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ライオネルとユウェインが倒れて、兵士たちが浮き足立つ。レオンハルトがぎろりとにらむと、兵士たちは蛇ににらまれた蛙のように顔を青くした。レオンハルトの鶴のひと声で、兵士たちは尻尾を巻いて逃げていった。
リロイはシャムシールを抜き、プリシラを縛る縄を斬る。磔から降ろされたプリシラがたくさんの涙をためた。
「ロ、ロ、ロイ、ロイちゃ……」
リロイは泣き崩れるプリシラをだきしめた。
「プ、プリシラのせいで、ロイちゃんが……つ、捕まっちゃって。……でも、でも……プリシラは、本当に怖くて」
「うん。わかってる。プリシラは何も悪くないから、だいじょうぶよ。悪いのはあの牛蒡頭だから。あいつはあたしがやっつけたから」
声を出して泣くプリシラをだいて、リロイの頬にも涙が伝った。
レオンハルトは懐からダガーを出して、エドワードの縄を切る。両手両足が解放されて、エドワードは「ふう」と息を吐いた。
「レオン、よく来てくれた。お陰で助かったよ」
「いえ、滅相もないです。むしろ救助が遅れてしまって、すみませんでした」
レオンハルトが背を伸ばし、エドワードに頭を下げている。サムソンは口を開いたまま唖然とした。
エドワードがにこやかに笑った。
「それにしても、あの手紙だけでよく気づいたね。さすがは元近衛騎士団長だ」
「それはまあ、気づきますよ。あの手紙は不自然だらけでしたから。……娘の見舞いに来いとか厚かましいことが書かれていたし、リロイひとりで来いというのも不自然だ。温厚で人のいいエドワードさんが、あんな手紙を書くはずがねえ」
「はは。それは買いかぶりすぎだと思うがね。だが、君ならば必ず気づいてくれると思っていたよ。ありがとう」
「いえいえ。それこそ買いかぶりすぎってもんですよ」
苦笑するレオンハルトにつられて、リロイたちも声を出して笑った。
リロイの後ろで笑っていたサムソンが、はっとわれに戻る。リロイに抱かれているプリシラを見下ろした。
「ところでよ、プリシラ。何でお前がエドワードさんの屋敷にいやがるんだ?」
「えっ、プ、プリシラはあ、えっとお……あ!」
プリシラが目を大きく開く。両手の広い袖口をのぞき、腹に巻いているコルセットをめくった。
「あれ! ……ない、ない! エメラウス様からいただいたお手紙が」
「エ、エメラウス様!?」
リロイとサムソンがそろって目を剥く。エドワードはあわてふためくプリシラを見下ろして、眼鏡の銀色の縁をつまんだ。
「手紙だったら鞄の中じゃないかな」
「えっ。そ、そうでしたっけ」
「うーん。君がさっき鞄の中に入れてたのを見たからね。……つもる話もたくさんあるだろうから、屋敷の中に入らないかい?」
エドワードの言葉に、リロイとレオンハルトはこくりとうなずいた。
エドワードに案内されて、リロイたちは屋敷に入った。ソファが置かれた広いリビングには、パトリシアやカーシャの顔が見える。疲れが見えるものの、外傷は見あたらない。リロイはカーシャの手をとって喜んだ。
リロイとプリシラが奥のソファに腰かける。エドワードは入り口近くのソファに座り、両手で鼻と口を覆った。
「この度はリロイ君に大変迷惑をかけてしまい、申しわけないことをした。挙句にはエルダの兵団まで追い出してもらって、感謝のあまりに言葉も見つからないよ」
エドワードととなりに座るパトリシアが頭を下げる。リロイは両手を出してあわてて立ち上がった。
「いえいえ! そんな、やめてくださいって。……何か、聞いてるところによると、迷惑をかけてるのはあたしの方みたいだし、エドワードさんとパトリシアさんは全然悪くないって」
「はは。まあ、リロイ君ならそう言ってくれると思っていたけどね」
エドワードはにこりと微笑んで、頭の後ろに手をあてる。が、すぐに眉をひそめて中央のテーブルをにらんだ。
「エルダの連中は、昨日のお昼すぎに突然押しかけてきてね。スピアを片手に『リロイ君はどこだ』と脅迫してきたんだ。リロイ君がいないとわかるとやつらは屋敷を制圧し、あの手紙を私に書かせたんだ」
「それで、何も知らないあたしに『来るな』って叫んでくれたんですね。でも、あの牛蒡頭は何であたしをつけ狙ってきたんですか」
「うーん。それが私にもわからないんだよ。自分たちの計画のためにリロイ君の身柄が必要だったみたいだけど、リロイ君はあのごぼ……ライオネルという男と面識はないんだろう?」
「全然」
リロイが即答すると、エドワードは「困ったね」と肩を落とした。
ソファの後ろに立つレオンハルトが、リロイの頭をがしっとつかんだ。
