56
次の日、朝食を終えたリロイはシャムシールの手入れをしていた。銀色の刀身を布きれで拭いていると、テーブルの向こうからサムソンがじっと凝視してきた。
「何よ」
「別にい、なあーんでもありましぇん」
サムソンは下唇を突き出して嫌そうな顔をする。リロイはむっとして唇を尖らせた。
「何だあ? お前ら、喧嘩でもしてんのか?」
寝室からシャムシールを持ってきたレオンハルトは、リロイとサムソンの顔を交互に見つめる。はじめて目にするやりとりに頬をかきながら、居間の椅子に腰を降ろした。
サムソンがテーブルに肘をついて、「ち」と舌打ちした。
「人の厚意をことごとく無にするあほ女が、お前なんか死んじまえ」
リロイは剣を拭く手を止めて、そっぽ向いた。
「あんた、昨日からそればっかりじゃない。ねちっこい男は女性に嫌われるわよお」
「ああん!?」
サムソンはテーブルを強く叩いて立ち上がった。
「やかましい! 昨日のは明らかにお前が悪いだろうが。平手ついて謝れや、ぼけ!」
「ぼ……! なあんであたしが謝らなきゃいけないのよ。このうすらとんかち!」
「悪いやつが謝るのは当然だろうが! 野良犬なみの低脳丸出し女が、いちいち言わすんじゃねえ」
「野良……せめて猫にしなさいよ!」
リロイがいきり立ってサムソンに飛びつくと、サムソンもリロイの肩をつかんだ。端の棚にぶつかって、木の皿や研ぎ石が地面に落ちた。
とっ組み合いをはじめたリロイとサムソンを、レオンハルトは目をしばたきながら見つめる。
「お前ら、結婚したらいい夫婦になるんじゃねえか?」
「じゃかあし!」
同時に叫んだリロイとサムソンは、息を切らせながらにらみ合った。
剣の手入れを終えて、リロイは家の扉を開ける。空から強い日差しがそそいで、リロイの顔を照りつける。リロイは手で傘をつくって、日差しから顔を隠した。
――いい天気ね。今日も暑くなりそ……
視線を戻すと、前を歩くリロイの足が止まった。
「どうした?」
レオンハルトは顎を掻きながら、前に視線を向ける。少し盛り上がった丘の向こうで、白馬にまたがる男の姿があった。
流れるような金色の髪を伸ばした男性は、深みのある紫色のフードをかぶっている。左の耳の上あたりに白く大きな羽がついていて、優雅なふんいきをかもし出している。
紫と白で彩られたシャツの胸もとを飾るのは、まっ赤に染まった薔薇。腰に黒い両手剣を差した男性は、身動きひとつせずにこちらを見下ろしていた。
――あそこにいる人って、も、も、も、もしかして、エメラウス様!?
リロイは高まる鼓動を抑えて、目を何度もこする。だが、女性のように白くきれいな男性を見間違えるはずはない。リロイは両手で頬をつねってみたが、夢でないことは明らかだった。
二、三人の従者を連れたエメラウスは、白馬にまたがったまま、ゆっくりとこちらに向かってきた。リロイの心臓がはち切れんばかりに暴れ出す。
――そんな、まさか……レオンのいじめに耐えながら必死に剣術を習う、いたいけなあたしを迎えに来てくれたの……?
長年の想いがこみ上がってくるものの、武術大会の無様な姿を思い出してリロイははっとした。
――だめだってば。もう、どうしてあたしって、エメラウス様の前になると頭がおかしくなっちゃうのかしら。もっと冷静に考えなきゃ。
首を何度もふりながら、リロイはこれまでの経緯を思い浮かべる。武術大会の後で、初めてエメラウスを見たのはいつだったのか。
リロイは目を見開く。影の巨人ワイトを倒した後に見てしまった、エメラウスの後ろ姿。だれもいない夜の学校で、エメラウスは一体何をしていたのか。
そして――
『キザ男のやつ、王宮を出て何を嗅ぎまわってやがんだ。もしかして、やつも剣聖を探してんのか……?』
リロイはあわてて顔をあげる。エメラウスとの距離は、十歩も歩かない程度まで近づいている。となりのレオンハルトはシャムシールの柄に手をあてて、腰を少し落としていた。
「貴兄。ひとつ、聞きたいことがある」
エメラウスが手づなを引く。馬が前脚をばたつかせながら嘶いた。
「僕は、王宮で近衛騎士団長を務めるエメラウスという者だ。このあたりでマンドラゴラが採れると聞いてやってきたのだが、あなたは知っているか。知っていたら、その情報を僕に教えていただきたい」
エメラウスの壮烈な声を聞きながら、リロイは茫然と立ち尽くす。
――マ、マンドラゴラ……?
