72
「ロイちゃん。どうしたのお?」
リロイとサムソンの後ろでプリシラが首をかしげている。リロイとサムソンの首は固まり、後ろをふり返ることができない。
「ぺちゃぱい。何でてめえがここにいるんだよ!」
モヒカン頭のキンボイスが、のそのそと歩み寄ってくる。革のブーツで廊下を蹴り、どすどすと音を立てている。
リロイの脳裏によみがえる、雨の日の記憶。いつまでも降りしきる雨の冷たさと、旅の途中で突きつけられた、過酷な現実。キンボイスたちは黒い夢となって幾度となくあらわれ、リロイは散々に苦しめられた。忘れたくても忘れることはできない。
――お父様は目前なのに、どうして、こんな……
リロイの両腕ががくがくとふるえた。
「あ、あ、あ、あんたらこそ、ど、ど、どうし――」
「あア?」
唇を噛むリロイに、キンボイスが吹き出した。
「おいおい、どうしちゃったんだよ! ぺちゃぱいよお。まだ何にもしてねえじゃねえかよ」
キンボイスは腹を抱えて、後ろのガンドルフたちにふり返った。
「おめえらも見ろよ。こいつ、おれらを見てびびってやがンぜ」
大笑いするキンボイスの後ろで、ガンドルフたちもがははと爆笑する。下卑た笑い声が広間にひびいた。
あざ笑うキンボイスたちを、リロイは直視することができない。足はがくがくとふるえ、身体の内側から汗が吹き出してくる。臆病者だと言われてもかまわないから、リロイはすぐにこの場から逃げたかった。
リロイは横目でサムソンを見る。サムソンも水晶の杖をにぎりしめたまま、身体をふるわせている。少し子供っぽい顔には生気がなく、あまり大きくない唇は真冬の寒空の下にいるみたいに青かった。
腰にロングソードを下げたガンドルフが、にやにやしながらキンボイスのとなりに歩み寄った。
「こんなところにはだれも来ないと思っていたが、まさかお前がやってくるとはな。……迅雷の娘。お前は親父を迎えにきたんだな?」
ガンドルフはキンボイスの肩に手を乗せる。右手の親指を突き出して、広間の後ろを差した。
「だが、残念だったなあ。お前の親父はこの奥だ。ここはおれたちが見張っているから、おれたちを倒さなければ、親父とは再会できないぞ」
ガンドルフが少ししゃくれた顎を突き出す。キンボイスがぺっと唾を吐き捨てた。
「赤ひげの配下になったのはよかったんだけどよお、こんなつまらねえところでずっと見張りをやらされるとは思わなかったぜ。なあ、ぺちゃぱい。この間みてえにまた相手してくれよ」
「おい、キンボイス。勝手な真似するんじゃねえ。こいつは、おれらの主の赤ひげ様が、とてもとても大事にしている親友の娘だぞ。何かの間違いで殺したりしたら、また大事な金づるがなくなっちまうぞ」
眉をひそめるガンドルフの顔を、キンボイスがにらみつけた。
「けっ。てめえもびびってんじゃねえよ。こいつらは勝手に忍びこんできた不法侵入者だぜ。犯罪者をぶっ殺して何が悪い」
「頭を冷せ、キンボイス。迅雷を説得するために娘のこいつを捕らえろと、赤ひげがしつこく命令していただろうが。……早まってこいつを殺してみろ。とり返しのつかないことになるぞ」
「うるせえ! んなときはよ、上の連中がこいつらを殺しちまったとか、適当なことを並べときゃあいいんだよ。証拠なんてねえんだ。ばれやしねえよ」
「……ほう。なるほど」
ガンドルフが天井を見あげた。
「何者かが不法侵入してきたから、上で警備している連中が殺害した。だが、それは迅雷を助けにきた娘で、上の連中は早まって殺害してしまった、か」
ガンドルフが遅口でつぶやく。左手で顎をさすった。
「まあ、そんなに不自然なシナリオじゃないな」
ガンドルフがリロイの目を見つめる。リロイは蛇ににらまれた蛙のように縮こまった。
キンボイスがグレートソードをたたきつける。室内にひびきわたる轟音に、リロイの肩がびくっと反応した。
「そういうわけだ。ぺちゃぱい。おれよお、こんなところで何時間も待機させられてっから、むしゃくしゃしてんだ。だからよお、この前みてえに手加減できねえかもしれねえけど、我慢してくれよなあ」
後ろの手下たちもげらげらと笑いながら、キンボイスに歩み寄る。右手の凶刃を光らせて、汚い奴隷を見下すような目つきに変わった。
リロイはまた横目でサムソンを見つめた。サムソンは杖を落としそうになるくらいにふるえている。とても戦える状態ではない。
「あ、あたしが、いくわ」
「ロ、ロイ」
サムソンがふるえる手でリロイの腕をつかむ。リロイは左手をふり払い、部屋の右側に向かって歩く。強張る右手で腰のシャムシールを抜き放った。
「お、てめえひとりで相手しようってのかよ。……面白え。じゃ、おれが直々に相手してやんぜ」
キンボイスはグレートソードをふり上げる。鉄槌のような剣が黒い光を発する。木の幹とともにリロイの意気を分断した、悪魔のような両手剣。
シャムシールの刃が小刻みにふるえる。リロイは両手でシャムシールの柄をにぎりしめた。
――こんなに力をこめても、ふるえが……止まらない。ここでやられるわけにはいかないのに。……お願い! あたしの言うことを聞いて!
