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「きええェェ!」
兵士のひとりが飛びかかる。右手を勢いよく出して、ロングスピアを突き刺した。
リロイは上体をかがめてロングスピアをかわす。手首を返して、シャムシールの峰で兵士の腹を払った。兵士は「ぐええ」と地面に倒れた。
息をつくリロイの後ろから、別の兵士がロングスピアを突き刺してくる。
「――うそ!」
「ショットブラスト!」
サムソンが右手を出した瞬間、突風の力で兵士が吹き飛ばされた。
「サンキュー、サム――」
ハイタッチしようとしたリロイの横を何かがよぎった。右の頬にうっすらと傷ができていた。
リロイとサムソンは歯を食いしばりながら身がまえる。神官のユウェインが「くく」と笑いながら両手を広げた。
「逃がさないよ。迅雷の娘と風使い」
ユウェインがぶつぶつと呪文をとなえる。背後からあらわれた光の矢がくるくるとまわり、鋭い鏃を回転させる。ユウェインの合図とともに、五本の矢がリロイに向かって飛びかかってきた。
――速い!
リロイは地面の雑草を蹴って横に跳ぶ。左手をつくリロイの身体に光の矢が飛びかかり、右腕と左の腿をかすった。血のあたたかい感覚とともにじりじりと痛みがこみあげてくる。
ユウェインの後ろから兵士たちが喊声をあげてくる。鋭いロングスピアを突き立てて、槍衾のように一列にならんだ。
――だめ。こんなに多いんじゃ相手にしきれない。捕まるのも時間の問題だわ……!
リロイはシャムシールを鞘に納めて、両手を胸の前でクロスさせた。
「ヴァン・ジャ・ウネ・ホウエ・クェプ・エゲ・プゲイ・ファン・エイラン――」
リロイは目を閉じて呪文をとなえる。コルセスカを持ったライオネルが、走る足を止めた。
「何をする気だ。ユウェイン、あの呪文は何だ」
「あれは、精霊魔術じゃない。……聖光魔術でもないぞ」
白面のユウェインも顔を引きつらせている。リロイはかっと目を開いた。
「光の理を背負いし東方の神。夢と幻を司るグレモリーよ。天界を侵さんと欲する愚か者たちを闇に閉ざしたまえ」
リロイとサムソンの身体が静寂の彼方に消える。森の梢から白い霧が立ちこめて、ライオネルたちをつつみこんだ。
「な! 何だこれは!」
「ライオネル殿! 気を確かに。これはやつが唱えた霧の魔術です」
「何だと!?」
白い濃霧につつまれて、エルダの兵士たちがあわてふためく。ライオネルは歯ぎしりして、霧の向こうに叫んだ。
「いくら逃げても無駄だぞ、迅雷の娘! どこに隠れても必ず見つけ出してやるからな。必ずだぞ!」
ライオネルたちのリロイの捜索は、お昼の後も続いた。ライオネルは兵士たちを分散させて、森を大体的に捜索させた。
リロイとサムソンは岩陰に隠れて、一本の細い道を見つめる。静かな森の道に鳥の鳴き声がこだまする。
「ああ、レオンから使うなって言われてたのに、幻術使っちゃった」
リロイは岩陰にしゃがんで膝をかかえる。サムソンが杖の先端で肩をたたいた。
「さっきのはしゃーないだろ。ああでもしなきゃ、やつらをふり切れなかったんだから」
「でもさでもさ、さっきので幻術使いだってのがばれちゃったら、あたしはもう幻夢剣が使えなくなっちゃうのよ。今までの苦労が全部水の泡になっちゃうのよ!」
「だあ! そんな簡単にばれやしねえって。それに、牛蒡野郎のひとりやふたりにばれたって、別に関係な――」
岩の後ろから「ざ、ざ」と土を踏む音が聞こえて、サムソンはあわてて口を閉ざした。森の向こうからふたりの兵士がこちらへと歩いてきた。
兵士たちはロングスピアを肩にかけた。
「っつったくよお、小娘の捜索なんて面倒くせえぜ」
「ぼやくなよ。これも仕事だ。さぼってるのがばれたらライオネル様に殺されるぞ」
「そんなこと言ったってよお、朝から歩きっぱなんだぜ。ちょっと休憩しようぜ」
兵士のひとりが岩の裏側で腰を降ろす。リロイの心臓がばくばくと脈打つ。
「だいだい、ライオネル様は何であんな小娘に執着してるんだ? あの迅雷の娘って聞いてたから、熊みたいな女だと思ってたんだけどなあ」
「さあな。上の考えてることは、下々にはわからねえよ。あんな小娘でも、ライオネル様やユウェイン様にとって価値があるんだろ」
「価値ねえ。着てる服も地味だったし、見た目はその辺にいる農奴と変わらなかったけどなあ」
「ははっ、違いねえ」
兵士たちが哄笑しながら森の向こうへと消えていく。ぷるぷると拳をふるわせるリロイの右手を、サムソンが強くつかんだ。
リロイは岩陰から森をながめて、左手をにぎりしめた。
「んもう。好き放題言ってくれちゃって。むかつくなー」
「まあ、落ち着けって。……ん、でもよ、あいつらはやっぱり、お前を犯罪者にしたいわけじゃねーんだな」
サムソンがリロイの足もとでうなる。リロイはしゃがんで、サムソンの顔を見つめた。
「そうなの?」
「うーん。価値があるとか言ってたから、多分そうだと思うんだよな。少なくても犯罪者に対して言わないだろ」
「うん。まーそうだけど」
「でも、邪魔になる人間は殺すって言ってたしなあ。なあんか、信用できないんだよな」
「そうだよね。……うその手紙をよこして罠を張ったりしてたし、あんなやつらは信用できないわよ、やっぱり」
リロイが腕を組んで鼻を鳴らす。サムソンは水晶の杖を立てかけて消沈した。
「でも、カ、カーシャさんは、おれらのせいでやつらに拘束されてるんだよな。おれらが出て来なかったら、きっと、拘束されたまんまになっちまうんだよな」
「うっ――」
リロイは屋敷の光景を思い出す。三階から身を乗り出したエドワードは、エルダの兵士たちにとり押さえられていた。兵士たちは屋敷の中にもたくさん入りこんでいるに違いない。
――あたしたちが助かるだけだったら、このまま逃げちゃえばいいけど。……そうしたら、カーシャちゃんやエドワードさんは、どうなっちゃうの?
