7
リロイは馬の轡を持ちながら、麦畑の田舎道を歩いた。馬の上には、右足をくじいたサムソンが手づなをにぎっている。
「まだ魔力は回復しないの?」
サムソンは頭の後ろに手をあてて、気だるそうにした。
「お前を助けるときにいっぱい使っちゃったから、当分は戻らないと思うぜ」
「どうでもいいけど、精霊魔術で右足を治したら、早く場所変わってよね」
「はいはい」
サムソンは適当に返事すると、馬の上に寝っ転がった。
――絶対こいつ、わざと右足を治してないんだわ。
リロイが心の中で文句を言っていると、サムソンが「なあ」と声をかけてきた。
「何よ」
「さっきのスライムの他に魔物は見なかったか」
「別に、何も見てないけど」
リロイが適当に答えると、サムソンは「そっか」とつぶやいた。リロイは首をかしげた。
「それがどうかしたの?」
「いや、都の近くで魔物が出るなんて、珍しいなあって思っただけだよ」
「あらっ、サムソン様はいつからそんなに、魔物と都に対してお詳しくなられたんでしたっけ」
すると馬の上から「うるせえ」と声が返ってきたので、リロイは吹き出してしまった。サムソンがむくりと起き上がった。
「笑うなよ。最近よく魔物が出没するようになったって、この間に師匠が漏らしてたから、ちょっと気になったんだよ」
「王宮のボア様が?」
「師匠の言葉によると、魔物が活発になるのは国が傾いている証拠なんだってさ」
「ふーん」
リロイにはよくわからない言葉だった。
リロイとサムソンは一枚の地図を頼りに、麦畑の小道を歩いた。サムソンの言葉によると、ふたりは南に向かっているらしいのだが、目印が何もないので本当かどうかはわからなかった。
のんびりと歩いているうちに、日が少しずつ沈んでいく。
「ねえ、サム。どこか泊まれる場所はないの?」
「そうだなあ」
サムソンのあいまいな返事が夕空にとけていく。その無責任な態度にリロイは物申したかったが、人ひとり見えないこの場所で、どうやって宿を探したらいいものか。
リロイが途方にくれていると、麦の草が食い荒らされている畑が見えてきた。リロイは驚いて、馬の上でまどろんでいるサムソンを起こした。
「何じゃこりゃ」
サムソンも眠たげな目を見開いて驚いた。その視線の先には、土が掘り起こされ、草が一本もない畑がたくさん続いている。はげた土には楕円形の足跡がたくさんついていた。
サムソンは馬から降りて、畑の隅にしゃがみこむ。リロイも彼のとなりで、ちょこんとしゃがんだ。
「猪にでも食い荒らされたのかしら」
「猪がこんな足跡を残すか」
サムソンは顎に手をあてて「こりゃ魔物の仕業かもな」とつぶやいた。
リロイも畑についた足跡を凝視してみる。それは円形の片方に、三本の尖った角が生えている。三本の角の間は平たくつながっていて、猛獣の爪とは形が少し異なっている。
「まるで魚のひれみたいね」
「は?」
サムソンが小ばかにするような表情を向けてきた。
「こんな陸地に魚が出るわけねえだろ」
「そんなの、あたしだってわかってるわよ。ただ、あの足跡が魚のひれに似てるなーって思っただけじゃない」
「どーだか。キザ男にふられて家出するお嬢様の発想力だったら、魚も陸にあがってこれそうだもんなあ」
「ちょ! なんでそこでエメラウス様が出てくるのよ」
サムソンにからかわれて、リロイはまたむっとした。サムソンはかったるそうに馬に乗りこんで、「先に行こうぜ」と言った。リロイはしぶしぶ馬の轡をとった。
リロイが道の向こうを見つめると、身体の細い男が三人立っていた。彼らは袖の破れた雑巾のような服をきて、きょとんとこちらを見つめている。