キンボイスがグレートソードをふり上げたまま突進する。「どりゃ!」と言いながら両手をふり下ろした。リロイがあわてて跳ぶと、グレートソードが地面にひびを入れた。
「ちょろちょろと逃げんじゃねえ! 雑魚があ」
キンボイスは雄たけびをあげながら突撃する。豪腕を鳴らしてグレートソードをふり払う。グレートソードが壁に激突して、石の破片がリロイの顔に飛びかかる。リロイは左腕で顔を隠した。
――あんな重たい剣を簡単にふり回すなんて……。何てすごい力なの。
「ロイい!」
サムソンの怒声が聞こえる。リロイがはっと顔をあげると、キンボイスの鉄拳が眼前に迫ってきた。リロイは身体をかがめて拳をかわした。
『戦いの最中に何をごちゃごちゃ考えてるんだ』
心の奥から声が沸き上る。リロイは歯を食いしばり、シャムシールを持ち直した。
「そろそろ死ねやア!」
キンボイスが奇声を発しながら突進する。グレートソードをふりあげ、リロイの脳天を目がけてふり下ろす。
リロイは横に跳び、後ろに素早くまわりこむ。キンボイスは刃をたたきつけたまま、「くそ、重てえ」とつぶやいている。オーガのような背中ががら空きになっていた。
リロイは右手を降ろして後退した。
『どうした! 下がってばかりじゃ敵は倒せねえぞ』
――そんなのわかってるわよ! でも、あそこで攻撃したら、あいつに反撃されちゃうの。あんたは黙ってて!
心の声がどんどん大きくなっていく。リロイは首をぶんぶんとふった。
キンボイスはリロイに向き直って「ち」と舌打ちした。
「何でか知らねえが、前より素早くなってんじゃねえかよ。この蝿野郎が。あー、いらいらする」
キンボイスが地面を踏みつける。後ろから「苦戦してんじゃねー」と野次が飛んだ。
――蝿野郎?
キンボイスがグレートソードをかかげて突進する。「どりゃ」と言って地面に剣をたたきつける。亀のように鈍い攻撃をリロイがかわして――が、何度も繰り返される。
「あー、うざってえ!」
キンボイスがまっ赤な顔で叫ぶ。眉間に青筋を浮かべて、かなりいらついているのが手にとるようにわかる。
――何なの、こいつ。
グレートソードを軽々とかわしながら、リロイはがく然とする。脳裏に浮かび上がってきたのは、シャムシールをかまえて突進するレオンハルト。はげ頭を光らせている男は一瞬のうちに姿を消して、背後から斬撃を浴びせてきた。その容赦ない攻撃を何度受けたかわからない。
目の前のモヒカン男は声を張り上げているだけで、剣の腕はまるで素人だった。攻撃パターンは鈍い斬撃か払い、まれに拳が突き出されるのみ。あたれば致命傷になるのだろうが、動きが遅いからあたる気はしない。
――超下手くそじゃん。
リロイは肩を落としてがっかりする。この世の終わりを目にしたかのようにふるえあがっていた自分が、ばかばかしく思えてならなかった。