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リロイたちはレンメルの城門を突破した。後ろからレンメルの兵士たちが追ってきたが、サムソンとプリシラが呪文をとなえて追い払った。左肩を脱臼してしまったリロイはサムソンの背中にしがみつき、追っ手に捕まらないことを祈るしかなかった。
空を茜色に染めていた夕日が、西の山陰に沈んでいく。あてのない山道を駆けているうちに日が落ちてしまった。リロイたちは運よく見つけた家にお邪魔し、今晩の宿を求めた。
家には樵の男がひとりで住んでいた。白い髭を生やした初老の男は、左肩からぶら下がったリロイの腕を見て驚いたが、「やれやれ」と首をかしげながら脱臼した肩をはめてくれた。
肩をはめたときは、『がごっ』とものすごい音がして、リロイは「痛あアア!」と悲鳴をあげてしまった。
「ロイちゃん。だいじょうぶ?」
眼鏡をずらしたプリシラが、心配そうにリロイを見つめる。リロイは半べそをかきながら、何度も頭を縦にふった。
――まったく冗談じゃないわよ~。肩をはめてくれるっていうから喜んでたのに、はめるのってめちゃくちゃ痛いじゃないのよ。
恨めしく思いながら、リロイは左肩をゆっくりとまわす。違和感は残るものの、天地をゆるがすような激痛は感じなかった。
「はめた直後はかなりはずれやすいから、むやみに動かしちゃいけないぞ。今のはあくまで応急処置だから、明日の朝にでも町医者に診てもらいなさい」
樵の男は暖炉の火をじっと見つめている。火は部屋を流れる空気にゆらゆらとゆれて、冷えきった身体をあたためていた。
リロイはぺこりと頭を下げた。
「おじさん。腕を治してくれてありがとう。お陰で助かったわ」
「それは別にかまわんが――」
樵の男が視線をそらす。左手で顎の髭をさすった。
「君たちは熊とでも戦っていたのか? 肩をはずした旅人が訪ねてくるなんて、生まれて初めてだ」
「あ、あは、あはは。そう見えますよねー」
「見たところ、三人ともまだ若いみたいだが、無茶をしていると親が悲しむぞ」
「はい。すいません」
リロイはサムソンとプリシラの顔を見つめる。三人そろって肩を落とした。
樵の男は、ふっと息をはいた。
「で、君たちはどこに向かっているんだね?」
「えっと、お……お、王宮です」
「王宮!?」
樵の男が細い目を見開く。サムソンがあわててリロイの口をふさいだ。
「むがが――」
「ばか野郎! 素直に話してんじゃねえよ!」
サムソンは男の視線に気づき、「にへへ」と苦笑いする。樵の男は両手を膝の上に乗せた。
「話せない理由があるんだったら、無理に話さなくていい。君たちを問いつめるつもりはない」
「ごめん。おっさん」
「それにしても、サンテの王宮では騒動が起きているみたいだが、タイクーンはご無事なのだろうか」
樵の男がまた髭をさする。プリシラは椅子から身を乗り出した。
「おじさんも、クーデターのこと、知ってるんですかあ?」
「それはまあ……。あの赤ひげが騒動の張本人だというから、となり町では大騒ぎだよ」
「赤ひげって、ゲント伯のバルバロッサ様のことですよね」
「そうだよ。君はゲント伯の武勇を知らないのかい?」
樵の男は呆れ顔でプリシラを見返す。閉口するプリシラのとなりで、リロイは拳をにぎりしめた。
――あのサグレモールとかいうグリズリー顔負け親父が言ってたことは、本当だったんだ。でも、バルバロッサのおじ様がクーデターの首謀者だなんて、そんな……
拳がわなわなとふるえる。何度聞いてもリロイは受け入れることができない。樵の男が言っていることもうそなのだろうと、リロイは思いたかった。
瞳を潤ませるリロイのとなりで、サムソンが「あの」と声をあげた。
