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結局リロイは樵の家で一泊した。レンメル兵がいつ部屋に踏みこんでくるのか、怖くて寝つけなかったが、寒い山中で野宿するよりはいいというサムソンの言葉に逆らえなかった。
樵の男はこくりとうなずき、あたたかい寝床を用意してくれた。親切すぎる行為にリロイの疑念はふくらんだが、もともと親切な人なのだろうと、リロイは自身を強引に納得させた。
夜が明けて、リロイたちは暁のころに家を後にした。朝日がのぼりきっていない空はうす暗く、とても肌寒い。
「なあ、このまま真っ直ぐ王宮に向かうのか?」
サムソンは馬にまたがり手づなをにぎる。リロイはプリシラの肩につかまりながら、浅くうなずいた。
「うん」
「親父さんのところに向かった方がいいんじゃないのか」
「うん。……でも、エメラウス様からいただいた勅命があるから」
サムソンは馬の足を止めた。
「お前の親父さんは何も悪いことをしてないのに、捕まっちまったんだぞ。なのに、何とも思わねえのかよ!」
リロイはサムソンをにらみつけた。
「何とも思わないわけないでしょ! あたしだって、信じられないわよ。こんな、こんなことって……」
言葉が喉につかえる。口を動かそうとしても息がつまって声が出せない。目からたくさんの涙があふれてくる。
リロイはプリシラの背中にしがみついた。
「あたしだって、どうしたらいいのかわからないよ! バルバロッサのおじ様が、王宮で騒動を起こしてるっていうし、そうだと思えば、お父様が捕まったっていうし。……あたし、あたし、もう、どうしたらいいの!」
張りつめていた想いが胸からはじける。頬を伝う涙がぽとぽとと落ちて止まらない。リロイはわんわんと声を出して泣いた。
プリシラはリロイにハンカチを差し出した。
「ロイちゃん。プリシラも、ロイちゃんのお父さんを助けに行った方がいいと思う。お父さんもきっと、ロイちゃんのことを待ってると思うの」
「……うん」
「エメラウス様もお、きっとお父さんを助けに行けって言うと思うの。だから、ロイちゃん。お父さんを助けに行こ!」
プリシラがにこにこと微笑む。サムソンはリロイをちらりと見て、頬を掻いた。
「そうだよ。タイクーンの勅命も気になるけど、王宮に行くのは、アスタロスの牢獄に行った後でもいいんだし。それに、王宮の騒動を止めるには、ロイの親父さんの力が必要なんだからさ」
「うん」
リロイはハンカチで涙をぬぐう。サムソンは「はあ」とため息をついた。
「次から次へとわけわからない話が舞いこんできて、どうしたらいいかわからなくなるよな。おれだって、どうしたらいいかわからねえし。錯乱したくもなるよな」
肩を落とすサムソンを見て、プリシラがくすくすと笑った。
リロイたちはレンメルの山岳地帯を抜け、レムスターの平原に入った。岩と砂だらけだった一面が野原に変わり、緑色がとても新鮮に思えた。地平線の向こうを歩く人の姿が見えた。
土手のようにもり上がった丘のとなりに、レテ川がゆるやかに流れている。サムソンは馬を止めて、レテ川の畔に腰を降ろした。リロイとプリシラも彼のとなりに座った。
「えっと、アスタロスの牢獄はっと……ここだな。都の北西。このまま走れば今日中に着きそうだなあ」
サムソンが地図を広げる。ドーナツ状の国土の右上を指して「結構近いなー」とつぶやいた。
リロイは地図をのぞきこんだ。
「今日の夜には着くの?」
「ああ、多分な」
「そう。なら都合がいいわね。まっ昼間じゃ忍びこめないし」
リロイがさらりと言うと、サムソンは顔を引きつらせた。
「忍びこむって、お前」
「だって、しょうがないでしょ。牢獄には見張りがたくさんいるんだろうし、お父様を出してって言っても、出してくれないでしょ。きっと」
「ま、まあそうだよな。……てか、そうか。おれたちはこれからアスタロスの牢獄で、ひと暴れしにいくのか。へ、平気かなあ」
サムソンが「やっぱやめようか」と言うと、プリシラが「もお!」と怒鳴った。
説教を始めるプリシラをよそに、リロイは紙面をじっと見つめる。足もとの雑草をむしり、右手でにぎりつぶした。
――あんだけ泣いたから、気持ちがすっきりしてきたわ。もう、何が来たってへっちゃらよ。お父様を助けるためだったら、牢屋にだって忍びこんでやるわよ。
地図を鞄にしまい、リロイは馬に飛び乗った。手づなを引くと馬が口を開けて嘶いた。
サムソンが馬をとなりに寄せて、にっと笑った。
