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「ま、待ってください!」
エメラウスはレオンハルトに金をわたし、さっそうと馬にまたがる。手づなを打とうとしているところをリロイが呼び止めた。
「おや。可愛い娘さんが、僕に何か用か――」
麗しくふり返りながら、エメラウスが言葉を止める。リロイの顔を見て、目を大きく見開いた。
「君は――リロイ君か? リロイ君なのか」
「は、はい!」
リロイの赤い顔を見て、エメラウスが従者たちを引き止める。馬から降りて、肩にかかった髪をふり払う。気品あふれる姿がまぶしくて、すでに直視することができない。
――やっぱり、本当のエメラウス様だ。……ああ。何て美しい人なの。
リロイの胸がまたばくばくと脈打つ。エメラウスに近づかれるだけで惚れ死にしてしまいそうだった。
エメラウスはリロイの手前まで来て、にこりと微笑む。きれいな右手をのばして、リロイの頬をさすった。
「ひゃっ!」
「ごめんよ。まさかリロイ君がこんなところにいるとは思っていなかったから、まったく気がつかなかったよ」
「あ、あた、あたし……」
「大会の後でリロイ君が家出したとプリシラ君から聞いてね。心配していたんだ。あのとき、僕が酷いことを言ってしまったから、リロイ君は傷ついてしまったんだよね。本当にごめんよ」
エメラウスの吐息と薔薇の香りが感じられる。リロイはくらくらして、今すぐに気絶してしまいそうだった。
その後ろで、サムソンが木の棒を地面に突き刺した。
「そうだよ! 元はと言えば全部てめえのせいなんだ。てめえが変なことを言わなきゃ、こんな山の中まで来ることはなかったんだ。今さらごめんで済まされるかってんだ」
サムソンは肩で息をする。エメラウスはきょとんとして、サムソンの顔を不思議そうに見つめた。
「ええと、君は……だれだったかな?」
「きいぃ!」
サムソンは木の棒を投げ捨てた。
「だあっ! おれはサムソンだ! サムソン・ガリフッドだ。プリシラの同期の、宮廷魔術師やってるサムソンだっつーの!」
「ガリフッド? ……ああ! ソウレ伯の次男でボア殿に弟子入りした子がいたと聞いたことがあるけど、それは君のことか」
「そうだよ! この天然ぼけ野郎が、いちいち勘に障る言い方すんな」
サムソンはずかずかと近寄り、リロイの肩を押しのけた。
「ちょっと! 邪魔しないでよ」
「るせえ! こいつはよ、お前に酷いことを言ったばかりか、おれらの裏に隠れてこそこそ動きまわったりしてやがったんだ。このまま『何でもありましぇんでした』て帰らせてたまっか。今までのこと、洗いざらいしゃべってもらうぜ」
怒るサムソンに、エメラウスの従者たちが剣の柄に手をあてる。エメラウスは従者たちを手で制して、そっと息を吐いた。
「わかった。君たちに全てを話そう。だが、これはトップシークレットだから、くれぐれも口外しないでおくれよ」
「いちいちもったいぶってんじゃねえよ。いいからさっさと話せや」
「……武術大会の後、われわれ近衛騎士団はタイクーンに呼ばれてね。不老不死の薬を探していたんだ」
「――えっ」
怒っていたサムソンの表情が変わった。
「タイクーンはお歳を召した方だ。いつ病魔に襲われるか、とても心配しておられる。だから僕たちに不老不死の薬を探せと仰せられたのだ」
「それで探しあてた原料が、マンドラゴラだったってわけか。マンドラゴラは魔術でよく使われるからな。不老不死の薬をつくることもでき――」
言いながら、サムソンは手で口を止めた。
「もしかして、お前がカジャールにいたのは、そのため」
「おや。僕がカジャールにいたって、どうして知っているんだい? お忍びでやってきたはずなのに」
「何がお忍びだッ! てめえが夜の学校でこちょこちょやってたのを、ロイがしっかり見てやがったんだよ。……ゾンビやスケルトンがうろつく学校で、てめえは何してやがったんだ!?」
サムソンがつめ寄ると、エメラウスは頭に手をあてて笑った。
「あはは。そんなところまで見られていたのか。困ったなあ」
「困ったなあ、じゃねえよ! ……ワイトを復活させたのは自分でした、とか言わねえよな」
「ワイト? すまないが、僕は知らないよ。僕は、マンドラゴラの資料を探していたんだ」
「資料う? 夜の学校でかあ? 法螺ふくんじゃねえよ!」
