55
レオンハルトは柄に手をかけて、シャムシールを抜き放った。
「リロイ。お前も抜け。丁寧な講釈は終わりだ」
レオンハルトを包む空気が変わる。静かに流れていた空気はぴたりと止まり、弓の弦のようにぴりぴりと張りつめはじめる。
――ついにレオンの剣を教わることができる。剣聖とうたわれた、王国の頂点に立った人の妙技を、あたしは習うことができるんだ。
リロイは静かに視線を落とす。両手が汗ばんでいる。心も身体も緊張しているのが、手にとるようにわかった。
「どうした。早く抜け」
レオンハルトの眉間が険しくなる。リロイも柄に手をかけて、ゆっくりとシャムシールを抜いた。三日月状に湾曲した刃が光る。
「いくぞ」
レオンハルトがシャムシールの刃先を地面に降ろす。腰を少し落として、リロイに向かって突進してきた。
――きた!
リロイも腰を落として柄をにぎりしめる。レオンハルトがシャムシールをかかげた。
だが、あと二歩という距離でレオンハルトが右に飛んだ。
――突撃じゃない!?
リロイはとっさに後退する。左からつめ寄るレオンハルトの剣を正面から受け止めた。シャムシールが交差して、「かん!」と鋭い金属音を発した。
レオンハルトは身体をひねり、はじかれたシャムシールを水平に倒す。湾曲した刃をリロイの腰に向けて、素早く斬り払った。
リロイは後ろに飛び、その攻撃をかろうじてかわした。
「どうした! 下がってばかりじゃ敵は倒せねえぞ。おれの隙をついて攻撃してみろ!」
剣をたたきつけながら、レオンハルトが激高する。右手をふるたびに剣閃が幾重もとりまく。反撃できる隙なんて見あたらない。
――そんなこと言ったって、剣を受けてるだけで精一杯よ。それなのに、どうやって反撃しろって言うの?
後退しながらリロイははっとする。心の底から沸き起こる苛立ちと今の状況は、いつぞやの記憶と光景にとても似ていた。
電光石火の速さと攻撃の正確さを兼ねる相手。そして、ひと段階もふた段階も上の相手に反撃すらできない自分。二本の鋭利なハンガーでリロイをしつこく追い詰めた、夢魔との戦い。サムソンとふたりがかりで何とか倒した相手よりも強い男を、ひとりで相手しなければならない。
レオンハルトのシャムシールがリロイの腹をとらえる。刃が触れる瞬間、レオンハルトは手首を返して剣の峰を向ける。
――やばっ。
腹に強烈な一撃がぶつかる。衝撃でリロイは後ろに吹き飛んだ。
「戦いの最中に何をごちゃごちゃ考えてるんだ。一瞬の油断が命とりになるんだぞ」
レオンハルトの叱咤が頭にひびく。リロイは地面の砂をにぎりながら、首だけをそっと起こした。
「刃を交わしてるだけなのに、そんなこともわかるんだ。レオンって、やっぱすごいのね」
「寝ぼけたことを抜かすな。お前の目や身体の動きを見ていれば、そんなのは簡単に見抜けるんだよ。……いいか。腕が拮抗した達人同士の勝負となれば、わずかな隙が勝敗を左右するようになるんだ。本当にうまいやつはな、そういう細かいところまで読んでくるんだよ。おぼえとけ」
レオンハルトは左手の手の平を上に向けて、「立て」と言った。
それから二、三時間も打ちのめされた後、レオンハルトから剣術の基礎をいくつか教わった。剣の持ち方やふり方、斬りこみの仕方など、レオンハルトの指導は予想よりも丁寧で細かかった。
「リロイ。幻夢剣はどうして曲刀をつかうか、わかるか」
後ろの木の根もとに腰を落としながら、レオンハルトがそう尋ねてきた。リロイはシャムシールの切っ先を降ろして、空を見あげた。
「うーんと、斬りやすいから、かな」
「ほう。どうしてそう思うんだ」
「どうしてって、そうね。よくわからないんだけど、さっきからこの剣をふり回してて、あ、この剣の方が前の剣より斬りやすいかもって思ったんだよね」
「それじゃあ、前に持ってた剣は長剣だったんだな」
「うん。スキアヴォーナっていう、鍔に篭がついた剣よ」
そう返すと、レオンハルトは「なるほど」と言って無精髭をさすった。
「レイリアでつかわれる片手剣は、ブロードソードやバックソードに代表される長剣がほとんどだ。長剣はつくりやすく形も綺麗だから、レイリアでは人気が高い。……だがな、剣技の基本ともいえる斬撃には不向きな剣なんだよ」
「えっ、そうなの?」
「だってよ。真っ直ぐに伸びた剣で相手の腹を斬ったら、骨にあたって刃が止まっちまうだろ。かといって刃先で斬りつけたんじゃ致命傷は負わせねえ。だから、長剣で相手を仕留めるときは、槍みたいに突き刺すのが一般的なんだ」
言いながら、レオンハルトが不敵な笑みを浮かべる。リロイの背中にぞわっと鳥肌が立った。
「その点、曲刀は見た目こそ歪だが、刃先が曲がってるから、肉だけを斬ることができる。幻夢剣は敵の急所を素早く、かつ正確に斬る剣だ。……長剣じゃ幻夢剣はつかいこなせない。三日月みてえな刃を持つシャムシールじゃなきゃ、幻夢剣はマスターできないんだよ」
剣術の特訓が終わったのは夕暮れ前だった。レオンハルトにこれでもかというほどに叩きこまれ、リロイの身体はくたくたに疲れていた。
「はあ、もうだめ。ちょっと休憩しよ」
