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リロイは広間の階段を駆け降りた。足もとの見えない階段が螺旋状に続き、地下二階へとつながっていた。
地下一階と違い、地下二階は洞窟のような暗さだった。壁に立てかけられているロウソクは数えるほどしかなく、フロアは暗闇に近い。ロウソクのない通路は目の前に何があるのかもわからず、こんなところで兵士と鉢合わせたら大変だろうなと、リロイは漠然と思った。
――だからと言ってびくびくなんてしてられないわよ。 ……待ってて。お父様。今助けにいくから。
リロイは暗闇に一歩を踏み出した。土を掘ってつくられた地下のフロアは泥土のようにやわらかく、軽く踏んでいるだけでも足場がくぼんでいるのがわかった。あたりの空気も滞留し、じめじめと水分が残っていてとても気持ち悪い。
「アスタロスの牢獄って酷え場所だって聞いてたけど、想像以上だな。こんなところに閉じこめられたら、一日で気が狂っちまうぜ」
となりから聞こえるサムソンの声が暗闇に反射する。窓がないであろうフロアの壁に声がひびいて、異空間の中にいるような錯覚におそわれる。どこからか水の滴る音が聞こえて、後ろから幽霊が出てもおかしくない空間だった。
「こんなところにお父様を幽閉するなんて。バルバロッサのおじ様は本気でクーデターを計画してるのね」
「計画っていうか、もう実行してるんだろうけどな」
「うん。……でも、クーデターって具体的にどんなことをするの?」
リロイが反問すると、となりから「うーん」というサムソンの声が聞こえた。
「クーデターは軍事的に政権を奪取することだから、ゲント伯は軍を引き連れてサンテの王宮を攻めてるんじゃねえかな」
「そう。じゃあ、今ごろはタイクーン直属の軍とサンテで交戦してるの?」
「うーん。そうだと思うけどな。……サグレモールっていうレンメルのおっさんもそれらしいことを言ってたしな」
「そっか。おじ様を止めることはできないのかしら」
「それは……難しいな。相手は軍だし、リーダーはあのゲント伯だ。おれたちが王宮に乗りこんで説得しても、だれも聞いてくれないんじゃないかな」
「うん。……でも、何とかならないのかしら」
リロイたちは小走りでロウソクが立てかけられた壁のわきを過ぎる。ふわりと空気が動いて、ロウソクの明かりが左右にゆれ動いた。
かくんと直角に曲がった突きあたりを左に進むと、一直線の廊下が前に伸びていた。一定の間隔で壁にロウソクがつけられて、松明のような丸い明かりをつくっている。その明かりのひとつから、ふたつの人影がのびてこちらへと近づいてきていた。
――やばっ。
向こうから歩いてくる兵士たちは談笑しているようだった。人気のない暗闇に笑い声がひびきわたってくる。こちらにはまだ気づいていない。
リロイは腰を落として兵士たちに向かって駆け出した。
「ん? だれだ、君たちは――」
「邪魔!」
リロイは跳びながら足を突き出す。異変に気づいた兵士の顔面に足の裏がめりこみ、ばたんと兵士のひとりが地面に倒れた。「な、何者!」と声を上げるもうひとりもサムソンとプリシラが杖でたたいて、すぐに昏睡させた。
「お父様! どこなの。いたら返事して!」
リロイは声を張り上げる。かん高い声が暗闇にひびき、フロアの空気がざわざわと動き出す。通路の奥の壁からにゅっと手が飛び出して、「ここから出せえ!」とか「助けてくれ」と汚い声が聞こえてきた。
リロイの左手をプリシラがつかんだ。
「ロ、ロイちゃん」
「この奥から牢屋になってるのね。でも、だいじょうぶよ。あいつらは手は出せても身体は出せないから。プリシラはあたしの手をしっかりにぎっててね」
「うん」
まっすぐに伸びた直線をリロイたちが一斉に駆け抜ける。両端の牢から土まみれの手が伸びて、肩や腕をつかんでくる。後ろでサムソンがローブの裾をつかまれて、「くそがっ!」と地団駄を踏んだ。
「お父様! どこ!? どこなの!」
囚人の手を叩きながらリロイは暗闇に向かって叫ぶ。狭いだろうと思っていた地下二階は意外にも広く、暗く狭い廊下がTの字に枝分かれして迷路のようになっている。
明かりに乏しいこともあって、リロイは同じ道を行ったり来たりした。
――ここの構造はどうなってんの!? おんなじような道ばっかで、もうわけわかんない!
