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屋敷の前に広がる森をリロイとサムソンが走る。リロイは後ろをふり返るが、追っ手の姿は見えない。
「もう、何なのよ。あいつらはあ!」
リロイは両手をふりながら空に叫んだ。となりでサムソンが肩を並べて走っている。
「あいつら、主の命令でやってきたって言ってたな。ロイを捕まえようだなんて、あいつらの主は一体何を考えてんだ?」
「そんなの知らないわよ。迎えにくるんだったら、あんな牛蒡頭じゃなくて、王宮御用達の馬車でも用意してほしいわ」
「王宮ってなあ。……でも、あのライオネルってやつ、物々しく兵士なんて連れてきやがって、相当まじっぽかったぜ。これは冗談抜きでやべえんじゃねえか」
「冗談抜きでって、どんなふうにやばいのよ」
リロイが固唾を呑む。サムソンは冷や汗を流して、両腕の内側を前で合わせた。
「だから、こうやって両手を縄で縛られてだな。地下の牢屋に入れられちまうんだよ」
「ええっ! 何でよ~。あたし、悪いことなんて何もしてないのにぃ!」
リロイが目をうるうるさせて、サムソンの肩にしがみつく。サムソンが「うわ、やめろ」と強い力でふりほどいた。
リロイは走りながら、牢獄と囚人を想像する。うす暗い地下室に、白黒のしましま模様の服を着たリロイ。牢屋の柵ががしゃんと降ろされて、リロイは泣き叫びながら柵にしがみついている。
リロイをつつむ空気がどんよりと暗くなる。どーんという音とともに『犯罪者』の文字がリロイの頭上に落ちた。
――あたし、悪いことなんて何もしてないのに、今日からあたしは犯罪者、犯罪者、犯罪者……
言葉をなくすリロイを見て、サムソンがため息をついた。
「なあ、ロイ。お前、本当に何もやってないのか?」
「うん。多分」
「例えばよお、修行中にあまりに腹が減っちまったもんだから、売り物の果物を盗んじまった、とかさ」
「……く、空腹のあまりに蛙を食べちゃったことはあるけど」
リロイがつぶやくと、サムソンが足を止めて大きくのけ反った。
「げげっ。お前、蛙なんて食ったことあんのかよ」
「う、うるさいな! しょうがないでしょ。レオンに三日も晩ご飯を食べさせてもらえなかったんだから! 目の前で蛙が跳んでたら、涎も垂れるわよ」
「ま、まあ、おれなら蛙は食わないけどな。……ん? てことは、もしかしてその蛙がエルダ卿のペットだったとか、そんなしょうもない話だったりする――」
言いかけるサムソンの頬を、光る何かがかする。するどい光は向こうの幹に突き刺さった。
「何っ!」
「追っ手か!?」
リロイはあわててシャムシールを抜く。サムソンも水晶の杖をにぎり、背後をふり返った。
清風の吹く森の彼方から、白いローブを着た神官が歩いてくる。大きな冠からヴェールのような布が垂れ、長い髪とともに風になびいていた。
「はじめまして。迅雷の娘」
神聖なる神官は右腕を曲げて、ゆっくりとおじぎする。リロイはシャムシールの切っ先を向けた。
「あなたも牛蒡頭の仲間? 言っとくけど、うそついたって無駄だからね」
「おや、ずいぶん殺気立ってますね。まだ何もしていないというのに」
「うそばっかり! さっきの変なのを飛ばしたの、あんたでしょ」
リロイが一歩を踏み出すと、神官のユウェインは「ふふ」と笑った。長い裾から足を出して、リロイとサムソンに歩みよる。静かな森の空気がぴりぴりと緊張する。
十歩ほどの距離でユウェインは足を止めた。
「悪いことは言いません。われわれといっしょに宮城に来てください」
「嫌よ! だってあんたら、あたしを捕まえて牢屋に入れる気なんでしょ」
「あはは。ライオネルの言葉を気にされているんだね。あれは言葉の綾ですよ」
「……ほんと?」
ユウェインはゆっくりと両腕を広げた。
「だって、そうでしょう。あなたはここエルダで何も悪いことはしていない。なのに、犯罪人として連行されるのはおかしい。あなたもそう思っているんじゃないですか?」
「そりゃそうよ」
「主のエルダ卿は、あなたのお父様の古い友人なんですよ。あなたがエルダにいらしていると知らなかったようでね。親睦を兼ねて挨拶したいそうなんですよ」
「ふうん」
リロイは静かにシャムシールを下ろす。ユウェインは頬をゆるめて、足をまた動かし始めた。
サムソンが杖をかまえて、リロイの前に出た。
「ロイ。だまされんじゃねえ! こいつが言ってることは全部うそっぱちだ」
殺気立つサムソンを見てユウェインが立ち止まる。細い眉をひそめて、両腕をまた広げた。
「そういえば、言い忘れていたことがあった。……あなたを連行する際に邪魔する人間がいたら、殺してもかまわないことになっている」
「何っ!?」
ユウェインは腰を落とし、ぶつぶつと呪文をとなえる。背後から五本の光の矢が飛び出した。矢はくるくると回転し、尖った鏃をリロイに向ける。
「聞き分けの悪い者たちが。少々痛めつけてやらんとわからないようだな」
ユウェインが右手を広げた直後、光り輝く矢がリロイとサムソンに向けて飛び出した。リロイとサムソンが雑草を蹴ってかわすと、光の矢が後ろの木の幹に突き刺さった。
「あんたもやっぱり牛蒡の手先だったのね!」
