントは、悲惨だった。やつも色々と政策を施していたんだが、どれも被害を決定的に食い止めるにはいたらなかった」
ブレオベリスは立ち上がり、リロイとサムソンに背を向けた。
「レンメルやエルダも同じだ。エイセル湖に面していない国は、どこも旱魃の被害に遭っている。レンメルは稲子も発生したようだから、とてつもない被害だったとレンメル伯爵のクロセルム殿も頭を抱えていた」
「稲子って、大軍で押し寄せて麦とか色んな作物を食っちゃうっていう、あの稲子のことですか」
「そうだ。旱魃で実りが少なかった上に稲子まで出てしまったから、レンメルの昨年の農作物は、全滅だったらしい。城で蓄えている分で何とか食いつないだみたいだが、餓死した農奴は後を絶たなかったそうだ」
「そんな……ひでえ話だぜ」
サムソンはテーブルに顎をつけてぐったりした。ブレオベリスはくるりとふり返り、リロイとサムソンを見下ろした。
「王領は被害が少なかった上に地方からの上納もあるから、餓死者はひとりも出なかった。だから、バルバロッサたちが苦い想いをしていても、王宮の大臣たちは派手な生活と派閥争いを続けた。……被害に遭った国の上納を免除すればよかったのに、大臣たちはそれすらしなかった。バルバロッサたちが爆発するのは目に見えていた」
「目に見えていたってことは、お父様はおじ様がクーデターを起こすのを知ってたの?」
リロイが顔をあげると、ブレオベリスは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
「お前が家出した日の夜、やつは私に話を持ちかけてきたんだ。おれたちで力を合わせて大臣たちを倒そうとな」
「あたしが家出した日の夜って……あ! あの、あたしがお父様に張り手でたたかれたとき?」
「ま、まあ、そうだ、あのときだな。……それ以前にやつは不満を何度も洩らしていたから、早かれ遅かれ行動を起こすのだろうと思っていた。それだけは避けたかったから、私も倉を空けてやつを援助したが、それでもゲントの被害を食い止めることはできなかった」
「だから、バルバロッサのおじ様はクーデターを計画して、お父様はそれを、断った」
ブレオベリスはまた背を向けた。
「やつを密告する機会はいくらでもあった。レンメルや地方諸国が反逆をくわだてていることもわかっていた。レイリアを守る騎士として、私は先手を打って彼らを捕縛するべきだったが――私には、できなかった」
牢屋がしんと静まり返る。従者と召使いたちは立ちつくし、肩を落とすブレオベリスをじっと見守っていた。
リロイは左手を右手にかぶせた。
「お父様。お父様は、もしかして……バルバロッサのおじ様に捕えられるって、最初からわかってたの?」
母マリーがはっと顔をあげる。ブレオベリスは広い背中を向けたまま、リロイにふり返らなかった。
「あたしがバルバロッサのおじ様を止めるわ」
リロイはがばっと立ち上がる。ブレオベリスはすぐにふり向いて顔を赤くした。
「待て! リロイ。これからどこに行くつもりだ」
「どこって、決まってるでしょ。おじ様のところよ」
「おじ様の……て、何を言っているんだ! お前は。そんなのだめに決まっているだろ!」
ブレオベリスが髪を逆立てて赫怒する。リロイの後ろでサムソンとプリシラが「あわわ!」と声をふるわせた。
「今のやつは軍を引き連れる反逆者だ。お前の言葉なんて聞いてくれるわけがないだろう!」
「そんなの、やってみなきゃわからないでしょ」
「ばかもん! 何も知らない子供が、生意気なことを言うんじゃない!」
「じゃあ! 逆に聞くけど、お父様だったらおじ様を止められるの……!?」
「な、何っ!」
ブレオベリスが目を丸くする。半歩後ろに下がり、唖然と言葉をつまらせた。リロイはぐいっと一歩を踏み出し、ブレオベリスを下からにらみつけた。
「お父様、さっき自分で言ってたわよね。おじ様を止めるチャンスはいくらでもあったって。……それなのにどうして何の抵抗もしないで捕まったの。おじ様がかわいそうだったからじゃないの!?」
「それは……お前には関係ないことだ」