「牢獄に行く前にヘベス村に寄ってこうぜ」
「えっ。ヘベス村? って、アルバの村長さんがいる?」
「そ。アスタロスの牢獄ってヘベス村の近くにあるんだぜ」
「へえ。そうなんだあ」
リロイは目を輝かせる。後ろでしがみつくプリシラが「何? 何?」と声をあげた。サムソンが説明すると、プリシラも嬉しそうな顔をした。サムソンも「他のおっさんとかも元気かなー」と言って顔をほころばせた。
――アルバの村長さんのお世話になって、もうずいぶん経つんだっけ。あれは、あたしが別荘を飛び出した直後だったと思ったけど、こんな形で戻ることになるとは思わなかったな。
リロイは風を一身に受けながら、ふっと息をはいた。
リロイたちは日が沈むまで走り続けた。うす暗い空はどんよりと曇っている。今にも雨が降り出しそうで、とても不安定な色合いをしていた。
リロイたちが向かう先に黒煙が立ちのぼっている。煙は一直線に伸び、灰色の空を縦に分断していた。
「ヘベス村ってこの辺だったと思うんだけどなー」
サムソンが馬上で首をきょろきょろと動かす。リロイは前に伸びる煙を指差した。
「ねえ。あの煙は何なのかしら」
「さあ。だれかが焚き火でもしてるんじゃねえの」
「焚き火であんな大きな煙が出る? ちょっとおかしくない?」
「う、うん。まあ、確かにそうだなあ」
毒々しい黒煙はどんどん近づいてくる。煙の火元は林の中に隠れていて、何が燃えているのかわからない。
――あの煙って、もしかして。
リロイの背中にひんやりとした汗が伝う。サムソンもリロイの気を察したのか、口をぴったりと閉じて顔をこわばらせた。
リロイたちは林を抜けて、エイセル湖の畔を走る。湖から続く林の道にゆるやかな風が吹きつけている。木の幹のすき間が広いその林は見覚えがあった。
林を抜けた先に煙の火元はあった。林の中に立てられた家屋が倒壊し、赤い炎に燃やされている。地面は黒い炭におおわれ、見るも無惨な姿になっている。
炭だらけの廃墟の中央から、黒い煙が立ちのぼっていた。村の広場のような場所には、村の人と思わしき人々が横たわっていた。
サムソンは馬から降りて、両膝をついた。
「そんな……うそだろ」
がく然と両腕をつくとなりに、木製の看板が落ちている。表面には『Heves』という字が彫られている。プリシラも両手で顔を覆い、瞳を涙でぬらした。
魚の腐ったような臭いが広がる廃墟の向こうに、仰向けに倒れている人がいた。大の字になっている人の背中には、三本の木の槍が突き刺さっている。鋭い穂先が人と地面を縫い止めているのだと、リロイはすぐにわかった。
リロイは鼻と口を抑えながら、倒れている人に歩み寄る。背中に刺さっている槍をつかみ、力まかせに引き抜く。ぶしゅっと音がして、赤く染まった穂先が男の背中からあらわれた。
「ロ、ロイ」
サムソンとプリシラがリロイの後ろからのぞきこむ。リロイは残る二本の槍を抜き捨てて、仰向けに倒れている人を抱き起こした。ひょろっとした体格に白い髪。眉が少しうすいその老人は、ヘベス村の村長であるアルバに間違いなかった。
「サム、これはどういうことなの」
肩をふるわせるリロイに、サムソンが「これは」と口どもった。
「きっと、軍に略奪されたんだ。その日の食料目あてで村を襲い、村人みんなを殺害した挙句に火を放ったんだ」
「食料目あてって、軍を編成するときは食料も用意するものでしょ。どうしてヘベス村が略奪されなきゃならないの」
「だ、だからだな。最初に用意する食料は数日分しかないんだ。足りなくなった食料は現地調達するしかないから、戦時中に辺境の村が襲われることは多いんだ。……多分、そういうことなんだと思う」
サムソンの声が枯れる。「くっ」と言葉を漏らし、涙を流しているのが背中から伝わってくる。しくしくと声を出して泣くプリシラの声も聞こえてきた。
リロイはアルバの顔を見つめた。アルバは目を閉じてぐったりしている。やつれた顔には生気がなく、両腕もだらりと地面に垂れていた。
突如槍をかかげて襲いかかってくる、どこかの国の兵団。火矢が漆黒の闇をおおい、村人たちが悲鳴とともに倒れていく。きっと、壮絶な恐怖と激痛がともなう死に際だったに違いない。
リロイはアルバの身体を地面に置いた。アルバはぴくりとも動かない。リロイが訪ねても、笑顔で迎えてくれることは二度とない。
――あたしは、絶対に許せないわ。こんなこと、絶対……。たとえ、首謀者がだれだったとしても。
両手が小刻みにふるえる。涙は流れなかった。