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気落ちするリロイの心の奥底から、別の感情が沸き起こった。
「ちょ、ちょ、ちょっと、ちょっとたんま」
グレートソードを持ち上げるキンボイスに、リロイが手の平を向ける。リロイは腹を抱えて、「くく」と笑いを必死にこらえた。
「ロ、ロイ……?」
「ロイちゃん……?」
しんと静まり返る広間の中央でリロイが笑い転げている。サムソンとプリシラは口をあんぐりと開けて唖然とした。
キンボイスがいら立った
「てめえ! へらへら笑ってんじゃねえ!」
リロイは鼻をひくひくさせながら、のっそりと立ち上がった。
「あ、ごめんごめん。あんなにうざかったレオンに感謝する日がくるなんて、思ってもみなかったから。もうおかしくておかしくて」
リロイの脳裏にレオンハルトがあらわれて、はげ頭を光らせている。憎たらしいはげ男は、雲の上で四枚の翼を生やしている。聖者のローブを着ながら剣術の指導をしている姿は、滑稽としか言いようがない。
リロイは壁を叩いて笑う。キンボイスは鼻息を荒くしながら、グレートソードを目いっぱいに叩きつけた。
「この蝿野郎がっ、ふざけんじゃねえ! ぶっ殺すぞお!」
キンボイスの怒声がひびきわたる。心の底から沸き起こっていた感情がぴたりと止まった。
リロイはむくりと起き上がる。シャムシールの湾曲した切っ先を下げて、キンボイスを真っ直ぐに見あげた。
「あなた、悪いことは言わないわ。この辺で剣を納めて」
「……あ?」
「このまま続けたらきっと、手加減できないと思うから」
キンボイスの表情がぴたりと固まる。後ろでガンドルフが突然「はっはっは」と笑った。
「おいおい、そりゃあないだろう。迅雷の娘。恐怖のあまりに頭がおかしくなっちまったのか」
「ううん。むしろ、さっきよりも冷静なんだけど」
「ふん、口からでまかせを。この間はおれたちにこてんぱんにやられておいて、見えすいた法螺を吹いてんじゃねえ! 今だってキンボイスに一度も反撃できてねえだろうが。……それで、手加減できないと思うってな、まるで意味がわからねえぞ」
「まあ、ぱっと見だとそう思えるよね。……うーん。この気持ち、わかってくれないかな~」
リロイが腕を組んでうなる。ガンドルフもいら立ち、腰のロングソードを抜き放った。
「キンボイス! この女はお前に勝てねえもんだから、見えすいた法螺を吹いてお前を挑発しているんだ。だまされんじゃねえぞ!」
「……は! そ、そうか。そういうことだったのか」
キンボイスははっとわれに返る。頭にのぼらせた血の気を引かせて、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
キンボイスはざわつくガンドルフたちに背を向けて、リロイに向き直った。
「ほほう。ぺちゃぱい。猪口才なことしてくれんじゃねーか。危うくはまっちまうとこだったぜ」
「うーんと、そういう意味じゃなかったんだけど、剣を納めてはくれないのね?」
「うるせえ! だから、その下らねえ挑発は止めろっつってんだよ! あー、うぜえ。この女、まじでうぜえ! 今すぐにぶっ殺してえ」
「そう。……じゃ、仕方ないわね」
リロイはシャムシールをにぎりしめる。左手を柄の頭にそえて中段にかまえた。
地下の広間が静まり返っている。耳を痛めるほどの静寂がリロイをつつみこんでいる。キンボイスのうるさい鼻息が前から聞こえて、とてもうっとうしい。後ろからサムソンとプリシラの吐息も聞こえて、感覚がこれ以上なく研ぎ澄まされているのがわかった。
心の奥から沸き起こっていた声は止んでいた。腕のふるえもいつの間にか止まっている。緊張していた身体の筋肉がほぐれ、ふわふわと空に浮いているような感覚がリロイをつつんだ。
「おら、死ねやア――!」
キンボイスがグレートソードをふり上げる。のそのそと近づき、顔をまっ赤にしながら剣をふり下ろした。
グレートソードがリロイの脳天をとらえる。刃は真っ直ぐにふり降ろされ、リロイの身体をばっさりと両断した。
「おし! これで即死――」