「それじゃあ、えっと、その、迅雷が捕まったっていうのは知ってるの?」
リロイははっと顔をあげる。サムソンがリロイの顔をちらりと見て、浅くうなずいた。
樵の男は火掻き棒で暖炉の炭を掻き回した。
「ああ、知っているよ。何でも赤ひげがオーブを攻めて、迅雷を捕まえたそうじゃないか。この国はどうなってしまうんだろうねえ」
「そんでもって、アスタロスの牢獄に幽閉されてると」
「そうらしいね。アスタロスの牢獄っていえば、凶悪な犯罪者が入れられる監獄だけど、赤ひげもずいぶんなことをする。国と民を想う善良な領主だったのに、乱心してしまったのだろうか」
樵の男は火掻き棒を置いて、ため息をついた。
樵の男ととりとめのない話をしていると、戸口からどんどんと音が聞こえた。
「おい! だれかいないか」
「われわれはレンメル歩兵団だ」
扉の向こうから怒鳴り声が聞こえる。サムソンは顔を青くした。
「やべえ! レンメルの追っ手だ。隠れろ!」
サムソンとプリシラがあわててリロイの手を引く。樵の男は首をかしげて、のっそりと戸口に向かった。
リロイは寝室に隠れて、壁に背中をあてる。壁越しにレンメルの兵士と男の声が聞こえてくる。心臓がばくばくと脈打つ。
――あのおじさんがあたしたちのことを言ったらアウトだわ。……どうしよう、どうしよう!
リロイは気を鎮めようとするものの、鼓動の高まりが邪魔をする。落ち着けと何度念じても、鼓動を抑えることができない。
サムソンは水晶の杖をにぎりしめた。
「樵のおっさんには悪いが、やつらが踏みこんできたところを奇襲するしかねえ」
「で、でも――」
「じゃなきゃ、おれらがやられるんだ。……しょうがねえ、しょうがねえんだ」
となりでつぶやくサムソンを見て、リロイは生唾を呑みこむ。リロイも観念して腰のシャムシールをゆっくりと抜いた。三日月状の刃には、赤黒い血糊がついている。プリシラも小ぶりのメイスをにぎった。
壁越しの会話が終わり、戸口がばたんと閉められた。しばらくの静寂の後、ぎしぎしと音を立てて何かが近づいてきた。シャムシールの柄をにぎる手が汗ばむ。
――あのおじさんを殺したりしたら、あたしは、本当の犯罪者になっちゃうわ。……こんなこと、したくないのに。
押し開けられた寝室の戸口から樵の男が入ってきた。壁に張りつきながら武器を光らせるリロイたちを見て、男はしばらく身体を固まらせていた。
男は一歩下がった。
「君たち、落ち着きなさい。レンメル兵なら私が追い払った」
「ほ、ほんと?」
「本当だ。信用できないのなら、今すぐ立ち去った方がいい」
樵の男はぴんと張った背中を丸めて、「はあ」と大きく息をはく。リロイはシャムシールをにぎりながら寝室の戸口に近づき、そっと居間をのぞいてみる。煌々と炎がゆらめく暖炉がある部屋にレンメル兵の姿はない。
男にうながされ、リロイたちは暖炉の前に戻る。椅子に腰かけて、四人でまた大きく息をはいた。
「おじさん。どうしてあたしたちをかばってくれたの?」
「どうしてって、何となくだとしか言いようがないんだが。……あのレンメル兵はクーデターに加担しているんだろ?」
「うん」
「君たちがどうして王宮に行きたいのかはわからないが、君たちがクーデター以上の騒動を起こせるとはとても思えない。彼らに身柄をわたしてもいいことにはならなそうだったから、私は彼らを追い払った」
樵の男が暖炉を見つめた。
「赤ひげもレンメルの連中も思惑があってクーデターを起こしているのだろうが、下々の人間にとっては迷惑きわまりない話だ。……軍が動けば治安は乱れる。作物は荒らされ、若い連中は戦のために徴兵される。どんなに正しい名分をかかげても、戦時の民は生活に困窮する。戦なんて、しないほうがいいんだ」
暖炉の炎がぱちぱちと音を立てた。