リロイがサムソンに目配せすると、サムソンが無言でうなずく。リロイは轡を引きながら、恐る恐る男たちに近づいた。
「あの、この辺に住む方ですか」
「あ、はい。そうですけど」
やつれた顔の男たちは互いを見返しながら、細い声でこたえた。それから、中央の男がおずおずしながら前に出てきて、リロイの前に立った。
「あの、あなた様は、こちらにいらっしゃる騎士様の召使いですか」
「えっ、騎士様……?」
今度はリロイがきょとんとして、中年男が指す先へとふり返ってみる。すると、馬上のサムソンが「おれ?」と言って、自分の顔を指した。
空気を読んだサムソンが急ににやにやして、馬を飛び降りた。そのままリロイの肩に手をまわしてきた。
「そうそう、わしはこの一帯を治めるサムソン様じゃ。それと、この小娘はわしの第一の下僕じゃ」
「は、ははあ!」
農奴らしき男たちは顔を見合わせてから、あわてて平伏した。その様子にサムソンは「お前たち、苦しゅうないぞ」とか言っていたが、
「ほぐぉ」
リロイのエルボーが見事に極まって、サムソンは鳩尾をおさえて悶絶した。
「みなさん。すみませんけどお、この辺で泊まれる場所はないかしら」
リロイがくねくねと身体をくねらせると、農奴の男たちはそろって顔を引きつらせていた。
農奴の男たちに案内されて、リロイとサムソンは小さな村に入った。日が暮れて、満天の夜空に星がきらきらとかがやいていた。
案内された村は木々に囲まれて、ひっそりとたたずんでいる。腐りかけの木でできた壁はもろそうで、触っただけでくずれてしまいそうだった。
――農奴の住むお家って、こんなに貧しいんだ。冬はすごい寒いんだろうな。
リロイはうす暗い家をながめて、漠然と思った。
案内されたまま、リロイたちは村の一番奥に建てられた家に着いた。農奴の男たちは家に着くと、「騎士様がいらっしゃいました」と言って、静かに木の扉を開けた。
ロウソクが立てかけられた暗い部屋には、白髪の老人が座っていた。老人はこちらを見るとすぐに立ち上がって、両手を合わせて礼をした。
「私が村長のアルバです」
「あ、はじめまして」
リロイとサムソンも少し遅れて、村長のアルバに頭を下げた。
村長のアルバの手招きに従って、リロイとサムソンはおずおずと中へ入った。大人が七、八人くらいしか入れなさそうな狭い室内は、少しかび臭い。案内役の男たちが切り株のような椅子を用意してくれたので、リロイとサムソンはそれに腰かけた。
「騎士様。夜分遅くにいらっしゃるなんて、よほどの急用だったのでしょうか」
中央のテーブルを挟んで、アルバは神妙な面持ちでたずねてきた。リロイは慌てて手をふった。
「ち、違うんです。あたしたちはサンテから来ただけで、そんな……」
「中央からいらしたということは、タイクーン(王)の勅旨でしょうか」
「ちょ、勅旨?」
知らない言葉にリロイが首をかしげていると、となりのサムソンが「タイクーンが遣わす役人のことだよ」と小声で教えてくれた。リロイはすごい速さでかぶりをふった。
「いえいえ! そんな大それた存在ではございませんっ!」
「それでは、われらが村にどのような用でいらしたのですか」
「いや、だから、あたしはただ……」
リロイが頭の中で言葉を選んでいると、急にお腹が「ぐう」と鳴った。
「あっ」
リロイが声をあげると、となりのサムソンが腹を抱えて笑い始めた。アルバとまわりの男たちも「くく」と声を漏らして、必死に笑いをこらえていた。
リロイは耳まで赤くした。
「お食事はまだ済まされていないのかな。粗末なものでよければ、すぐに用意させましょう」
村長のアルバもいくらか表情を和らげて、となりの男に指示を出した。