エメラウスは人差し指を立てて、にっこりした。
「マンドラゴラについては、僕の恩師だった方がよく知っていたんだけど、肝心の資料が見あたらなくてね。夜までふたりで探していたんだよ。そうしたら、先生がレイスに乗り移られちゃってね。あれからは大変だったよ」
「ほ、本当にそれだけ……?」
「うーん。街が大変なことになっていたのは知っていたけど、タイクーンの密命の方が大事だったからね。君たちがいると知っていれば、僕も――」
言いながら、エメラウスが右手をぽんと叩いた。
「そういえば、カジャールでプリシラ君が、友人が来ていると言っていたけど、もしかして君たちのことだったのかい?」
「えっ、プリシラが……!?」
リロイは息を吹き返して驚く。となりのサムソンにふり向くと、サムソンも目を丸くしていた。
「プリシラはしきりに、ある人、ある人って言ってたけど、もしかして――」
「キザ男のことだったのかよ……」
サムソンはエメラウスを指差しながら、口をひくひくさせる。エメラウスは胸の薔薇をとって、鼻の先に向けた。
「プリシラ君は僕のことをしゃべらなかったようだね。けど、彼女を責めないでおくれ。彼女を口止めしたのは僕だからね」
「エ、エメラウス様。その、どうして秘密にしないといけなかったのですか? その、わ、悪いことをしてるわけじゃないのに、秘密にしなくても……」
リロイは地面を見つめながら、必死に口を動かす。エメラウスは「ふふ」と微笑して、真紅の薔薇をリロイに手わたした。
「今の王宮は大臣たちに専横されている」
「――えっ」
エメラウスはくるりと回って背を向けた。
「力を持っている一部の人間たちによって、王宮は三つに分断されている。彼らは政治を顧みず、自分たちの覇権を拡大することばかりに気をとられているから、レイリアは昏迷している」
山から冷たい風が吹く。エメラウスの長い髪がなびいた。
「去年の大規模な旱魃から天災が続いているから、周辺諸国で不満の声があがっている。だが、今の王宮にそれを処理する力はない。王宮の人間たちの目にはライバルしか映っていないから、周辺諸国は自分たちで処理するしかない。税をあげるなりしてね」
「そんな――」
言いながら、リロイは道中に聞いた言葉を思い出す。旱魃のことは、色々な場所で耳にした。麓のヤウレでも問題になっていると、ぼろ宿の店主が言っていた。
エメラウスがこちらに向き直った。
「タイクーンは大臣たちの言葉に惑わされて、右にも左にも判断を下せないでいる。だから最近はお気を病まれて、床に伏しておられる。……そんなとき、われわれに不老不死の薬を探せとタイクーンはおっしゃった。とても口外できる話ではない」
「それは、まあ、そうだな。権力争いが続いてる中でタイクーンが倒れたとわかれば、大臣たちはわれ先にとタイクーンの座をねらうんだろうし。……ってことは、タイクーンの崩御も――」
サムソンは言いかけて、あわてて口を止めた。エメラウスは整った眉をひそめて、眉間のしわをわずかに深くした。
後ろでじっとしていた従者が駆け寄って、エメラウスを呼び止める。エメラウスはリロイにふり向いて、「それではね」と言って馬にまたがった。
馬を少し歩かせてから、エメラウスはゆっくりと空を見あげた。遠くから白い雲が流れて、長い尾を引いていた。
「王宮の空には暗雲が立ちこめている。リロイ君ももうじき帰国を迫られることになるだろう。そのときはブレオベリス様のそばで剣をふるうんだよ。いいね」
エメラウスと近衛騎士団が山道を降りていく。リロイは赤い薔薇を持ちながら、彼らの後ろ姿が見えなくなるまでながめていた。
「近衛騎士団だなんて、なつかしいもんを聞いちまったなあ」
レオンハルトは裏の畑から歩いてきて、右手で頭をぽりぽりと掻いた。リロイがくすりと笑った。
「マンドラゴラの話がいきなり出たから驚いちゃったわ。裏の畑で何を栽培してたのか気になってたけど、マンドラゴラなんて栽培してたのね」
サムソンも腰に手をあてて微笑んだ。
「ほんとほんと! マンドラゴラってかなり特別な植物だから、自家栽培なんてできないんだぜ。……つうか、マンドラゴラって初めて見たけど、腐って変色した大根みたいな植物だったんだな。知らなかったわー」
「あ? お前ら、何言ってんだ」
レオンハルトがまたはげ頭を掻いた。
「ありゃ、腐って変色した大根だぜ」
遠くの山で蝉が鳴きはじめた。