「あたり前だろう! 追跡されている最中に後ろから人間があらわれて、危ぶまない方がおかしい」
ユウェインは右手を上げて指を少し曲げる。腕の先に大きな矢が六本も召喚された。ユウェインは右手を前にふり下ろした。
巨大な矢が森の空気を切り裂く。剣のような鏃がサムソンの腕をかすり、ローブから白い肌をのぞかせた。
「それは聖光魔術か……!」
「せ、聖光……!?」
リロイは地面に左手をつき、シャムシールを水平にかまえる。サムソンがこくりとうなずいた。
「聖光魔術は光を具現化する上位魔術だ。光を意のままに操り、矢とか剣を具現化させる魔術なんだ」
「上位魔術って、あんたがつかってる精霊魔術よりも位が上ってこと?」
リロイが言葉をつなげると、ユウェインが「はは」と笑った。
「聖光魔術が上位だとよく言われているのは、あくまで形式上の話さ。習得の難度は高いが、効果は精霊魔術と対して変わらないんだよ」
「けっ! 難しいからこそ上位魔術なんじゃねえか」
サムソンが「ぺ」と唾を吐き捨てる。ユウェインは顎を突き出して、サムソンを傲然と見下ろした。
「先ほどの、風の魔術を使ったのは君だね」
「そうだよ。文句あっか」
「いや。……すばらしい魔術だったから、だれがとなえたのか聞いてみたかったんだよ」
「その割りには驚いてるようには見えねえな。精霊魔術は下位魔術だから、ばかにしてますってのが見え見えだぜ」
「ふふっ。そんなことはないさ」
ユウェインがまた右手を上げる。ぶつぶつと呪文をとなえて、右手から光の線が真っ直ぐに伸びる。木の枝を超すまでに伸びた光は、長い鞭となり高速でふり下ろされた。
光の鞭が地面をえぐる。サムソンは鞭をかわして杖を引いた。右手を突き出し、先端の水晶が淡い光を放った。
「ウィンドカッター!」
水晶から真空の刃が飛び出した。ふたつの刃はくるくると旋回し、ユウェインに向かって飛んでいく。横に跳ぶユウェインのとなりを真空の刃がよぎった。
サムソンは杖を突き出し、真空の刃を飛ばす。ユウェインが「ち」と舌打ちして、光の鞭で刃を叩き落とした。
「お前は詠唱しないで魔術が使えるのか」
「へへっ。そうだよ」
サムソンがにやりと笑った。
「魔術の基礎って言われる精霊魔術だってな、呪文がいらなくなるくらいに念の力を高めれば、すげえ強力な魔術になるんだ。術式が難しいだけで実用性のない聖光魔術を簡単に負かせるくらいにな」
「貴様」
「それに、おれには風っていう新しい相棒がいる。お前が有名な宮廷魔術師なのかは知らねえけどよ、おれは簡単にはやられねえぜ」
サムソンが水晶の杖を向けると、ユウェインが右手をふるわせた。リロイは喜色を浮かべてサムソンの背中に抱きついた。
「んもう! サムってば、いつから呪文を使わずに魔術が使えるようになったのよ。しかも、苦手だった風の魔術までばっちり習得しちゃってさ」
「へへん。お前が幻夢剣を習ってる間、おれは指をくわえて見てたわけじゃねえ。おれだってな、あんときの悔しさをばねに死ぬほど辛い鍛錬を続けてきたんだ。もう、ひとつ覚えの魔術師見習いだなんて言わせねえぜ」
「うんうん。炎に風までマスターしちゃったら、雨が降ってもへっちゃらね!」
「おう。雨どころか、槍が降ってもへっちゃらだぜ」
サムソンが「ふふん」と鼻の下をさすった。
そのとき、
「なら、ためしに槍をふらせてやろうか」
上空から男の低い声が聞こえて、リロイとサムソンは驚いて顔を上げた。真横の太い木の上からコルセスカを引っさげて、ライオネルが飛び降りてきた。
リロイは後ろに跳び、シャムシールを抜き放つ。繰り出されたコルセスカの十字の刃を受け止めた。
「またあんた!? しつこい男は嫌われるわよ」
「ばかが! お前を捕らえるのがおれの仕事だ。しつこかろうがお前に嫌われようが、おれの知ったことではない」
ライオネルが目をつり上げる。両腕を伸ばし、長いコルセスカを突き刺した。刃が交差し「かん、かん」と耳障りな金属音を発した。
リロイは木の幹の後ろに隠れる。コルセスカが幹を突き刺し、鋭い刃先が幹を貫いた。
コルセスカを抜いたライオネルの後ろから、兵士たちがぞろぞろとあらわれる。ロングスピアを光らせて、リロイとサムソンの前にずらっと並んだ。
「迅雷の娘。大人しく縄にかかれ。抵抗しなければ、きれいな顔に傷をつけなくて済むんだぞ」
「ううっ。何が何でもあたしを犯罪者に仕立て上げたいみたいね」
「別に、お前を犯罪者にしたいわけじゃない。われわれの計画が成功するまで、身柄を拘留してもらうだけだ。……ご希望とあれば、あたたかいベッドとおいしい食事を用意してやるぞ」
ライオネルはコルセスカの柄を地面に立てる。左手で手招きするライオネルにリロイの気持ちがぐらつく。
――んもう、だから、われわれの計画って何なのよ~。捕まえるとか、捕まえないとか、意味わからないこと言わないでよ。
いらいらするリロイの前で、サムソンが青い水晶を向けた。
「お前らの甘言にゃだまされねえぜ! ロイを捕まえたきゃ、おれを先に始末するんだな」
水晶を光らせ、サムソンが突風を発生させる。ライオネルたちが腕で目を隠した隙に、サムソンはリロイの手をとって森を駆けた。