リロイが地面を見つめて目をうるうるさせているとき、森の向こうから別の兵士が走り寄ってきた。兵士は右手を口にあてて叫んだ。
「迅雷の娘! 聞いてるか。今夜、チェストレインの屋敷に来い。これは命令だ。来なかったら、お前の大事な人間たちが大変なことになるぞ。わかったな!」
兵士は走り去りながら同じ言葉を叫ぶ。リロイとサムソンは目を見合わせた。
日が落ち、あたりの暗闇を警戒しながら、リロイはエドワードの屋敷に向かった。太い幹の影から屋敷をのぞくと、開かれた門の前にライオネルたちがたむろしている。わきに大きな松明が立てかけられて、夜を明るく照らしていた。
屋敷から兵士たちが出たり入ったりしている。ライオネルが叫びながら、兵士たちに何やら指示を出していた。
「あいつら、あんなところで何やってんだ。こんな時間に作戦会議でも始めてるのかな」
サムソンはリロイの頭に顎をつけて、屋敷の扉を見つめる。扉から複数の兵士たちが出てきて、長い木の棒を運んでいるようだった。
長い木の棒は十字を形どっている。リロイの背中に嫌な汗が流れた。
「よし! そいつを門の前に立てろ。……よし、そこだ。そこでいい。もう一本も早く持ってこい!」
ライオネルの怒声が闇にひびきわたる。木の大きな十字は松明のとなりに立てかけられた。
屋敷の奥から兵士たちがまたぞろぞろと出てきた。三人の兵士に囲まれて、両手を縛られたエドワードがとぼとぼと歩いてきた。
「ま、まさか」
驚愕するリロイを尻目に、エドワードは大きな十字の前に歩かされている。兵士たちはエドワードの縄を解き、今度は十字の端に手を縛り始めた。
屋敷からまた三人の兵士があらわれた。そのまん中には、ロングスカートをはいた女の子が両手を押さえられている。
「や、やめてってばあ!」
「こら、抵抗するな! 殺されたいのか」
眼鏡をずらした女の子はもぞもぞと動くが、兵士たちに両手を強くつかまれて、引きずられるように十字の磔に連行されていた。
「プ、プリシラ!?」
「何で、あいつが……?」
磔に縛られるプリシラを見て、リロイとサムソンが言葉を失う。ベージュと赤紫のダブルスカートをはいた女の子は、親友のプリシラに間違いなかった。
ライオネルは、磔に縛られたプリシラの前に立つ。兵士からコルセスカを受けとり、十字の刃をプリシラの顔に向けた。
――うそでしょ。
「ロ、ロイちゃーん!」
ぽろぽろと涙を流すプリシラのとなりで、エドワードは口を堅く閉じている。エドワードの前にはユウェインが立って、エドワードの喉もとにロングソードを突き立てた。
「迅雷の娘、聞こえているか! サンテの王宮から来たという、お前の大事な友達がお前に会いたがっているぞ。さあ、早く出てこい」
ライオネルが「くくく」と嘲笑する。リロイは拳をふるわせて一歩を踏み出す。その手をサムソンがつかんだ。
「サム! 離してよ!」
「だめだ! これは罠だ。行ったらお前、やつらに捕まっちまうぞ」
「そんなのわかってるわよ! でも、行かなかったら、プリシラが、プリシラが……!」
リロイは涙を流して腕を引っ張る。サムソンも目を赤くしながら、リロイの手を強い力で引いた。
ライオネルはコルセスカを引いて、柄の頭を地面に刺した。
「ほほう。迅雷の娘よ。お前はこれが単なる脅しだと思っているんだろう。……まあ、そう思うのはお前の勝手だがな――」
言いながら、ライオネルはコルセスカを動かす。穂先をプリシラの胸のまん中に向けた。プリシラが「あわわ!」と声を出した。
「お前の大事な友達が亡くなってからじゃ遅いんだぞ」
青ざめるプリシラの前でライオネルがにやりと笑った。
――もうだめ。あいつの罠だってことはわかってるけど、こんなの、もう我慢できない!
リロイはサムソンの胸を押す。後ろの幹に背中をぶつけるサムソンを無視して、リロイは屋敷に向けて走った。