見晴らしのいい山の中腹でリロイは腰を下ろした。腕も足も力が入らず、とても気だるい。ここから歩いて帰ると考えると、かなり億劫だった。
切り株に座りながら、リロイは空を見あげる。夕暮れの太陽が向こうの山陰に隠れて、空を赤く染めている。
「わあ、きれい」
リロイは時間を忘れてうっとりする。色鮮やかな夕日が、身体の疲れを癒してくれているような気がした。
身体の疲れと反比例して、心は躍り充実に満ちている。もし、レオンハルトが今すぐ剣の稽古を続行しようと言ってきても、今ならば首を縦にふってしまうと、リロイは思う。それほど、レオンハルトの稽古は楽しかった。
――だって、強くなる糸口をやっと見つけたんだもん。こんな楽しいことが他にないじゃん! 絶対、強くなってやるんだから、見てなさいよ~
リロイは拳をかたくにぎり、向こうの夕日に叫んだ。
膝に手をついてリロイは立ち上がる。日が落ちるまでに帰ろうと歩きはじめたリロイの目に、サムソンの姿が映った。
――あれ。サムったら、あんなところで何やってるのかしら。
サムソンは狭い野原の上であぐらをかいている。目をつむり、精神を一点に集中させていた。
「サムぅ。そんなところで何やってるの? 早く帰らないと、晩ご飯の時間になっちゃうよ」
リロイが後ろから叫ぶと、サムソンはむくりと起き上がってふり向いた。
「おう。そろそろ終わりにして帰ろうと思ってたとこだ。声かけてくれて、ありがと」
リロイが近よるとサムソンは白い歯を出して笑った。
「瞑想でもしてたの?」
「そ。おれは集中力がないから、魔術の修行がはかどらないからさ」
言いながら、サムソンが地面に落ちている本を拾う。リロイは首をかしげた。
「それって精霊魔術の本?」
「そうだよ。お前が剣の修行をしてるんだから、おれだって修行しないとな。……このグリモワは師匠から強引にわたされたんだけど、改めて読むとすっげー面白いんだよ」
「へえ。勉強嫌いなあんたの発言とは思えないわ」
「へへ。お前に突き放されちゃ、おれのプライドがゆるさねえからさ。風の魔術を習得して、目にものを見せてやるよ」
「ふふっ。楽しみにしてるわ」
リロイが口に手をあてて笑うと、サムソンも「はは」と声を出して笑った。
「お前の方はどうだ? 剣術は教われたのか?」
「うん。今日はじめてレオンと手合わせしたよ。全然敵わなかったけど」
「そっか。だいぶ時間かかったけど、いい方向に向かってるじゃねえか。やったな、ロイ」
サムソンは相変わらず優しい言葉をかけてくれる。リロイはぴたりと笑うのをやめた。
「お前はずっと前から習いたいって思ってたんだもんな。夢が叶ってよかったじゃねえか」
サムソンはリロイの肩を二、三度叩いた。
「これで胸を張って王宮に帰れるな。でもってタイクーンに剣術を披露してお目に適えば、騎士にだってなれるかもしれねえ。そしたら、お前が好きなキザ男にだって近づけるかもしれねえもんな。願ったり叶ったりじゃないか」
サムソンは顔を前に出して、リロイの顔をまじまじと見つめた。
「少し疲れてるんじゃないか? 今日はがんばったんだからさ、無理しない方がいいって。明日またがんばればいいんだからさ」
サムソンは両手を腰にあてて、にっと微笑む。リロイはげんなりして、目を少し細めた。
「あんたさ、気持ち悪いよ」
「……は?」
サムソンの表情がかたまる。リロイは下から右手を出して、サムソンの頬をひねった。
「い、痛て! ちょ、離せ――だあ! 痛てえっつってんだろ!」
サムソンは両手でリロイの腕をつかみ、頬から引き離す。つかんでいた部分が赤く腫れあがっていた。
「てめえ! 何すンだよ!」
「だって、気持ち悪いんだもん」
「き、きも……?」
呆気にとられるサムソンの肩を、リロイはばしばしと叩いた。
「やっぱさー。あんたはそっちの方がいいわよ。生意気で口悪くてむかつくやつじゃなきゃ、サムって気がしないもん」
「む、むか……」
リロイは頬に手の甲をあてて、腰を横にくねった。
「あんたにさ、『疲れてなーい?』とか言われると、腰のあたりがむずむずしちゃうんだよねー。あたし、そういう遊びはあんまり好きじゃないから、悪いんだけど、やりたかったらひとりでやってよねー」
リロイが上目遣いで見あげる仕草をすると、サムソンの顔がトマトのように赤くなった。肩をわなわなとふるわせて、
「ば……っかやろー!」
リロイはあわてて両耳をふさいだ。
「てめえなあ! あんなに落ちこんでたから、元気づけてやろうと思ってたのによお……もう知らねえ! てめえなんかな、いくらがんばっても騎士になんてなれねえよ。っつうか、それ以前にそもそも家に帰れねえよ! てめえみてえなやつはな、ここでのたれ死んじまえばいいんだよ。このはげ!」
サムソンは滝のように言い散らすと、本を片手に走り去っていく。いつにない全力疾走で、数秒と経たないうちに姿が見えなくなってしまった。
見えなくなるまで、リロイはサムソンの背中をながめていた。だれよりも近くにいて、だれよりも本音で付き合ってくれる親友。こんなにも身体を張って心配してくれる友達は、他にはいない。
「サム。……ありがと」