走り疲れてぐったりしていると、ぐにゃっと足で何かを踏みつぶした。見下ろすと、先ほど蹴倒した兵士の頭が足の下にあるようだった。リロイはあわてて足をどかした。
その時――
「リロイ!」
と、だれかが呼ぶ声がした。リロイははっと身体を起こしてあたりを見わたす。両端の牢屋から囚人たちが汚い声を出しているが、その声とは明らかに異なる聡明な声だった。
――さっきの声は、間違いない。
リロイは無限につながる暗闇をにらみつけた。ぐっと右手をにぎりしめて、前へと一目散に駆け抜ける。後ろで「ちょっと待て!」とサムソンが叫んだが、リロイの耳にはとどかなかった。
牢屋から伸びる手を叩き落してリロイは叫んだ。
「お父様! お父様!? どこなの!?」
遠くからかすかに聞こえてくるブレオベリスの声をたよりに、リロイはフロアを駆け抜ける。差しかかった十字路を右に曲がり、突きあたりを左に進む。道は網目のように入り組んでいるが、リロイはブレオベリスの声を信じて突き進んだ。
しばらく走ると行き止まりに差しかかった。小部屋のような袋小路になっていて、隅に木の長いテーブルが置かれている。小さい椅子がならび、テーブルの上には羊皮紙とペンが置いてあった。
左の壁には三つの檻がならんでいる。堅牢な鋼鉄の檻は上から下へとしっかり閉じられて、猛獣を閉じこめる檻のようであった。左と右の檻にはだれも入っていない。まん中の檻だけいくつか人影が見えた。
奥の暗がりからひとりの男があらわれた。茶色の髭を生やし、スリーブのついた紺の上着を着ている男は、大きな両手で檻をがしっとつかんだ。
「お父様!」
「リロイ! そこにいるのはリロイなのか」
リロイもまん中の檻に駆け寄る。男は、父のブレオベリスに間違いなかった。後ろには母のマリーや従者たちの姿もあった。
――ええと、この牢屋、どうやって開けたらいいの!
リロイはあたふたしながら取っ手を探す。右脇に四角形の錠が見つかったが、しっかりと閉められているため、手で引いてもびくともしない。部屋の隅にあるテーブルの上を探したが、鍵らしきものは見つからなかった。
「ロイ!」
少し遅れて、サムソンとプリシラも中に入ってきた。はあはあと息を切らせながら、サムソンが銀色のキーリングを差し出した。
「これ。お前がさっき蹴り飛ばしたやつが、持ってた」
リロイは鍵がじゃらじゃらとついたキーリングを受けとる。端にかかっている鍵から錠の鍵穴に差して、がちゃがちゃと左右にまわしてみる。五つ目の鍵をまわしたときに、がちゃんと錠の開く音がした。
「あ! 開いた」
リロイたちは檻を左に引く。ずずずと何かを引きずる音とともに、重たい檻がゆっくりと開いた。
「お父様! 早く――」
リロイは細い手を伸ばす。ブレオベリスの手を引いて牢屋から早く出ようと思っていたが、ブレオベリスの強い力に引きこまれてしまった。リロイはブレオベリスの胸に押しあてられて、ぎゅっと強く抱きしめられた。
――えっ。
ブレオベリスの厚い胸板がリロイの耳を圧迫する。突然の出来事に、せかせかしていた両腕がだらりと落ちる。父に守られているという安心感がリロイをつつみ、全身の力と焦った気持ちが鎮まってくる。
「……リロイ。お前が家を出てからずっと、お父さんはお前のことばかり考えていた」
ブレオベリスの声がふるえている。牢屋の中からすすり泣く声が聞こえて、リロイの胸の中心が四方からしめつけられる。
「無事に、お前の顔が見れて……よかった。ああ、リロイ。お父さん、お前の気持ちを理解してあげられなくて、ごめんな」
後ろからプリシラの泣き声が聞こえてくる。瞳の奥から熱い何かがあふれて、リロイはブレオベリスの胸に顔を押しつけた。
「お父様……ごめんなさい。ごめんなさい!」
声が涙でかすれる。流れ落ちた涙はあふれて止まらなかった。