65
翌日、リロイはレオンハルトたちに見守られながら、屋敷の正門を通り抜けた。エドワードが用意してくれた馬にまたがり、重い手づなを力強く引いた。
「それじゃあレオン。屋敷の方はよろしくね」
エドワードの後ろからレオンハルトがあらわれて、「けっ」と舌打ちした。
「だれに向かって言ってやがるんだ。おれらの心配をする前に、てめえの心配をしやがれ」
「むむっ。いちおう言ってあげたのに、素直じゃないんだから~」
「けっ。おれ様がお前らみてえにへますると思ってんのか。エルダの連中なんざ、屋敷に一歩も近づかせねえからよ。お前らはさっさと王宮に行ってきな」
「あっそ。そんじゃ、後はよろしく頼んだわよ」
リロイはうんざりした気持ちで手づなを引く。後ろの馬にまたがるサムソンに目配せして、屋敷に背を向ける――
「リロイ」
急に呼び止められて、リロイがまたレオンハルトにふり向く。レオンハルトは腕を組み、いつになく神妙な顔をした。
「昨日の今日だ。あの手紙も偽物でしたということになるかもしれねえ。気をつけろよ」
「うん。……でも、手紙を書いたのはエメラウス様だし、手紙を持ってきてくれたのもプリシラだから、さすがに偽物ってことはないと思うけど」
「だからこそだ」
レオンハルトが一歩を踏み出した。
「本当に頭のいいやつは、お前が油断している一瞬の隙を狙ってくる。権謀術数に長ける王宮の人間ならば、手紙なんざあたり前のように掏りかえる。お前の友人をだまして、お前らをまとめて誘引することだってできるんだ」
「う、うん」
リロイは息を呑んだ。
「敵の存在と狙いが不明確な以上、一瞬の油断が命とりになる。……いいか。自分はつねにだれかに狙われていると自覚するんだ。お前が少しでも油断したら、やつらはすかさず牙を剥いてくるからな。わかったな。絶対に油断するなよ」
リロイはヤウレを発ち、ファールス山のゆるやかな坂を下る。馬を奔らせると山の涼しい風が顔を撫でる。リロイは顔いっぱいに山の空気を吸った。
となりで馬を奔らせるサムソンが後ろをふり返った。
「レオンっていつもはむかつくくそ野郎だけど、こういうときは頼りになるよな」
リロイは浅くうなずいた。
「そうね。あいつは嫌味ったらしく言ってたけど、あたしたちはあたしたちの心配をした方がいいよね。レオンだったら牛蒡にはやられないと思うし」
「そうだな。捕まってたエドワードさんも自由になったことだし、何も心配することはないよな」
リロイの背中にしがみついているプリシラが、後ろからリロイの顔をのぞいた。
「ねえロイちゃん。あのはげたおじさんが剣聖さんだったのお?」
「そうよ。想像よりもはるかにかっこ悪かったでしょ」
「えへへ。見た目だけで言ったら、確かにかっこ悪いと思うけどお、プリシラは素敵な人だなって思ったよ」
プリシラが嬉々と声をあげる。サムソンが顔をゆがめて、かなり不細工な顔をした。
「す、素敵って。おいおい、まじかよ」
「え~っ、だってえ、すごく強そうだったし、話も聞いてて一理あるなって思ったもん。頼もしい人だなって思ったけどね」
プリシラはくすりと笑って、「恋人とかはないけどね」と続けた。
馬はファールス山を抜けてエルダの高原を走る。よく晴れた日の広大な野原には、牛が放し飼いにされている。王宮に戻る用事がなければ三人でピクニックに行けるのにと、リロイは少し恨めしく思った。
「ロイちゃん。今日もいいお天気だね。このまま三人でピクニックに行きたいね」
後ろのプリシラがくすくすと笑っている。リロイも苦笑した。
「あたしもちょうど同じこと考えてた」
「えっ、ほんとお?」
「うん。だってさ、こんなに天気がいいんだもん。外で遊ばなきゃ勿体ないよね」
「うん。そうだね」