まっぷたつに裂かれたリロイの身体が床に倒れる。頭から股にかけてきれいに両断された身体は、霞がかかったようにうすくなる。リロイの身体は残像となって、広間の床からふわりと姿を消した。
キンボイスは目を見張り、グレートソードの刃を床につけたまま唖然とした。
「や、殺りやがった」
部屋の隅でサムソンが固唾を呑む。キンボイスの後ろで背を向けているリロイを見て、顔をさらに青くした。
リロイはシャムシールを斬り上げたまま、キンボイスに向き直った。
「お? てめえ、さっき斬られたんじゃなかったのか? いつの間に後ろに回りこんだんだ」
「いつって、さっきだけど。……どうでもいいけどさ。あんた、よく立っていられるわね」
「あア? 意味わからねえこと言ってんじゃねえぞ! てめえこそ、おれの剣で斬られてただろうが。何で倒れるのがおれなんだよ!」
「何でって、そりゃあ倒れるでしょ。だって手首を斬ったんだから」
シャムシールの切っ先から血がしたたり落ちる。キンボイスははっと右の手首を返した。浮き上がった手首の血管に赤い線が入り、そこからどばっと血が噴き出した。
「ぎゃああアアアァァ――!」
グレートソードが床に落ちる。キンボイスは手首をおさえて悶絶するが、血は勢いよく噴き出して流血がおさまらない。埃っぽい広間の床に汚い血の海が広がった。
叫喚するキンボイスにリロイは背を向ける。ぎろりとにらむと、ガンドルフの肩がびくっと反応した。リロイはシャムシールをひとふりし、切っ先の血糊を払った。
「だから言ったでしょ。手加減できないと思うから剣を納めてって」
「う、う、う……ううるせええエ!」
ガンドルフが叫び、ロングソードを突き出す。後ろの手下たちがひと呼吸遅れてリロイに襲いかかった。
「ひとり殺しただけじゃわかってくれないのね。なら、仕方ないわ」
耳にピアスをした男が太いクラブをたたきつける。リロイは上体を下げてクラブをかわし、手前に引いたシャムシールを斬り払う。湾曲した白刃が横っ腹を斬り裂き、男が「ぎゃア!」と絶叫した。
ロングソードとスピアを持った男たちが近づいてくる。リロイは抜き打ちざまに男を斬り倒す。男たちの首もとから、手首から鮮血が噴き出して、天井にどばっと激突した。
男たちを一撃で倒しながら、リロイはガンドルフをにらめつける。言葉をなくしているガンドルフが、「ひいっ!」と縮こまった。
最後のひとりがばたりと倒れる。リロイは倒れた男たちを冷然と見下ろし、切っ先の血糊を払った。
「最後はあなたね」
ふり返るリロイにガンドルフがたじろぐ。「あ、あ」と声を出して、両足ががたがたとふるえている。右手のロングソードが音を立てて床に落ちた。
「このときをずっと待ってたわ」
リロイはシャムシールを下げてガンドルフに近づく。静かな地下室にブーツの足音がこつこつとひびきわたる。
「雨が降るあの日、あなたたちにやられて、あたしは死ぬほど辛い想いをしたわ。手首を切って死のうかって、何度思ったかわからない」
「や、や、や、やめて、くれ」
「でも、あたしはあきらめなかったわ。憎たらしいはげ親父に唾を吐きつけられても、あきらめきれなかった。だって、あなたにも同じ想いをさせなければ、現世に悔いが残るもの」
「や、やめ、やめ」
白刃を光らせながら、リロイが「くく」とあざ笑う。不気味な笑い声がひびきわたり、ガンドルフは口をひくひくさせている。壁際にじわりじわりと追いつめられて、肩をわなわなとふるわせた。
「でもね、あたしはあなたに感謝してるの。あなたがあたしを容赦なく踏みにじってくれたから、今のあたしがあるんだもの。恨むなんてもっての他よね」
「や、や……」
「あたしは、あなたに大事なことを教わったわ。ありがとう。あなたのお陰であたしは強くなることができた。あなたのことは、一生忘れないわ」
リロイがシャムシールを突き出して突撃する。鋭く切っ先がガンドルフの胸のまん中を刺し貫く――!
ガンドルフは白目を剥いて床に倒れこむ。黒いパンツを穿いた股はじわりと濡れ、床に小便が洩れていた。
「何てね。こんなの冗談に決まってるでしょ。あたしは過去にとらわれない女なの」
リロイは失禁しながら気絶しているガンドルフを見下ろす。胸にちょこんとつけたシャムシールの切っ先を下げて、鞘にゆっくりと納めた。