「誤魔化さないで! おじ様の話も断ったって、さっき言ってたよね。……本当は止めたいんでしょ。おじ様と、いっしょにクーデターを実行しているレンメルや他の国の人たちを」
ブレオベリスが目をそらす。リロイは首をふり、つかんでいたブレオベリスの両腕を離した。
「あたしはここに来るまで、たくさんの人に狙われたわ」
「な! 何っ」
「バルバロッサのおじ様が色んな国の人に命じたんだって。あたしを、頑固なお父様を説得する道具にしたいからって」
「そ、そんなばかな……」
ブレオベリスがへなへなと座りこんだ。
「あいつがお前にまで手を出すなんて。……考えてもいなかった」
「おじ様のことをわかってないのは、お父様だっていっしょじゃない。あたしにまで手を出すんだもん。おじ様は何が何でもクーデターを成功させるつもりなのよ。生意気とか、そんなことを言ってる場合じゃないの」
リロイは胸にずきずきと痛みを感じながら、がく然とするブレオベリスを見下ろした。
「ヤウレからここに来るだけでも、すごい大変だったんだから。牛蒡みたいな男にからまれたし、レンメルの関所でとげとげを投げる親父にも立ちはだかれたし。……血だって、何度も見てきたんだから」
リロイはしゃがみ、ブレオベリスの肩に手をあてた。
「お父様の意見は正論だと思う。レイリアでたくさんの功績をあげてるお父様やバルバロッサのおじ様から見たら、あたしなんて雛に毛が生えた程度だもん。子供扱いされたって仕方ないと思う。……でも、あたしだって何も考えずに家出してたわけじゃない。今日この日のために、一生懸命に修行してきたんだもん」
リロイはむくりと起き上がった。
「お父様やお母様にいつも迷惑をかけて、本当に申しわけないと思うわ。でも、あたしだって一介の騎士として、お父様やタイクーンの力になりたい。……あたしはもう、子供じゃない」
ブレオベリスは地面に膝をつけたまま、大きく息を吐く。マリーがブレオベリスの肩を抱きしめて、リロイの顔を見あげた。
「あなたは一度言い出したら聞かない子だから、もう何を言っても聞かないんでしょうね」
「うん。……ごめんなさい。お母様」
「ごめんなさいって言うのなら、家でおとなしくしててほしいんだけどね」
マリーはくすりと苦笑する。立ち上がって、リロイの腕をつかんだ。
「でもね、リロイ。これだけは約束して。危険なことがあったら、とにかく逃げること。あなたが失敗しても、後はお父さんが何とかしてくれるから、危ないって思ったら迷わずに逃げるのよ。いいわね」
「うん。わかった」
リロイはこくりとうなずく。マリーはため息をついて、リロイの腕から手を離した。
――お父様、お母様。ごめんなさい。でも、あたしだってじっとしていられないもん。何が何でも王宮に乗りこんでやるわ。
リロイは肩を張り、ブレオベリスとマリーに背を向ける。前をずんずんと歩くと、今度はサムソンががしっと腕をつかんだ。
「ちょっと待てよ」
「サム! 今度はあんたが止めるの!?」
「違えよ! おれもいっしょに行くんだよ」
「ええっ! あんたは来なくていいわよ。危ないし」
「あほか。お前ひとりで行かせる方がよっぽど危ねえっつーの」
サムソンは腕を組んだ。
「大体、お前に付き合わされて、おれは散々な想いをしてきたんだぜ。なのによ、最後の最後で指を加えてろって、そりゃあねえだろ」
「う。……あたしが強引に連れ回してるみたいな言い方は気に食わないけど、あんたの言い分も一理あるわね」
「だろ? おれだってヘベス村の一件には腹が立ってるんだ。何が何でもついてくかんな」
「はあ。わかったわよ」
リロイはがくっとうなだれる。サムソンはふんと鼻から息を出して、腰に手をあてた。
リロイは背筋を伸ばす。眼鏡をずらしたプリシラが心配そうに見つめていた。
「プリシラ。ごめん、後はよろしくね」
「う、うん。プリシラもいっしょに行きたいけど、ロイちゃんの足手まといになっちゃうし」
「足手まといだなんて、そんな……。お父様とお母様は牢屋にずっと捕まって疲れてるから、プリシラの力で守ってあげてね」
「うん。ロイちゃんもがんばってね」
にこにこと微笑むプリシラにリロイに頬をゆるめて微笑んだ。