プリシラは少しうつむいて消沈した。
「それにしても、プリシラも災難だったよね。エドワードさんといっしょに捕まっちゃうなんてさ」
「ほんとだよね。屋敷でカーシャちゃんと話してたら、兵士さんがたくさん入ってきたから驚いちゃった」
「でもさ、プリシラは何でエドワードさんの屋敷にいたの? 偶然通りかかったわけじゃないんだよね」
「そうだよ。ロイちゃんがヤウレにいるって、エメラウス様が教えてくれたから、ロイちゃんを探してたら屋敷に案内されたんだよお」
「エメラウス様が?」
驚きながらリロイははっと思い出す。マンドラゴラの一件でエメラウスと会っているのだから、所在が知られていても不思議ではない。
プリシラがリロイの身体を強く抱きしめた。
「プリシラはヤウレで町の人に聞きこみしてたんだけど、そうしたらパトリシアさんとカーシャちゃんに会ってね。屋敷に入れてもらったんだ」
「それで、プリシラもいっしょに捕まっちゃったんだ」
「うん。そのお陰でロイちゃんとすぐに会えたからよかったけどね」
プリシラは眼鏡をずらして苦笑した。
どこまでも続くエルダの高原を走っていると、右手に灰色の集団が見えてきた。彼らはロングスピアを立ててリロイに背中を向けている。整然と一列に並び、一糸乱れずに前を闊歩していた。
「やべえぞロイ! エルダの兵団だ」
サムソンが叫び、急いで馬の足を止める。リロイも手づなを引いて、興奮する馬を制した。
エルダの兵団と思わしき集団は、高原の向こうをひたすら歩いている。こちらにふり返る人間はおらず、だれもリロイの存在に気づいていない。
サムソンはリロイのとなりに寄り、袖で額を拭った。
「危ねえ危ねえ。もうちょっとで見つかっちまうとこだったな」
「そうね。……でも、あの人たちは牛蒡の仲間たちなのかな。どこか、別の目的地に向かってそうな感じだけど」
リロイは顎に手をあてて考える。歩き去っていくエルダの兵団とリロイの距離は、どんどん広がっていく。視界に映る彼らも大きさは、米粒くらいになっていた。
「そこもかしこも兵隊だらけだな。まるで、これから戦争でも起きるような……。レイリアはいつからこんなきな臭い国になっちまったんだよ」
サムソンが青白い顔でつぶやいた。
その日の夜、リロイたち三人はハノイの街で宿をとった。エイセル湖から離れた平地に広がっている街は人通りがとても少ない。家と家の間にすき間風が入り、とても閑散としている。
「王宮までの距離を考えたら、あまり無駄遣いできないよね」
リロイは案内された部屋を見わたす。古木でできた部屋は、どこからか風が入ってくる。壁もかなりぼろぼろで、お世辞にもきれいとは言えない。
「遠路はるばるお疲れ様です。用がありましたら、何なりと声をかけてください」
店主の妻と思わしき女性が深々と頭を下げる。リロイは手をふり「おかまいなく」と返した。
プリシラは白い鞄をテーブルに置いて、「あの」と声をあげた。
「今日は街の人が少ないみたいですけど、何かあったんですかあ?」
「いえ、特にこれと言ったことは起きてませんけど。ハノイはもともと人が少ない街ですから。……あ、でも、昨日か一昨日に都で反乱が起きたみたいだから、みんな不安がっています」
「都で反乱……!?」
プリシラが口を開けて唖然とする。ベッドに横になっていたリロイも身体を起こして、女性の顔をまじまじと見つめた。
「お客様はご存知なかったのですか。都の話はとなり町でもうわさになっているんですよ。中央に不満をもつ国がぞくぞくと兵を集めて、都に攻め入ろうとしているみたいで。……ああ、レイリアはこれからどうなってしまうんでしょう」
白髪を混じらせた女性は手を遊ばせながら、扉の前でおろおろした。