「やつらの言う計画ってのが気になりますね。その計画のどの辺にこいつが利用されるのか。あほ弟子の師匠としては、まるで検討もつかねえ」
「……あほ弟子で悪かったわね」
リロイが目を細めると、プリシラがくすくすと笑った。
レオンハルトのとなりに立つサムソンが、水晶の杖で背中を掻いた。
「やつらの計画ってのも気になるけどさ。先にプリシラの手紙を見てみようぜ」
「あ、そっだった」
プリシラがメイドのドロシーから鞄をわたされて、中をごそごそと探る。化粧品が入った鞄の中から、一通の封筒が出てきた。
「これだよ」
プリシラがソファのとなりに座り、手紙を差し出す。リロイは受けとった封筒を裏返してみる。右下にエメラウスの名前が書かれている。
白い封筒に花の模様がなければ、おしゃれな縞々の模様もない。手紙を入れているだけの封筒は、隅々まで見わたしても色気が少しも感じられなかった。
――わかってた。……ラブレターとかの類じゃないのはわかってたけど、何なの。このがっかり感は。
リロイはがくっとうなだれる。静かに見守る一同のまん中で、リロイは白い封筒をびりびりと破った。
◆ ◇ ◆
リロイ・ウィシャード殿。
至急、王宮に戻られたし。
これは勅命である。
タイクーンの意思に背いた場合、いかなる処断を下されても貴公が抗うことは許されない。
レイリア王国近衛騎士団長 エメラウス・アネシアンス
「何これ」
手紙を持つリロイの手がふるえた。
「何だよ。おれにも見せろよ」
リロイの後ろに立つサムソンが、上からひょいと手紙を奪う。レオンハルトも横から手紙をのぞきこんだが、
「ちょ、勅命……!?」
サムソンと同時に顔を青くした。
「何、何? 何が書かれてたのお?」
あわてふためくプリシラに、サムソンが手紙をわたす。プリシラは目を大きく開いて、「うそお」と言葉を漏らした。
サムソンが腕を組んだ。
「うそお、ってな。お前、知らなかったのかよ」
「知らなかったよお! だってエメラウス様が、中は絶対に見るなって言ってたんだもん」
「うっ。ま、まあ、そう言われることもあるかもしれねえよな。だって勅命だもんな。タイクーン直々の命令だもんな」
サムソンが遠い目でリロイを見下ろす。リロイは戻された手紙をつかんだまま、次の言葉が出てこなかった。
レオンハルトのはげ頭から汗が流れ落ちた。
「エルダ卿のみでなく、タイクーンまでもがあほ弟子を欲している。レイリアで一体何が起こっているんだ……?」
広いリビングが静まり返る。対面に座るエドワードも青白い顔で閉口している。重く冷たい空気がリビングに圧し掛かった。
しばらくの沈黙の後、サムソンは水晶の杖をついて肩を落とした。
「やっぱり、ロイが蛙を食っちまったから悪いんだ。あの蛙はタイクーンお抱えのペットだったから、タイクーンはロイを恨んで――」
ぶつぶつとつぶやくサムソンの頭に、レオンハルトがげん骨を落とした。
「ってえなあ! てめえ、何すんだよ!」
「ばかたれ! 蛙一匹のために軍を動かすばかがどこにいる。このどあほうが、頭を冷してよく考えろ!」
「う、うるせえ! このはげ頭!」
ぎりぎりと歯ぎしりするサムソンを見て、レオンハルトは露骨にため息をついた。
「リロイもお前も、おれの弟子は何でこんなに頭が悪いんだ。……いいか。ひとりの人間を捕らえるためだけに軍を動かすなんて、よほどのことだ。お前らの想像をはるかに越えることがレイリアで起きてんだよ」
「は、はるかに越えること……? って何だよ」
「さあな。おれは当事者じゃねえから、くわしいことはわからねえ。……だが兵を動かし始めた地方貴族のエルダ卿と、勅旨を向かわせたタイクーン。何のつながりもないとは到底思えん」
「た、確かに」
サムソンが唾をごくりと呑む。レオンハルトは腕を組んで、ソファに座るプリシラを見下ろした。
「お嬢ちゃん。あんたはこのエメラウスって野郎と面会してるんだろ。そのときに何か聞いてこなかったか?」
「えっ。う、うーんと、聞いたことはあったかなあ」
プリシラはずれた眼鏡を戻して首をかしげる。二、三回「うーん」とうなって、レオンハルトの顔を見あげた。
「そういえばあ、この手紙をもらったときに雨が降ってたんだけど、エメラウス様はじいっと部屋から雨をのぞいて、とても悲しそうにしてたような」
「ほう。それで?」
「うーんと、確か、立ちこめていた暗雲が動いたとか……動き始めたって言ってたのかな。そんなことをつぶやいてたよ」
「立ちこめていた暗雲……?」
「う、うん。雨が降ってたから、雨雲のことを差してたんだと思ってたんだけど、違ったのかなあ」
プリシラは眉を可愛らしくひそめて、また「うーん」とうなった。