レオンハルトは柄から手を離してリロイの前に出た。
「ああ、知ってるぜ」
「えっ!?」
リロイはエメラウスとレオンハルトの顔を交互に見つめる。レオンハルトは親指を立てて家の裏を指した。
「マンドラゴラだったら、家の裏で栽培している。お前が事情を話してくれたら、いくつか分けてやってもいいぞ」
「何っ!? それは本当か」
エメラウスが馬から飛び降りる。後ろの従者たちから「おお!」とか、「ついに見つけた」という声が聞こえてきた。
エメラウスはレオンハルトの両手をつかんだ。
「僕は、タイクーンの密命を受けてマンドラゴラを捜索しているのだ。……金ならばいくらでも払う。頼む! 僕にマンドラゴラを分けてくれ」
「ほう。タイクーンの命令で来てるのか。それじゃあ、断るわけにはいかねえよな」
頭の上にたくさんの疑問符をならべるリロイのとなりで、レオンハルトはにやりと笑った。
レオンハルトはエメラウスたちを連れて、裏の畑へと向かう。家から出てきたサムソンは、エメラウスの姿を見るなり飛び跳ねそうなくらいに驚いた。
「裏の畑にマンドラゴラなんて生えてたのか?」
「知らないわよ。そんなの」
首をかしげるサムソンに、リロイは不機嫌な顔を向ける。エメラウスとレオンハルトのやりとりについていけず、ただ閉口するばかりだった。
家の裏には、正四角形に区切られた畑がならんでいる。茶色い土ばかりの畑のところどころに、雑草と思わしき草が生えている。生物が腐ったような異臭がして、リロイの鼻を刺激した。
「レオンの畑って、変な臭いがするんだよね」
「そーそ。だって、あいつが畑の手入れしてるところなんて、一回も見たことねーもん。中の野菜だって腐ってるぜ。きっと」
サムソンはすぐに鼻をつまんだ。
レオンハルトはまん中の畑を指す。畑のはしっこに、膝くらいの高さの草が生えていた。
「マンドラゴラはあれだ。さっさと持っていきな」
エメラウスはバスタードソードを従者にあずけて、畑に踏み出す。異臭を気にすることなく、マンドラゴラへと手をのばした。
サムソンは「あわわ」と口をふるわせて、レオンハルトの袖を引っ張った。
「な、なあ、おっさん。マンドラゴラって抜くと悲鳴をあげて、引き抜いた人間を殺すんだろ。キザ男にそのまま抜かせていいのか」
「えっ、そうなの……!?」
リロイも顔を青くしながら、レオンハルトの腕を引っ張った。
「ちょ、ちょっと! それ、まずいじゃない。エメラウス様を早く止めてよ!」
「だいじょうぶだ。死にゃあしねえよ」
「だ、だってえ」
レオンハルトは「しっし」と言ってリロイとサムソンを追い払う。そのやりとりを尻目に、エメラウスがマンドラゴラの根をつかむ――
「や、やめてえ――!」
「うわあ、死んじまううぅ!」
リロイとサムソンは叫びながら、両耳を手でふさいだ。
エメラウスは「くっ」と吐息をもらしながら、根を一気に引き抜く。抜かれたマンドラゴラから悲鳴は――あがらなかった。
土に汚れた根には、ちぢれた毛がたくさん生えている。腐った大根のようにやせ細った根から、鼻をつく臭いが広がってくる。
エメラウスは左手で鼻と口を押さえながら、目をきらきらと輝かせた。
「こ、これが、魔術や錬金術の原料としてつかわれる妙薬――マンドラゴラか。……ああ、やっと見つかった。これでタイクーンの期待に応えることができる」
後ろで耳をふさいでいた従者が袋を広げる。エメラウスがマンドラゴラを入れると、従者はすぐに袋の口を閉めた。